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子ぎつね佐助―慈雨のけぶりに包まれて

 すん、と鼻を動かした子ぎつね佐助は手を止めて、窓の傍に寄った。空を見上げれば、遠くの方に灰色がかった雲の塊がある。しっぽをふってみれば、うっすらとまとわりつくものを感じた。
「旦那、笠持って行ってなかったよね」
 つぶやいた子ぎつね佐助は、ぴるんと大きな耳を震わせて、仕分け中の薬草を急いで片付け、小屋を飛び出した。
「旦那の笠と蓑は、と」
 屋敷に戻り、急いで用意をし、蓑を背負い笠をかぶり、旦那こと真田幸村の笠と蓑を両手に抱える。人よりも長い寿命を持つ佐助と幸村は、同じくらいの年ごろであるのに、一方は子どもの体躯で一方は大人の体躯をしている。なので、子ぎつね佐助が幸村の蓑をかかえると、大変大きな荷物となった。
「ううっ」
 しっかりと両手で持ち上げれば、蓑が視界の邪魔をする。笠は腰にくくりつければいいとして、蓑をどう運ぼうか。
「そうだ」
 いっそのこと、蓑を二重に着てしまえばいい。
「俺様ってば、天才」
 ふふんと得意げに、二重に蓑を着込んだ佐助は、遠目からは蓑が笠をかぶってひとりでに歩いているようにしか見えない。もさもさと背中に負った蓑は存外に重く、佐助はわずかに顔をしかめた。
「子ぎつねじゃねぇか」
 雨が降る前に幸村の元へ、と思った佐助に声をかけたものがあった。しかめた顔をさらにしかめて振り向けば、佐助の嫌いな男の顔があった。
「なんで、アンタがこんなところにいるのさ」
「ごあいさつだな。奥州筆頭として、甲斐の虎のオッサンに挨拶に来たにきまってんだろ。小十郎の作った野菜や奥州の酒、海産物なんかをたっぷりと、土産にしてな」
 本人からすれば、別段誇っているつもりも何も無いのだが、佐助からすれば得意げで小憎らしい姿にしか見えない。
 なんで、旦那はこんな奴が大好きなんだろう。
 それと気付かず嫉妬という布越しに、奥州筆頭伊達政宗を見ている佐助は、何をされたわけでもないのに、彼の事が嫌いだった。大好きな幸村が彼を胸深く親しくも敬っていることが、面白くない。当の政宗は佐助のそんな心情に気付いているのかいないのか、奥州筆頭である自分に、忍で獣な佐助が小生意気な態度を取るのが面白いらしく、気安く声をかけてくる。
「ああ、そう。なら、大将んとこにサッサと行けばいいだろ」
 ちらりと空を見ると、灰色の雲がぐんぐんと近づいてきていた。鼻に触れる雨の匂いも、強くなってきている。早く、旦那の所に笠と蓑を届けないと。
「アンタは、なんでそんなモコモコになってんだ」
「関係ないだろ」
 ぷんっと佐助がそっぽを向けば、ふうむと政宗が首をかしげて佐助をひょいと抱き上げた。
「うわっ」
 いつもならば簡単に逃げることが出来る。けれど、今の佐助は二人分の、しかも一つは大人用の蓑を身に付けていた。重みで動きが鈍くなり、独眼の竜と称されるほどの勇将である政宗の俊敏さに、捕らえられてしまった。
「ちょっと! 離してくんない」
 憮然として言えば、脇にいた馬の上に乗せられた。
「幸村んトコに行くんだろう。つれて行ってやるよ。アンタがその恰好で走るより、馬で向かったほうがずっと早い。Is it wrong?」
 たしかに、政宗の言うとおりだ。なので渋々、佐助はそっぽをむいたまま礼を述べた。
「ありがと」
「Ha! 礼は、ちゃんと相手を見て言うもんだぜ」
 咎める音をわずかも含まない政宗は、ひらりと馬に乗り腕の中に蓑に覆われた子ぎつね佐助を抱きしめる。
「おっこちんなよ」
「そんなヘマを、するわけないだろ」
「ま、そうだな。で、どこに行けばいい」
「里だよ。旦那は、田んぼの様子を見に行っているんだ」
 ヒュウッと政宗が口笛を吹いた。
「そいつぁ丁度いい。小十郎も、田の様子を見に行っている」
「迎えに行く予定だったんだ」
