ぶしんっ! 大きなくしゃみに、子ぎつね佐助のしっぽは驚きに膨らんだ。見れば、真田幸村が鼻の下を擦っている。「旦那、風邪ひいたの?」 大きな耳を幸村に向ければ、安心させるように頭を撫でられた。「少し冷えただけだ。問題無い」 陽だまりの笑顔につられ、佐助の顔をゆるむ。けれど心は(最近、朝晩と肌寒くなっているし、旦那は寝汗をかいたりするから、冷えちゃってるのかも) 心配に凝っていた。 ひょいと抱き上げられ、朝からしっかり毛並を整えておいたしっぽを、ふかふかと幸村が愛でる。「佐助のしっぽは、温かいな」「旦那も、十分に温かいぜ」「そうか」「うん」 ぎゅう、と抱きしめられて、はぁ、と息を吐く。他の誰かにこうして抱かれることを、めったに許さぬ佐助だから、他の人間がどうかはよくわからないが、幸村は他の人よりも温かいと思っている。だからこそ(冷えたら、大変なんじゃ……) さきほどの、盛大なくしゃみを思い出して眉を寄せた。「では、そろそろ、お館様との修練に行ってまいる」 降ろされ「佐助は、今日の予定はあるのか?」 問われて少し考えてから「ちょっと、出る用事があるからさ。部屋の前に、着替えと手ぬぐいを用意しておくから、修練が終わったらすぐに体を拭って、着替えておいてよね」 ぴっと指を突き立てて言えば、わかったと幸村が頷いた。 そうして幸村を見送り、さらりとした長着と手ぬぐい、下帯までも用意して、少し考えてから羽織も整え「これで、よし、と」 頷いて、佐助は大烏を呼んだ。「頼むぜ」 その背に乗れば、大烏は大きな翼を広げ、南へ南へと進んでいく。ぐんぐんと山々を通り越し見慣れぬ景色に目を細め、佐助が向かっているのは中国の覇者、毛利元就の所だった。彼の所には大陸から渡ってきた珍しかな薬草があるという。その中で、高麗人参という、とても滋養に良いものがあると聞いたことがあった。それを、わけてもらおうと佐助は考えていた。 びゅんびゅんと風を抜け、きらきらと輝く海に目を細めながら、大烏は高度を下げて毛利元就の居城の屋根へ降りる。背中から屋根上に降りた佐助は「帰りも、頼むぜ」 懐から団子のようなものを取り出し大烏に与え、屋根からさかさまに部屋の中を覗き込んだ。「誰も、いない」 見回し、床に降り立つ。人の気配の全くしない部屋を歩き回り、窓から外を眺めた。「しばらく、帰ってこないのかな」 さてどうしようか、としっぽをふりふり考えて、下手に探し回るのも良く無いだろうと判じ、鳥笛を取り出して毛利元就の居場所を探して教えてくれるよう、周辺に居る鳥たちに頼んだ。「よろしく頼むぜ」 鳥からの報告があるまでは、のんびりしようと窓辺に座る。よい天気なので、たっぷりとしっぽに日の光を浴びておき、よりふかふかにして幸村と眠るときの暖になるようにしておくことにした。 しばらくして、鳥たちが子ぎつね佐助の傍に寄り、毛利元就が間もなく帰ってくることを教えてくれた。「そっか。ありがと」 木の実を鳥たちに分けていると、次々と小鳥たちが集まってくる。両手でも足りないくらいの小鳥に囲まれ、たわむれていると襖が開いて「…………」「あ、邪魔してるぜ」 表情の抜け落ちたような、人形のような男に、小鳥に囲まれた子ぎつね佐助は気安い声をかけた。「あんた、毛利元就だろ」「――我の部屋で、何をしている」 わずかに表情が動き(あ、もしかしてさっきの、驚いてたのかな) 思いながら立ち上がれば、小鳥たちが一斉に羽ばたいた。二人で飛び去る小鳥を見送った後、ふむと値踏みをするように佐助を眺めた元就が「甲斐の子ぎつねか」「あれ。俺様ってば、そんな有名?」「長曾我部が、言うておったのを思い出したまでのことよ」「ああ、鬼の旦那かぁ」 以前、あったことのある大柄で気風の良い男を思い出し、頷く。「領土も近いし、話をしたりする機会も、あるだろうしなぁ」 それに、いささか機嫌を損ねたように眉をわずかにしかめた元就が「何処から入った」「空から」 こともなげに天井を指させば「貴様は、鳥と懇意に出来るのか」「懇意ってほどじゃないけど、ま、手伝ってもらって礼をするくらいの関係では、あるかな」「ほう――?」 興味深そうに声を漏らした元就に「それよりさ。俺様、ちょっと頼みがあるんだけど」「無くば、わざわざこのような所まで来ぬであろう」「そりゃそうだけどさ――もうちょっと、柔らかい言い方が、あるんじゃないの?」