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子ぎつね佐助と精霊馬

 セミの声が肌身にまとわりつく。それを振り切るように、子ぎつね佐助は木々の間を飛ぶように進んでいた。
「おっ」
 ちらりと木の葉の隙間から垣間見えた畑に、目当ての姿を見つけて方向を変える。そして
「右目の旦那ぁああっ!」
 ざんっ、と激しく生い茂る木の葉を揺らし、自分の身を目的の相手へ向けて、放り投げた。
「子ぎつねっ?!」
 ひざをつき、作物の葉の具合を確かめていた男、奥州の独眼竜、伊達政宗の右目と呼ばれる軍師であり、野菜作りでも全国的に名を知られている片倉小十郎が、慌てて立ち上がり両手を広げた。
「よっ、と」
 その腕の中に飛び込むかと思いきや、くるりと回転した佐助は目の前で落下位置を変更し、大きくふさふさとしたしっぽを振るって、土の上に降り立った。
「久しぶりだね」
 ニッコリとする佐助に、広げた両手の所在を無くした小十郎が
「ああ、そうだな」
 ゆっくりと、それをおろす。佐助は耳もしっぽも、平気な顔をして小十郎にさらしたまま、しゃがんでつやつやと光る茄子を見つめた。
「わぁ。すげぇキレイ」
 ふるん、ふるんと揺れるしっぽが、お世辞ではないと示している。耳はそろって茄子に向いており
「ぷっくぷくに丸くて、おいしそう」
 どう見ても小十郎のことなど、存在していないかのように、農作物に話しかけているとしか思えない。
 ふっと口元を緩めた小十郎は、佐助の好きに茄子を見せておこうと、自らの作業に戻った。かごを引き寄せ、鋏を手に、食べごろの茄子を切り取り入れていく。きらめく夏の日に輝く茄子の黒に近い紫は、硬質に輝く黒曜石のようであった。
「右目の旦那ぁ」
 小十郎が収穫を終える頃、佐助がひょこりとそばに立つ。
「俺様、のど渇いちゃった」
 しゃがむ小十郎の前にしゃがみ、ふふっと目を細める佐助に、小十郎も柔らかく目を細めた。
「昼飯、食っていくか」
「うん」
 よし、と立ち上がった小十郎と共に、佐助も立ち上がる。ぽんぽんと頭を叩いて耳を消し、同じように尻を叩いてしっぽを消した佐助が、野菜の入ったかごに手を伸ばした。
「なんだ。持ってくれんのか」
「働かざるもの、食うべからずってねぇ」
 ふふん、と含み笑いをする佐助に
「頼みごとでも、あんのか」
「俺様が、何の用事もなしに、奥州くんだりまで来るわけがないだろ」
「真田を置いて、な」
 佐助の言葉尻を拾った小十郎に、照れたような拗ねたような定まらない顔で、佐助が唇を突き出した。思わず、その頭に大きな手のひらを乗せて微笑む。
「大好きな真田のために、なんかしてやろうと思って、来たんだろう」
 この子ぎつねは、自分が主君である政宗を思うように、主である真田幸村を愛している。それは主従としての「愛」というよりも、家族などに対する「愛」に近いものであったが、強く大切に想っている事に変わりは無い。
「旦那が、お迎えをしたいって言ってるからさ」
「お迎え?」
 歩き始めながら、どこか拗ねたように足元にある小石を蹴り進む佐助に、小十郎は首を傾げる。来客があるので、もてなしに小十郎の野菜を使いたいのだろうか。それは、佐助の様子からして、彼にとっては面白くない相手らしい。子どもらしい嫉妬を示す佐助の、次の言葉に小十郎は目を丸くした。
「ご先祖様とか、昔、一緒に戦った人たちを、立派な馬で迎えて、立派な牛で送り出したいって。そのために、立派なキュウリと立派な茄子がいるんだって」
「ああ」
 そういうことか。
「ああ、って右目の旦那。なんでキュウリと茄子がいるか、知ってんの?」
「オマエは、なんで必要なのか、聞いてねぇのか」
 こくりと佐助が頷く。
「旦那を、驚かせようと思ってさ」
「出かけることは、言って来たのか」
「旦那ってば、どっかのお城のなんだかサンと会合をするとかで、明日の夕方まで、帰ってこないんだよねぇ」
 何処の誰かを知らないはずは無いのに、そうごまかす佐助に苦笑する。なるほど子どもであっても、忍だ。他国で主がどの城に出向き誰と会合をするのかを、明かさぬ配慮をした彼に感心しつつ、信用をされていないのかと、ほんのわずかに小十郎は落胆をした。
「他国の軍師の俺には、おいそれと明かせねぇってワケか」
 ぽつりと漏れた声に、佐助が目を丸くして瞬いた。
「右目の旦那ってば、俺様と友達のつもりでいたの?」
「は?」
「なんか、さみしそうに聞こえたからさ」
「オメェの意識に、感心をしただけだ」
「感心されるようなことは、何もしてねぇぜ?」
「真田が何処で誰と会うのかを、知らねぇフリをしてみせただろうが」
 ぷっく、と佐助の頬が膨らんだ。
「本気で、知らないって」
「あの真田が、オメェに行き先と会う相手と目的を、言わないはずがねぇだろうが」
 むうっとむくれた佐助に、口の端を片方だけ持ち上げて見せれば、顔を背けられた。
「察しのいい奴は、嫌いだよ」
「はは」
 のどかな夏の日差しの中、あふれるほどの生命力を示す色とりどりの緑の影を踏みながら、二人はそろって屋敷の門をくぐり
「げっ」
 出迎えた男の姿に、子ぎつね佐助はカエルが潰れたような声を出した。
「ずいぶんなご挨拶だなぁ、子ぎつね」
「なんで、アンタがここにいるのさ」
「ここは、俺の領内だ。いて当然だろうが」
 涼しげな長着姿で、ゆったりと腕を組んだ男、伊達政宗が顎を上向き気味に、不適に唇をゆがめる。
「ここ、右目の旦那の屋敷だろ」
「小十郎は、俺の右目だからな。自分の体の一部んトコに、俺がいたって不思議は無ぇ」
 憮然とする佐助と、面白がる政宗。この二人は意外と仲が良いのではと思いつつ、小十郎が佐助の前に手のひらを出した。
「オメェが政宗様を嫌いなのは、よく知っている。だがな、奥州に来て、俺を訪ねたんなら、十中八九、顔を合わせることになるだろうとは思っていただろう」
「思うのと、実際にそうなるのとは、違うんだぜ?」
「まあ、そうだが。……政宗様も、おからかいになられるのは、おやめください。大人気ないとは思われませんか」
「そいつぁ、ナリはガキだが生きてきた時間は、俺らと変わりねぇんだろう。だったら、大人気ねぇっつうのは違うんじゃねぇか? 小十郎」
「屁理屈をこねられますな」
「こねてぇねよ。まあいい。おい、子ぎつね。昼餉は、まだなんだろう。小十郎の野菜と、この俺の腕を合わせた馳走を振舞ってやる。喜べ」
「感謝は、受けた側が判断して示すものであって、強制するものじゃないと思うんだけど」
「どうせ感謝するに決まってんだ。かまわねぇじゃねぇか。小十郎。そのクソ生意気なガキを連れて、離れで涼んでろ。すぐに、美味ぇモンを用意してやる」
「は。……来い、佐助」
 先に立った小十郎を追いかける前に、思い切り舌を出して政宗に嫌悪を示した佐助を、政宗は優しげなまなざしを向け、鼻先で笑った。