 都合よく馬が出されていたのは、そういう理由だったからか。
「Yeah, that's how it works」
 政宗が軽く馬腹を蹴って、二人は迎えの道中を進んだ。
 軽い駆け足で馬を歩かせていれば、田の傍で里の者らと何やら話をしている幸村と片倉小十郎の姿が見えた。ちらりと空を見上げて、まだ降り出すには少し間がありそうだと、佐助はほっとした。
「旦那ぁ!」
 馬上から大声で呼びかければ、気付いた二人が顔をほころばせる。
「おお、佐助」
「政宗様」
「迎えに来たぜ、小十郎」
「旦那。もうすぐ雨が降るから、これ」
 幸村の蓑を渡そうと、結わえた紐を外しかけた佐助を、腕を伸ばした幸村が馬上から抱き下ろした。
「まるで、藁の妖怪のようだな」
 くすりと笑われ、佐助はぷっくと頬を膨らませた。
「仕方がないだろ。旦那の蓑は大きいから、抱えると前が見えなくなるんだ」
「そうか。それは、からかってすまなかった」
 素直に謝る幸村が、佐助の蓑の紐を解こうと手を伸ばすが、不器用な彼は佐助の蓑の紐と、幸村の蓑の紐を絡ませてしまった。
「ぬうっ」
「ああ、もう。旦那ってば。何やってるのさ」
「貸してみろ」
 ふわりと頬を柔らかくした小十郎が膝をつき、絡まった紐を解いて佐助から大人用の蓑を外す。
「ほら」
「ありがと」
 背が軽くなり、にっこりとした佐助に政宗が呆れた。
「おいおい。俺のときと、ずいぶんと態度が違うじゃねぇか」
 ぷいっと顔をそむけた佐助は、政宗の言葉を無視して蓑と笠を幸村に差し出した。
「雨雲が、大分近づいてきているから」
「わざわざ、すまないな。佐助」
「いいってことよ。風邪をひかれちゃ、かなわないからね」
 幸村が風邪をひいて苦しむ姿など、見たくない。
「よく気の付く忍だな」
「佐助は、某の自慢の忍にござるゆえ」
 小十郎の褒め言葉に、幸村がさらりと答える。ふわりと胸が悦びに温まり、佐助は照れ笑いを浮かべて幸村を見上げた。ぽん、と笠ごしに幸村が佐助を撫でる。
「たしかに、雨の匂いがするな」
「小十郎。降られる前に、馬で屋敷に戻るとしようぜ。馬を貸してやるっつっても、石頭の幸村は首を縦には振らねぇだろうからな」
 馬上から政宗が促せば
「それでは、政宗様。同上、失礼いたします」
 小十郎が従い、二人は馬を操り屋敷へと駆け去って行った。
「旦那」
「うむ」
笠と蓑を着込んだ幸村が手を差し出せば、少し迷ってから佐助がそれを握った。
「へへっ」
 照れくさそうに幸せだと示す佐助に、幸村も温かみを満面に乗せて笑いかける。
 ぽっ、ぽっ、と雨が降り落ちはじめ、すぐに二人は雨中に入った。
「危ないところだったな。佐助が気付いてくれなくば、俺は濡れ鼠となっておった」
「あったかくなってきたって言っても、雨に打たれれば冷えるからさ」
「そうだな」
 ぬかるむ道を、手をつないだまま進んでいく。
「旦那」
「うん?」
「竜の旦那が、野菜とか海産物をいっぱい、お土産に持て来てくれたらしいよ」
「ほう。それは、有り難いな」
「なんで、あの二人は甲斐に来たのさ」
「片倉殿の農作物に対する知識と見識は、素晴らしいからな。民が飢えぬようにするには、良い作物をしっかりと育てる必要がある」
「ああ。右目の旦那は、それを教えに来てくれたのか」
 山に囲まれた甲斐は、農作物や山の幸が食料となる。交易をするにも道が険しく、不作の年となれば民は困窮する。反して奥州は海の幸も豊富であり、平安のころより金や良馬の生産が有名で、海外交易の基盤もある。若輩の政宗を遇し、豊かな奥州に習おうとする武田信玄の、民を第一に考える姿勢に政宗が共感し、他国より向けられる信玄への面目を保つため、彼に敬意を表していると示すために多量の土産の持参となった。人の世のそういうやりとりは、子ぎつねである佐助にはよくわからないが、美味しい物を幸村がたっぷりと楽しめることは良いことだ。政宗の来訪は面白くないが、小十郎は嫌いでは無いし、彼の作る野菜の味が格別であることは間違いない。
