学校中の喧騒が集まったような食堂で、日替り定食を頼んだ真田幸村が席を探してテーブルの間を移動していく。それを見つけた前田慶次が、大きく手を振った。「おおい、幸村ぁ」 顔を向けた幸村に、こっちこっちと手招きをする。それに頷き近づく彼の目に、慶次以外の見知った顔が映った。「おお、政宗殿に長曾我部殿様。毛利殿までお揃いで」「すぐに片倉さんも来るよ。ってか、珍しいな、幸村が御弁当じゃないなんて」「佐助が、今朝は早うござったゆえ」「珍しいことも、あるもんだ」 言いながら席に座る幸村が、手を合わせて頂きますと言う。慶次も改めて頂きますと言い、そんな二人を微笑ましく元親は眺め、政宗は興味がなさそうな顔で食べ始める幸村を見、元就は一切の興味を示さず黙々と食している。そこに、小十郎と佐助がそれぞれの昼食を持って現れた。「おお、佐助。資料室の整理は、終わったのか」「ん〜、まだ途中だから、明日も俺様早いんだけど、いい?」「無論」「なんだ、猿。なんかしくじって、手伝いでもさせられてんのかぁ」「冗談言わないでよね」「佐助は優秀ゆえ、手伝の任をまかされたのだ」 何故か誇らしげな幸村に一瞥をくれた政宗の横で、小十郎が眉間にしわを寄せる。「政宗様、また、野菜を残されましたな」「つうか、猿、そんだけで足りるのかよ」「聞いておられるのですか」 まあまあと小十郎に言いかけた元親の背後を通り過ぎようとした女子が、声をあげた。「あっ」「どしたの」「もぉ、さいあくぅ。ホック外れたし」 慶次がさり気なく顔をあげ、小十郎は目を伏せ、佐助が困ったように目を泳がせて政宗と元親がニヤリとしあう。「もぉ、つけたげるよ。ほら、背中」「違うの、これフロントなんだよ」「マジで。待ってたげるから、トイレ行ってきなよ」「うん、ごめぇん」 一連の会話に聞き耳を立てる面々と、聞こえてしまったことに羞恥する者に、幸村が首を傾げる。「いかがいたした?」「真田、下世話なことに関わらぬ方が良いぞ」「下世話ってなぁ、なんだよ毛利。そういうアンタは、興味無ぇのか」「下らぬ」 心底興味がないという風情で、元就は席を立った。その背中を見送り、チッと舌打ちをして浮かせかけた腰を落ち着かせる元親に、不思議そうな幸村の視線が向けられる。「なんだよ、真田ぁ。まさか本気でわかってねぇとか言うなよ」「いや、こいつの場合、そのまさかだろうぜ。なぁ、真田幸村」 小首をかしげた幸村の目が元親から政宗、佐助へと向けられる。「ああ、旦那。えっと、説明は、ご飯が終わってからにしようか」 苦そうな顔で笑う佐助に納得したようなしていないような顔で頷き、食事を再開する彼をみて、元親、政宗が悪戯を思いついた顔で、慶次と視線を交わす。三人の様子に、小十郎はそっと息を吐いた。「よからぬことを企むのは、おやめください」「Ah? なぁんも企んでなんか無ぇよ」 なぁ、と元親、慶次に同意を求めた政宗の頬には、悪戯をします、と書いてあった。 結局、何だかんだと佐助が理由をつけて時間を伸ばし、昼休憩はその会話をせず終わった。が、それで悪戯を思いついた面々が諦めるはずも無く――――「よぉ、真田。帰り、なんか食ってかねぇ」 佐助が教師のもとへ行っているすきに、元親が声をかけて、幸村、元親、政宗、慶次の四人で駅前のファーストフードに行くことになった。 それぞれが注文を済ませ、なるべく隅の席を選ぶ。席につくと、おもむろに元親が切り出した。「あぁ、なんだ。昼間の件だがよ」 目をぱちくりとさせて、暫くの後に思い当たった顔をする幸村に、政宗がニヤリとする。「あの場で、わかってねぇのはアンタだけだった。あれが何だったのか、今から俺らが教えてやるよ」「おお、それは有難い。某のみが知らぬとは、何とも情けない事にござる」「しらねぇもんは、仕方が無ぇ。