「猿飛に、甘えすぎなんじゃ無ぇのか」 ん、と首をかしげ、真田幸村はかじりかけのドーナツを急いで咀嚼し飲み込み、伊達政宗の左目を――失われていない瞳を、見つめた。「何ゆえ、そのようなことを申されるのかが、わかりませぬ」 学校帰りに立ち寄ったドーナツショップに、二人は居た。期間限定の割引が行われているからと、部活帰りの二人は空腹を抱えて駅前のここへ立ち寄っていた。「まあ、習慣になっちまってんなら、わからねぇか」 こちらは惣菜パイをかじりつつ、独り言のように言った。「――ああ」 そこで、幸村は気付いたらしい。「あれは、某が甘やかしておるゆえ、このような事になっておる次第でござる」 何か問題でも、と言いたげにされて政宗は目を瞬かせる。「アンタが、甘やかせている――?」 にこりとして、幸村が二つ目のドーナツを手にしつつ、言った。「佐助は、某を構いたいと思うておりまする故、好きにさせておるということにござる」 ぽかん、としてから「ああ」と吐息とも理解ともつかない息を、政宗が漏らした。「ひきずってんのか」「あれは、細やかな男ゆえ――」 ひどく遠い場所に目を向けて、凪いだ幸村にデコピンをくらわす。「ぁ痛ッ」「It a bore――シケた顔、してんじゃ無ぇよ」 言って、騒がしい店内に目を向ける。丁度、各部の帰宅時間とかぶっているからか、同じ学校の生徒の姿が目立っていた。 同じように、幸村も目を向ける。「穏やか――に、ございますなぁ」 しみじみとした声に、頷く。 ここには、彼らがかつて身を置いていた、命のやり取りをする気配は、みじんも感じられない。――学校で、誰かの書いた物語で、記憶に残る時代を知るのは、形容しがたい郷愁のようなものがあった。「しかし、なんの因果か同じ高校に集まってくるとはなぁ」 くっく、と政宗が笑い、幸村も肩を震わせる。「このように、政宗殿とふたたび相見えることになろうとは、思いもよりませなんだ」「俺だって」 珈琲を飲みほし、おかわりはいかがですか、と店員が回っていないかと目を向ける。それに気づいた幸村も、カフェオレを飲み干した。「カウンターで、貰ってまいりますゆえ」「ああ、thank you」 渡し、カウンターへ向かう幸村の長い後ろ髪が揺れるのを見ながら、自分も人の事は言えないな、と思う。 かつて、彼らが同時代――今の世では戦国時代と呼ばれていた頃に自分に仕えていた男、片倉小十郎は今この時代でも自分の傍にいる。あの頃と同じように。 常に笑みをたたえたような幸村が、それ以上の顔をして戻ってきた。問う目を向けると、幸村が振り向いて見せる。そちらに目を向けて、豊臣秀吉、徳川家康、竹中半兵衛、石田光成――そして、前田慶次の姿があった。 口元をほころばせた政宗に珈琲を渡しながら、座る。「楽しそうに、ござるな」「Ah――」 彼らが、記憶を持ったままであるのかどうかは、知らない。確認したことも、そういう話をしたことも無い。けれど、なんとはなしに残っているのでは無いかと思う。 ――そうであってほしいと、抱えたままで今、目の前にある光景になっていてほしいと、そう願っているだけなのかもしれないが。「政宗殿」 彼らを見つめたまま、老成した声で幸村が紡ぐ。「いずれは、離れねばならぬとは、思うておりまする。――なれど、今はまだ……しばしの間はこうして居られればと、願いとうござる」 朗らかな笑い声を上げ、じゃれあわれるのに嫌がる顔があり、それでも受け入れている気配があり、和やかなものが漂って―― そんな彼らの姿に、安堵したような顔をする幸村の目は、彼らを通して別の誰かを見つめ、遠い日に共にいた人々の姿に痛みを映している。「甘いな、アンタ」 ぼそり、と言われた幸村が首をかしげた。「その、ドーナツより甘ぇ」 目を落とした幸村が、自分の皿に乗っているチョコレートのかかったドーナツを見た。「これよりも、で、ござるか」 ドーナツを持ち上げ、かじる幸村に皮肉そうな顔を向けた。「You over-indulgence.――だがまぁ、それがアンタなんだろうな」 授業で政宗が昔から時折会話に混ぜている異国語――英語を習ってはいるが、彼ほど堪能ではない幸村は意味を判じかねた。「いいんじゃ無ぇか」「え?」「ガキじゃ無ぇんだ――自分で判断して、好きにすりゃあいい。アンタが甘えて……おっと、違ったな。アンタが甘えることで猿飛を甘やかせてぇんなら、そうしてりゃあいい。――まぁ、最初に甘えすぎだと言ったのは、俺だがな」 政宗の言わんとしていることの真意を見ようと、幸村はまっすぐに彼を見つめる。「一緒に居たけりゃ、一緒に居りゃあいい。アンタと猿飛の場合は、こっちからすりゃあ少々、過度にも見えるが――俺と小十郎も、似たように見えるのかもしんねぇしな」「お二人は、まこと仲睦まじく見えまする」 政宗の目じりが、下がった。「そういうこと、だろうよ」「え?」「それで、いいんじゃ無ぇか。先の事は、先の事だ。いずれは別の道を行くかもしれねぇ。けど、同じ時代の同じ場所に、こうして記憶のあるまま集まったんだ。あんときに出来なかったことを楽しんで、悔やむんじゃなく懐かしんで、引っ掛かっているもんがありゃあ踏み越えて、この時代を生きればいい」「ずいぶんと、話が大きくなりましたな」「アンタといると、無駄に真面目な話になっちまう」「ぬぅ。それは、申し訳ござらぬ?」 謝ったほうがいいのか、そうではないのか。わからぬままに口にした幸村の謝罪が疑問で終わったことに、政宗が噴き出した。「ほら、さっさと食っちまえ。心配性のアイツらが、あんまり遅いと文句を言うぜ」「おお、まこと。お互いに」 胸をくすぐられたような気持に笑みあい、二人は「今」を「過去」を見ながら生きていく。2012/04/13