「良かったね。旦那」
 それに、民が健やかであれば、幸村の心中が穏やかになる。
「うむ」
「戻ったら、美味しい物、作るからね」
「楽しみだな」
 雨に包まれた佐助の心は、幸村の笑顔に照らされ、ぽかぽかのお天気だった。

 屋敷に戻り雨粒を土間で払い落としていると、良い香りが漂って来た。ひくひくと鼻を動かす佐助の横で、幸村も気付いたらしい。
「これは、磯の香りだな」
「うん。誰か、何か作ってくれたのかな」
 言いながら、佐助はそれが誰なのか察した。
「遅かったじゃねぇか」
 佐助が思い描いた人物が、得意げに腕を組んで廊下の奥から現れる。
「雨ん中、歩いてきたんだ。体が冷えちまってんじゃねぇかと思ってな。潮汁を作っておいてやったぜ」
「おお、それは有り難いことにござる」
 幸村がニッコリとして、佐助は複雑な気分になった。政宗は殿さまのくせに、料理がうまい。兵糧の研究の為だとか言われているが、本人が単に面白がってしているとしか、佐助には思われなかった。
「他にも、いくつか作ったからな。少し早いが、酒でも飲みながら語り合おうぜ。この雨じゃあ、手合せも出来そうにねぇからな」
 すぐに下男が足を濯ぐ桶を用意して、二人は泥のはねた足を拭い屋敷に上がり、自身の屋敷であるのに政宗に先導されて部屋に入った。
「おお」
 幸村が思わず感嘆の声を上げ、佐助が目を丸くする。そこには、甲斐ではなかなか手に入らない海の幸を使った料理が、並んでいた。
「どうだ」
 ゴクリと佐助の喉が鳴った。悔しいが、食欲がそそられ腹が鳴る。
「佐助」
 さっさと席に着いた幸村が、佐助を手招く。佐助が坐して、政宗も座り、小十郎が土瓶で温めた酒を差し出した。
「どうでぇ、子ぎつね」
 ニヤリとした政宗に
「悪くないね」
 貝の醤油煮にうっとりとしていた顔を引き締めて、佐助が生意気な口を利く。
「素直じゃねぇなぁ」
「佐助の尾は、素直でござるぞ」
 クスリと幸村が示せば、湿気でしっとりと膨らんだ佐助のしっぽは、嬉しげに揺れていた。
「っ!」
 顔を赤らめた佐助のしっぽに、政宗の手が伸びる。
「うわわっ」
 しっぽを掴まれ慌てる佐助の腰を腕で絡め取り、膝に乗せてしまった政宗は満足そうに佐助のしっぽを愛でた。
「相変わらず、良い手触りだ」
「佐助の自慢の尾でござるからなぁ」
「小十郎も、さわりてぇだろう」
「いえ、私は」
「遠慮すんなって」
「ちょっと! 俺様のしっぽなんだから、勝手なこと言わないでよねっ」
「ケチケチすんじゃねぇよ」
「ケチケチしてるわけじゃないっての。右目の旦那には触らせてあげてもいいけど、アンタは嫌だ」
「なぜ、政宗殿は嫌なのだ佐助」
「Ah、悋気か」
「悋気?」
「大方、アンタは俺をコイツの前で褒めてんだろ。それで、コイツが俺に嫉妬してんだよ」
「なんと。なれど、政宗殿は某にとってかけがえのない好敵手にござる。佐助もそれを理解しており……」
「だからだよ」
「ぬう」
「小十郎も、俺がアンタや子ぎつねのことを褒めりゃあ、まれに微妙な顔をするからな」
「なっ。政宗様、そのようなことは……」
「なんと。片倉殿が?」
 驚く幸村よりも、びっくりしすぎた子ぎつね佐助が、ぴんと尻尾を立てる。口の端を意地悪く持ち上げた政宗が、佐助を小十郎の膝に乗せた。
「二人で、主に対する悋気の話でもゆっくりと語り合っちゃあどうだ。俺は、幸村と主の心得でも語り合うとするか」
 子ぎつね佐助を受け取った小十郎が、膝に抱えた彼を強く抱きしめる。ふかり、と佐助のしっぽが小十郎の腕を撫でた。
「からかわれるのは、その辺になされませ。政宗様」
 呆れた声の小十郎に、政宗が声を立てて笑う。
 穏やかなからかいを含めた会食を、やわらかな雨音が包み込んでいた。

2013/05/28



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