「貴様にそのようなことを言われる筋合いなど、無いわ」 ゆっくりと脇息にもたれて座る元就に、ひょいと肩をすくめてから姿勢を正して向かい合うように座った。「高麗人参を、分けてほしいんだ」「何の為に」「寒くなる前に、滋養をつけさせようと思ってさ」「――真田幸村か」 ふむ、と少し考えるそぶりを見せてから「あれが、我が元へ下ると言うのなら、与えることもやぶさかではないが」「旦那は、大将以外には仕えない」「ならば、貴様が残るか。良い駒となりそうだ」「冗談。俺様は、旦那以外の傍にいるつもりは無いよ」「では、何も無く高麗人参を手にしようと思うて来たのか。しょせんは、獣の浅はかさ――」「手土産なら、あるぜ」「ほう? 見せてみよ」 自慢げに立ち上がった子ぎつね佐助は、髪の間に隠しておいた小さな巾着を見せた。「それは、何だ」「鳥笛だよ」「鳥笛?」 別の、先ほど自分が使ったものを取り出して吹く。すると、またたく間に小鳥たちが集まった。得意げな顔をした佐助が「船で海を行く時に、海鳥を呼べば何かと役に立つとおもうぜ」 提案をすれば、珍しかなものを見たと顔に示した元就が「我は、鳥の言葉はわからぬ」 冷ややかに言う。「鳥の言葉がわからなくっても、鳥があんたの言葉をわかれば問題ないだろ」「……どういうことか、申してみよ」「たとえば、この鳥に手紙を運ばせるとか、さ」 軽く片目をつぶって見せれば、なるほどと元親が頷く。「下手な密使を使うより、鳥に任せた方が早く届けられると言う事か」「悪い話じゃあ、無いだろう。もちろん、ちゃんと使った鳥には礼をしなきゃ愛想をつかされるけどさ」「礼、とは」「鳥だから、木の実や草団子、虫や魚を好むのもいるけど……まぁ、たいていは小麦を練ったものとか、そういうので大丈夫だろ」 自分の言葉に頷きながら佐助が言えば「高麗人参の数は、それがどれほどに仕えるものかを分かってから、送り届けるとしよう」「ええ。俺様、今すぐに欲しいんだけど」「ならば、まずは」 す、と立ち上がった元就が、小箱を引き寄せ抽斗を開けて紙の包を取り出す。「粉末にした者を、持って帰るが良い。今宵の粥に使うくらいならば、十分な量がある」 差し出してくるそれを、傍に寄って掌に受けた佐助は「ずいぶんと、慎重なお方だねぇ。毛利の旦那は」「どのようなものかもわからぬうちに、安易な取引をするは愚の骨頂よ」 ふうん、とつぶやく佐助の脳裏に、豪快な元親の姿が浮かんだが、口にするのは良く無い気がして「それじゃ、これ」 代わりに、巾着を元就に渡した。巾着から鳥笛を出した元就は、ためつすがめつしてから唇を押し当て、軽く吹く。佐助の周りに集まっていた小鳥たちが、元就の傍へ移動した。「ほう……」「ついでだから、鳥たちへのお礼も渡しておくよ」 懐から笹でくるんだものを渡し「俺様特製だぜ。高麗人参とか、もし定期的にくれるなら、これをお返しに送り届けてもいいよ。あ、ちなみに鳥専用だから、人は食べない方がいいぜ」 きら、と目を光らせて言えば、包みを開けた元就が「そのようだな」 匂いを嗅いで、顔をしかめた。「じゃ、使い勝手が良ければ、必ず追加を送り届けてくれよ」 言いながら指笛を吹けば大烏が現れる。目を丸くした元就に「こいつは特別だから、それじゃあ扱えないけどね」 言いながら背に乗り「それじゃ。もし約束が反故にされたと思ったら、怖い目にあわせちゃうから覚悟しておいてくれよ」 手を振り、幸村の元へと急ぎ戻った。 甲斐に戻ってすぐに、夕餉の支度にとりかかった佐助は、粥に高麗人参の粉末を混ぜたものを膳に乗せた。「これは――」「しっかり、栄養を取って風邪なんかひかないでくれよ、旦那」「うむ。ありがたく、いただこう」 食事の間、どうやって高麗人参を手に入れたかを離す佐助に、いちいち驚いたり感心したりした幸村は最後に「俺の為に、遠くまですまなかったな」 柔らかな声で、ねぎらった。「旦那が風邪を引いちまった方が、大変だからね」 照れくささに憎まれ口をたたく佐助の胸は、ほこほこに温まっている。そんな佐助を膝に乗せ、幸村はもう一度、礼を言った。 後日、やたらと長い、巻物のような手紙をトンビが子ぎつね佐助宛てに届けに来た。全て読み終えた佐助は、大きな木の葉に返事をしたためトンビを帰す。 それから数日の後に、高麗人参やイカの日干しなどが入った木箱が、毛利元就より佐助宛てに届けられることとなった。2012/09/12