 縁側で、わずかな風に吹かれて並び座り、足をぶらぶらとさせる佐助が、ちらりと問いたそうな目を小十郎に向けた。
「なんだ」
 気付いた小十郎が、微笑む。
「ああ、うん。あのさ」
 言いづらそうにする佐助に
「聞きてぇことがあるんなら、早く言え。政宗様がいらっしゃれば、聞きにくいことなんじゃ、ねぇのか」
 幸村が大好きな佐助は、幸村が好敵手と認め夢中になる政宗を嫉妬から嫌っている。そんな相手に、迷いを浮かべるような問いを胸に潜めているなど、知られたくは無いだろう。
「うん。あのさ、あの……ご先祖様とか、一緒に戦った人たちを迎えるのに、キュウリと茄子が必要とか、その、どういうことなのかと思ってさ」
 まだ人の世のことを十分に知ってはいない子ぎつねに、小十郎は体を向けた。
「キュウリを馬に、茄子を牛に見立てるんだ」
 小首をかしげる佐助に、キュウリや茄子に足に見立てた棒をつけ、尾に見立てたトウモロコシのヒゲをつけて飾るのだと教える。足をぶらつかせるのをやめた佐助が、小十郎に体を向けて膝をそろえた。
「お盆には、死んだ奴が帰ってくるって言われている。迎え火を焚いて、キュウリの馬を用意して、早く迷わずに帰ってこられるようにするんだ。精霊馬と言ってな。茄子は、牛に見立てられる。帰ってきた奴が、こっちでしばらく生前のことを懐かしんだ後に、あの世に帰るときに、ゆっくり帰ってくれってことだな。あと、牛に土産を積ませて帰らせるって意味もある」
 ざっくりと、佐助にもわかりやすいようにと説明をした小十郎に、ふうんと理解したのかしていないのか、どちらとも取れる返事を漏らした佐助が、難しい顔でうつむいた。
「どうした」
「死んだ人間と、会えるって事だよね」
「まあ、そうだな。実際は、姿が見えねぇし会話もできるわけじゃねぇんだが」
「それでも、会いたいって思っているから、旦那は立派な馬と牛をって言ったんだよね」
「真田のことだ。敬う気持ちから、そう言ったんじゃねぇのか」
「俺様も」
「ん?」
 俺様も、と口内で繰り返した佐助は、唇を噛み締め膝の上の拳を握る。
「旦那が死んだら、そうやって迎えたら、会えるのかなぁ」
「子ぎつね」
「俺様が先に死んじゃったら、旦那は絶対に悲しむからさ。だから、俺様のせいで旦那が泣くとか、絶対にいやだからさ。だからさ、だから……だから、俺様は旦那より長生きしなきゃいけないし。それに、人間よりもずっと寿命が長いから、旦那が年寄りになっちまっても、俺様はきっと子どものままか、大人になったぐらいだと思うんだよね。だから、だから旦那のほうが先に死んじまうから、だから、だから、だからさ」
「佐助!」
 しゃべりながら、だんだん早口になっていく佐助を、泣き笑いを浮かべる子どもを、小十郎が胸深くに抱きしめる。
「ふっ、ふぇ、ひ、ぃいん」
 抱きしめられ、視界がさえぎられ、人肌を感じ土の香りに包まれて、子ぎつね佐助は必死に堪えていた不安をあふれさせた。
「だっ、旦那がっ、ぁ、さ、先にっ、死んじまうとかっ、や、やだぁあ」
「佐助」
 ささやく小十郎の、佐助を抱き留める腕が強くなる。体でくるむように抱きしめる小十郎が、ふと目を上げれば、包むまなざしの政宗が顔を覗かせていた。目を合わせ、双竜は微笑みあう。
 たよりなくも強い迷いと願い。
 形は違えど、政宗は幼少の頃に経験をしたことがあり、小十郎はそれを抱き留めたことがある。
「っ、旦那ぁあ」
 失う前から、失う恐怖を抱え続けている小さな命を、人でありながら竜と呼ばれる二人は、静かに受け止め慰めた。

