真っ赤な顔で教室に飛び込んできた真田幸村が、がくりと膝をついた。「どうした真田――何か、あったのか」「ちょ、旦那……どうしたのさ」「おいおい、真田幸村……朝からずいぶんなザマじゃねぇか」 徳川家康、猿飛佐助、伊達政宗が彼の傍により声をかける。他の生徒らも移動こそしないが、彼に意識を向けていた。「不覚にござった」 苦々しく悔やむ声音に、佐助が手を伸ばし幸村の肩に触れる。「何があったのか、言ってくれなきゃわかんないぜ、旦那」 常ならば共に通学をしている二人だが、日直であった佐助は幸村を置いて先に学校に来ていた。それは致し方の無いことなのだが、幸村の落ち込みぶりに多少の罪悪を感じた。「っ――今日は、佐助がおらなんだッ」「猿なら、ここに居るだろうがよ」 ちゃちゃを入れる政宗を、佐助が睨み家康が笑う。「つい、のんびりとしてしもうた故、家を出るのが遅くなってしもうたのだ」「うんうん、それで?」 教室の時計を確認しながら、先を促す。時刻は、いつもとほとんど変わらないどころか、早かった。駅から全力で走ってきたのだろう。「あわてて全力で走り駅に向かい、いつも乗っている電車が発車する直前に、滑り込めた」「うん」「安堵し、まわりを見回したら――」 くっ、と悔やむそぶりで拳を握りしめた幸村に、教室中の意識が向けられる。「じょっ、女性専用車両であったのだ!」「ッ、ぶははははははは」 教室の奥から、盛大な笑い声が起こった。長曾我部元親が、ヒィヒィ言いながら腹を抱えて笑い転げている。「わっ、笑いごとではござらぬッ! 某は――なんと破廉恥なことを」 わなわなと震える幸村に苦笑しながら、立たせようと腕を引く佐助が慰めた。「まあ、女性専用車両って、駆け込み乗車しやすい位置に、あるからねぇ」「ああ、それはワシも思う」 致し方ないことだ、不可抗力だと慰める佐助と家康の間に、いまだ笑いの収まらない元親が割って入った。「なぁ――幸村ぁ……」 笑いを含んだ声に感じた悪い予感に、佐助が目を細めた。「この時間帯なら、すぐソコのM女子大のお姉さんだらけだったんじゃ、無ぇのか」「ふぐっ」 妙な声を発して、酒を食らったような――未成年なので、飲んだことは無いが――顔になる幸村を、人の悪い顔で政宗が覗き込む。「年上の、綺麗なお姉さんや可愛いお姉さんに囲まれて通学たぁ、いい身分じゃねぇか――shameless man」「う、ううっ――真田幸村、一生の不覚にござるっ」「一生は、言いすぎじゃないか真田」「徳川殿! なれば貴殿は同じ経験をなされたことがござるのかッ」「え――あぁ、いやぁ、うん、まぁ、あるにはあるが、すぐに隣の車両に移れたからなぁ。真田と一緒と言えば一緒だが、違うといえば違っているというか、なんというか」 家康の言葉に希望を見出したらしい幸村の顔が、見る間に曇る。申し訳なさに、家康の語尾が濁った。「幸村は、身動きが取れねぇぐれぇ、お姉さんにぎゅうぎゅうにされてたんだろぉ」 がしっ、と元親が幸村の肩を組む。「女にもみくちゃにされるってのは、どんな気持ちだ?」 反対側から、政宗が肩を組んだ。「ちょっとちょっと、不可抗力なんだから――旦那の事、いじめないでくれる?」「うるせぇよ猿――a degenerate幸村、教えろよ」 耳朶をくすぐるような声音に、幸村がこわばる。「おっぱいとかさ、押しつけられたんじゃ無ぇのか――うらやましい限りだぜ」 なぁ、とニヤつく元親の言葉を肯定するように、幸村が耳まで赤くした。「思わず勃っちまって、痴漢と間違われたりしてねぇだろうな」「そっ、そのようなことは――」「おいおい、二人とも。そろそろ止めてやったら、どうだ」「なんだ家康。興味無ぇのか」「え、あ、いや」「男なら、一度は夢想するだろうHarlemの疑似体験、聞きてぇだろう?」「もう、いい加減に旦那を解放してよねっ」「猿飛だって、気になるだろうがよ」「俺様は、そんなに飢えてません」「それとこれとは話が別だろう――ん、どうした幸村?」 全身を真っ赤に染めて、幸村がぶるぶると震えだす。「――なぁ、俺、ふと思い出したんだけどよ」 元親の声が一段低くなり、反射的に皆が身を乗り出して耳をそばだてた。「年下の男の子がカワイイとか言って、よってたかって触ってくるってぇ話を――聞いたこと、無ぇか」 きらりと真剣に光った元親の目が、それぞれの顔を見ながら探る。まさか、と顔に書いた四人が幸村を見た。「お、おい――されたんじゃ、無い、よ……な」「さ、真田――大丈夫だ。気に病むことは無いぞ。むしろ光栄なことなんじゃないか」「ちょ、何トチ狂ったことを言ってんのさ! 旦那、大丈夫だからね」「Oh――My…………とんでも無ぇな」 離れていたクラス中の意識が、幸村に再び向けられる。固唾をのんで――特に男子が――見守る中、全身をおこりのように震わせた幸村が、呻いた。「はっ――はっ…………」 これは、この何時もの傾向は肯定と取るべきか否か、と悩んでいる間に「破廉恥でござるぁあああああああッ!」「予冷はとうに鳴り終っておるわぁああああああああッ!」 窓ガラスが吹き飛びそうなほどの声が教室中に響き、教師である武田信玄の鉄槌が見事に幸村を吹き飛ばした。 その後、M女子大学の生徒と思しき年上のお姉さんが、くすくす笑いながら幸村に目を向けて通り過ぎたりする姿に「真田幸村は年上のお姉さんに、素敵なことをしてもらった」 という噂が流れ、いつの間にか尾ひれがついて「不潔ですっ」 と女子からは非難され「おまえも、男だったんだなぁ」 と男子から同情めいた慰めの声をかけられるようになり、しばらく学校に行きたくないと落ち込むのを、佐助と家康、小十郎が宥めすかし、多少の罪悪感を持った元親と政宗が誇大風評を鎮火して回ることとなった。2012/04/10