これから覚えりゃ済むこった」「そうそう、誰だって知らないことは沢山あるんだからさ」「では、よろしく御教授のほど、お願い申し上げまする」「そう、かしこまんなよ。そんな固い話じゃねぇんだから」 幸村の肩に腕を回し、なあと政宗に顔を向けた元親が、頬を引きつらせる。察した政宗がつまらなさそうに息を吐き、振り向いた。「バッドタイミングだぜ、猿」「旦那に変なこと、教えないでよね」 言いながら、近くのテーブルから椅子を持ってきて中に混ざる。「変でも何でも無いだろう。俺たちは全員解ってんだからな」「そうそう。むしろ、知っていても損はないってね」「得だって、無いでしょ」「少なくとも、真田が間違ってホックを止めてやろうか、なんて言っちまう危険性は減るんじゃねぇか」 元親の言に、佐助が一瞬間を開ける。そのすきに、ほらなと政宗が言った。「そこで知ってしまうより、今知っちまったほうが、ずっといいだろ」「教えていただけるのであれば、お教え願いとうござる」「その前に、途中で逃げようとしたりすんじゃねぇぜ」「解り申した」 きゅっと唇を引き結んで答える幸村に、真剣そのものな顔で政宗が顔を近づける。慶次や元親も顔を寄せ、小声で会話をする体制を整えた。「して、昼間の件は、いかな事にござる」「まず、ホックがはずれた、ってぇ聞こえたのは、わかるか」「その言葉にて、皆の動きや表情に変化が生じたのを、記憶しておりまする」 心配そうにしながらも、何とすればいいのかわからない佐助は胸中で、ここに小十郎が居ればと思いながら、成り行きを見守る。「まず、かすがを思い描いてみろ」「かすが殿、で、ござるか」「そうそう、かすがちゃん。男の体と明らかに違うでしょ」「たしかに」「まず、何処が違うか言ってみな。目に付くところが、あるだろう」 ふむ、と考えて口に出す。「横髪、でござるか」 真剣な顔の幸村を、政宗と元親が示し合わせていたかにようにスパンと叩く。「幸村さぁ、それ、本気で言ってる……みたいだねぇ」 本気で不思議がる幸村の様子に、目を投じてきた慶次へ佐助が肩をすくめて見せる。「ま、旦那はこういう人だから」「まず、そこからかぁ」天を仰いでため息をついた慶次が、よしとテーブルに備え付けられている紙ナプキンを取り、ボールペンで下手くそな絵を描き始める。「いいかぁ、幸村。まず、男と女の違いっていうのは、ほらこれ、わかるだろ」 男女の上半身を描いたものを見せる慶次の横から手を延ばし、元親が絵の一部を叩く。「おっぱいだよ、おっぱい。男は、出て無ぇだろ」「そ、それが、如何したのでござろう」 ほんのりと目尻を染めた幸村に、ニヤリとして政宗がペンを取り、絵の女性の胸に丸をつけペン先で叩く。「これは、すげぇ柔らかいもんだ。俺らのイチモツみてぇに、何もしてなきゃ収まりが悪い」「そこで必要なものは、ブラジャーだ」 政宗の言葉を引き継ぎ、今度は元親がペンを走らせる。下手くそなメガネのようなものを描き、前と後ろの真ん中あたりに印をつける。「これは、ホックで止めて着ける。……ここまで言えば、昼間に聞こえてきた会話の予想が付くだろう?」 少しの間をおき、みるみる幸村顔が赤くなっていく。「はっ、はれ……」「おっと」 幸村の叫びが上がる前に、政宗の手が彼の口を封じた。「ま、そういうこった」 真っ赤になりながら、皆の顔を見回す幸村が、困ったような拗ねたような顔の佐助に何事か言う前に、声がかかった。「お、どうしたんだ。みんな揃って、楽しそうだな……ん? どうした真田。金魚みたいだぞ。なぁ、三成」 仲がいいのか悪いのかわからない徳川家康と石田三成が、輪に入る。テーブルにある落書きを見て、家康がハハッと声を上げた。「なんだ、そういう話か。だから真田が真っ赤なんだな。なぁ、三成」「私に振るな」「…………と、徳川殿も、石田殿も、これが何か、お判りになられる、と?」