 佐助が泣き止むまで、こっそりと待っていた政宗の気遣いに気付いていないはずは無いのに、佐助は「遅いよ。いつまで料理してんのさ」と赤い目をごまかしながら文句を言い、箸を手にしてよく食べた。
「真田が明日まで帰って来ねぇんなら、一泊していくか?」
 政宗と小十郎からの誘いに
「帰るよ」
 夏野菜を風呂敷に包み背負った佐助は、ありがとねと呟いて風になった。見送る双竜の目のあたたかさがこそばゆくて、一刻も早く幸村に会いたくて、佐助は自分の足をせかした。
 旦那、旦那――。
 心の中で呼びながら、大好きなあの人の居る場所へ。居場所の無かった自分に、居ても良い場所をくれた、あの人の所へ。
 佐助の胸中に、泣きじゃくる自分に与えられた小十郎の言葉があった。
 ――今、何をしてぇか。どうなりてぇか。それが先だろう?
 先の不安ばかりに目を向けていれば、目の前にある大切なものを見失う。そこにある大切なものを、掴み損ねてしまう。
 佐助の目に、木々の切れ間から目的の、幸村が出向いている城の屋根が見えた。
「旦那」
 つぶやいた佐助の足が速まる。くん、と動かした鼻で幸村の居場所をつきとめ、真っ直ぐに向かった。
 夕暮れ時の城内に入り込んだ佐助が行き着いたのは、幸村に用意をされた客間だった。幸村以外の気配が無いことを確認し、部屋に入る。
「旦那」
「佐助? どうしてここに。その荷物は」
 へへっと照れくさそうに頬をかいた佐助が、幸村の前で風呂敷を広げた。ごろごろと、輝かんばかりに見事な夏野菜が姿を現す。
「これは」
「奥州にお邪魔して、わけてもらってきたんだよ。旦那、りっぱなキュウリと茄子が欲しいって言っていたからさ」
「なんと。わざわざ奥州まで。ご苦労であったな、佐助」
 照れくさそうに、誇らしそうに笑う佐助に、幸村が両腕を広げる。
「旦那ぁ」
 ぴょんとそこに飛び込んだ佐助は、耳としっぽを現し甘えた。
「旦那は、俺様のしっぽがないと安眠できないだろうと思って、こっちに来たんだぜ?」
 自慢の、ふかふかのしっぽを揺らしながら、生意気な口を利く子ぎつね忍に
「そうか」
 幸村は微笑み、しっぽを撫でた。
「森の香りがするな」
「山ん中を突っ切ってきたからね」
「今宵は、良い夢が見られそうだ」
「俺様も」
 微笑みあった二人に安らぎを与えるように、夜が帳を広げ、世界を包む。
 今は、ぬくもりを失うことに怯えるのではなく、ぬくもりを掴みしめ、深く胸の裡に沈めて抱きしめられる喜びを、大切にしていよう。

2013/08/04



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