ぱふん、ぱふん、と縁側に自慢のしっぽを打ち下ろしながら、子ぎつね佐助は考えていた。 夏の終わり。もうすぐ収穫の季節がやってくる。みずみずしい氷菓から、ほくほくとした味へ。季節の味覚が移ろってゆく。 まとわりつくような空気が、よそよそしいものへと変じ、雪が降るころにはすっかり他人行儀なものとなってしまうだろう。 うっとうしいくらいにまとわりついていた空気が、だんだんと背を向けていく感覚を味わいながら、それでも空は夏の盛りの雲を浮かべて痛いほどの日差しを向けてくることに、眉をしかめた。(旦那は、いつも汗だくだ) 佐助の大好きな主、真田幸村は朝も早くから体をほぐし、鍛え、槍を振るって汗にまみれる。肌に触れる空気が涼しくなったとはいえ、日差しは夏と変わりがないので、幸村は井戸水でよく冷やした瓜などを、手ぬぐいと共に佐助が届けると、手ぬぐいで汗をぬぐいながら「ああ、よく気が利く忍を持って、俺は果報者だな」 やわらかな笑みで、佐助の胸をふわふわと沸き立たせてくれる。(瓜も、胡瓜も) そろそろ盛りを過ぎてしまう。冬瓜は、涼しいところに寝かせておけば冬まで保つが、修練の後の差し入れに冷やして出すには大きすぎた。佐助も共に食べればよいが、そうすれば夕餉など入らなくなる。のどを潤し、夕餉までの腹のなぐさみにするには、適していない。(どうしよう) はぁ、と息を吐き出して空を見上げる。もくもくと折り重なった雲は、ゆったりと北へと流れていく。それをぼんやりと見つめていると(そうだ!) ぴこん、と佐助の耳が立った。ぱたぱたと、しっぽが嬉しそうに揺れる。すっくと立ち上がった佐助は井戸へ行き、冷やしていた瓜と手ぬぐいを持って幸村の傍へ行けば「おお、佐助」 槍を置いた幸村が、佐助に向けて手を伸ばした。「はい、旦那。おつかれさま」「うむ」 まずは手ぬぐいを受けとり、汗を拭いた後に瓜を半分に割って「共に、食そう」 みずみずしいそれを佐助に差し出す。「うん」 並んで縁側に腰掛け、よく冷えたそれにかぶりつく佐助のしっぽが機嫌よく揺れているのに「何か、良いことがあったか」 幸村が問えば「旦那、俺様ちょっと、出かけてくるから。俺様がいなくても、少しなら大丈夫だよな」 幼い瞳がまっすぐに見上げる。何か良いことを思いついたと、その瞳には書いてあった。 まふ、と佐助のしっぽを掴んだ幸村が「そうだな……どのくらい、出かけるつもりだ?」 毛づくろいをするように、指でしっぽを梳きながら問えば「明日のこの時間までには、帰ってくるよ」 気持ちよさそうに、佐助の目が細まった。「そうか――」 まふまふ、と名残惜しそうにしっぽを撫でるように叩くと手を離し「寝る前の手慰みに、佐助のしっぽを愛でることが出来ぬのは残念だが、一夜くらいならば我慢しよう」 非常に残念そうに、眉を下げた。「うん。一夜だけだから、我慢してくれよな」 とん、と坐したままの恰好で飛んだ佐助がくるりと回れば、何処からともなく大烏が現れる。その背に着地をした佐助は「必ず、この時間までには帰ってくるからさ」 大きく手を振り、北へ北へと姿を小さくしていった。 目指すのは、奥州の片倉小十郎の畑である。 季節は南から北へ移動をしていくものだ。とすれば、甲斐よりも北にある奥州は、まだ夏がここよりも残っているのではないかと、子ぎつね佐助は考えた。そうして、野菜作りで有名な片倉小十郎の畑のものを、大好きな幸村が大いにほめたたえていたことを思いだし、かの地へ栄養のたっぷり詰まった野菜ないし果物を貰いに行こうと、思いついたのだった。 大烏はびゅんびゅんと雲を追い抜き、夕暮れまでには奥州へとたどり着いた。 片倉小十郎の納屋を覗くと、すべての農具が綺麗に洗われ片付けられている。(この時間だしな) 仕方が無いと息を吐き、佐助は耳を後方に寝かせながら小十郎の仕える伊達政宗の屋敷へ足を向けた。 佐助は、この伊達政宗という男がどうにも苦手、というか嫌いでならない。主の好敵手として自他ともに認められているあの男は、これみよがしに佐助の前で幸村を構い、からかっているように見えた。そうして、その後に挑発するような目を佐助に向けるのだ。(顔を合わせなくて、すみますように) 思い出すだけでも、むかむかとしてくる顔を見ずに済むなら、それに越したことは無い。けれど「なんだぁ、子ぎつね」 小十郎の匂いを追って屋敷の中を進めば、政宗の私室にたどり着き、顔を合わせることになってしまった。 心底の不快を隠そうともしない佐助に、にやにやとした政宗が「なんだ。真田幸村の、使いか?」 手招いてくる。「旦那がいちいち、アンタの事を気にかけているとか、思っていたら大間違いだぜ」 ふん、と鼻を鳴らして見せれば口惜しいほどに憎らしい笑みを浮かべられた。