「ん? はは、まぁ、そうだな。詳しい話の内容まではわからんが、何の話をしていたか、くらいは想像がつく。なぁ、三成」「だから、私に振るなと言っている」「この絵を見て、フロントっつったら、何かわかるか?」「ああ、こちら側のホックのことだろう」 事も無げに言ってのける家康に、目玉が飛び出るのではないかというほど、驚きを表した幸村が拳を握る。「あ、れ。旦那、もしかして変なとこにスイッチ入っちゃった?」 ひくり、と佐助の頬が引きつる。「これくらい、常識だぜ? むしろ、知らねぇと女を困らせることになる」「なんと!」「たしかに。もしあの場で、ホック留めましょうか、なんて知らずに言っちゃったら、恥をかかせることになるしねぇ」「ぬぅう」「ん。もしや、真田は知らなかったのか? 三成は、知っているだろう」「煩い」「ぬうぅうう」「あ、ね、え、ちょっと……旦那? もしもし」 俯き、ぶるぶると震える幸村に、たらりと佐助の額に汗が浮かぶ。「某、未熟でございましたぁあぅお館様あぁあああっ!」「わぁああ、ちょっ…………」「拙者だけが存じておらなんだとは、なんという無知!」「いや、別に知らなくても問題ないから、旦那、ちょっと落ち着こうよ」「知らないもんは、仕方がねぇっつったろ」「これから、覚えればいいってね」「ってことで、今から元親ん家で勉強会と行こうじゃねぇか。なぁ」「おお、よろしく御教授賜りたい」 すっかりとその気になってしまっている幸村を止める言葉が見つからず、おろつく佐助の肩に家康の手が乗る。「いいじゃないか。青春という名の絆が結ばれる」「いや、なんかちょっと違う気がするんだけど」「折角だ。三成も、共に行こう」「私を巻き込むな」 すっかりそういう流れになり、妙に楽しそうな元親が佐助の肩に腕を回す。「そんなシケたツラぁしてんじゃ無ぇよ。アンタ、どんなのが好みだ? 俺のとっておきの秘蔵、特別に見せてやるからよぉ」「なんと、秘蔵のものを、お見せいただけると?!」「おうよ。とっておきも、とっておきだぜ」「どうせ、アンタのことだ。お決まりの教師モンなんだろ」「見たくなきゃ、見なくていいんだぜ、政宗」「あ。俺、ウワサのアレ、見てみたい」「おう、前田にゃ、まだ見せてなかったか」 わいわいと、賑やかに一行が元親の家へ向かう。コンビニでジュースや駄菓子買い込み、さてさてと勿体をつけて出されたものを広げようとしたまさにその時、インターフォンが鳴り、佐助にとっては待ち遠しかった、他の者にとっては来て欲しくなかった相手が現れた。「げっ、小十郎」「ああ、良かった。間に合わないかと思ったよ」「てめぇ、猿! 小十郎にチクッたのかよ」「旦那に変な知識入れて欲しくなかったからね」「なんだ、もうお開きか。残念だな、三成」「下らん」「なんなら、片倉さんも一緒に見たらいいんじゃないかい」「ああ、そりゃあいい。どうだい、片倉さんよぉ」 小十郎の周りに、暗雲が立ち込める。それが帯電し、皆がヤバイと認識したと同時に、落雷が起こった。「どいつもこいつも、躾がなってねぇ!」 政宗を筆頭に雷を受けた慶次、元親を呆然と眺める幸村に「すまねぇな」と呟いた小十郎へ、家康が提案する。「どうだろう。折角だし、本当の勉強会をしては」「あ、それなら賛成」 手を上げる佐助に、小十郎もそうだなと同意する。「期末試験にむけて、苦手な箇所を教えあうか」 雷を落とされた三人に有無を言わせない鋭い眼光で同意を促す小十郎に、渋々ながら彼らが頷き、なんとも健全な勉強会が開始され、元親のお宝は開かれることなく終われた。「ところで、本来ならば何を勉強する予定だったのでござろう」「ああ。べつに、知る必要ないことだから、忘れていいよ、旦那。それより、こっちの公式の方が重要だから」「うむ」 今日も平和に過ぎて行く―――― 2011/12/30