「そう言うってこたぁ、アイツも俺と手合せがしてぇとかなんとか、時折口にのぼせてるってぇ事か」 ぶん、と言葉を打ち落とすように、佐助のしっぽが動いた。「忍なら、もう少し感情を隠す努力をしたほうが、いいんじゃねぇか? Obedient young fox」「政宗様」 剣呑な二人の空気に、諌める小十郎の声が割って入った。「しかし、真田からの使いじゃ無ぇんなら。何の用で来たんだ? 猿飛」 人としての働きをする折につかう苗字で呼ばれ、息を吐いてムカつきを追いやった佐助は「片倉の旦那の、畑の野菜なり果物なりを、分けてほしいんだ」 そうして、事のあらましを説明し「もちろん、ただでもらおうなんて、思っていないから」< 懐に手を入れて、笹の葉でくるみ、竜の髭で縛ったものを取り出して、小十郎の傍に寄る。手を伸ばした小十郎の上にそれを置けば、竜の髭を解いて中身を確認した小十郎が「これは――」 問いとも、独り言ともつかぬ声を出した。それに、腰に両手を当てて胸を逸らし「狐の丸薬だよ。そんじょそこらの、人が作ったものなんかより、ずっと効くぜ」 ふふんと耳を自慢げに動かした。「ほう――」 小十郎の吐息に引き込まれるように、傍に来た政宗も覗き込み「何に、効くんだ」「体力が落ちた時や、腹痛を起こしたときなんかに有効だね。大けがをしたりして、食欲が無いときに与えれば、粥を食べられないくらいに弱っていても、栄養を取ることもできるし。一年は保つから、そんだけあれば有事の際に便利だと思うぜ」「狐の薬が、人間に効くのかよ」 からかう色に気付いてはいたものの、なぜか政宗の言葉にはムキになってしまう。「旦那にだって、飲ませたことがあるんだ。問題があるわけが無いだろ。だいたい、俺様、そんな卑怯な事はしないっての」「アイツの体力は、人間離れしてるからなぁ」「自分の体力が無いって、言っているように聞こえるけど? そんなんで、よくも旦那の好敵手だとか言えるよね」「生意気な狐だな」「生意気な竜に、言われたくないね」「政宗様! 猿飛、オメェもだ」 咎める声に、二人して口をつぐむ。丁寧に丸薬を包みなおした小十郎が「こいつは、有りがたくもらっておく。野菜も、好きなだけ持って帰ればいい。だがな、猿飛。春や夏は、南から順番にやってくるが、秋や冬は、北からも入ってくる。ここ奥州が、甲斐よりも夏が残っているとは思えねぇ」 そう言われて、ずいぶんと涼しいことに気付いた。「じゃあ、瓜や胡瓜は無いっての?」 しゅん、と耳としっぽをしおれさせた佐助に笑みかけ「夏の盛りは過ぎちまったが、栄養たっぷりの茄子の漬物やなんかもある。それを冷やして茶請けにしても、旨いだろうぜ」 むろん、瓜も残っているやつを持って帰らせてやると続けられ、佐助の耳が嬉しげに、ぱたぱたと動いた。「水ナスもあっただろ。それも、持って帰らせてやりゃあいい。あれなら、そのまま冷やして生で食っても旨いしな」 政宗の言葉に、小十郎が「そうでしたな」 頷いた。「ありがと。助かるよ」 幸村に良い土産を手に入れることが出来たと、彼の笑みを思い出して胸を膨らませる佐助に「だが、条件がある」 きらり、と政宗が目を光らせた。「条件?」 ふわふわとした気持ちを引き締めた佐助に「何。簡単な事だ。今から帰れば遅くなる。どうせ、小十郎が泊まって行けと言うにきまってる。そこでだ、子ぎつね」 ぐ、と政宗が真剣な顔で身を寄せて来たので、佐助も引き込まれるように顔を近づければ「そのしっぽ、寝る前の手慰みに使わせろ」 真剣な目のまま、口の端を上げた政宗の言葉に、ぶわ、としっぽが膨らんだ。「少しぐれぇ、かまわねぇだろう?」「政宗様。あまり、嫌がることを申されますな」「なんだ、小十郎。テメェは触りたくねぇのかよ」「は、いや、それは……」「触りてぇんだろ」 念を押され、口ごもる小十郎の姿を見て盛大に息を吐いた佐助は「ま、一泊の恩ってことで少しなら、かまわないけどさ、帰る前には上等の櫛でふわふわにさせてくれよな」「だとよ、小十郎」「帰す前に、とびきりふわふわに梳いてやる」「じゃ、交渉成立って事で。一晩、世話になるぜ」 にこりと笑った子ぎつね佐助は、寝る前に政宗と小十郎に自慢のしっぽのみならず、耳まで愛でられつつ、長旅の疲れからか、二人の手の優しさからか、うとうととしはじめ、ゆっくりと心地よい眠りに誘われるままに、瞼を伏せた。 そうして眠る子ぎつねは、大好きな幸村と陽だまりの中で笑みを交し合いながら、甘くみずみずしい冷菓を楽しみ、存分に労われる夢を見た。「俺の為に、このように美味なものを求めてくれるとは。俺は、三国一の果報者だな」 まぶしい笑みに照らされて、佐助の胸は綿雲のようにふわふわもくもくと、あふれんばかりの喜びにはちきれそうになる。 そしてそれは、甲斐に戻ってすぐに、正夢となり――――。2012/09/04