見上げれば、満天の星。 月の姿さえも、かすんでしまうほどの。 傍らにある弦月の前立てに目を向ける。鈍く光るそれに、伊達政宗は皮肉な笑みを向けた。「小十郎」「は」 傍に控えている男に、声をかける。――片倉小十郎。主、伊達政宗の失った右目と称される男は、短い言葉で彼の心中を推し量ることが出来た。すい、と膝を進めて用意をしていた盆を滑らせ、杯を取り差し出す。空を見たまま掌を見せられ、杯をその上に置き、酒を満たした。政宗は杯も小十郎も見ることなく、腕を動かし唇を湿らせた。 屋敷の、庭を眺められる部屋である。障子をあけ放ち、藍色に染まる世界に視線を投げていた。「小十郎」 空になった杯が、小十郎の前に移動した。「飲め」「は」 杯を受け取ると、政宗が手ずから酌をした。「頂戴いたします」「Ah」 小十郎が、口をつけた。 腰を上げた政宗が、ぶらぶらと庭先に出でて「the state of being extremely beautiful」 星を浴びるように、目を細めた。 小十郎が、膝をついたまま縁側に出て政宗を見つめる。 政宗の頭上には、白く輝く天空の川があった。 深息をして「あの川を」 両手を伸ばし、広げ「カササギが、橋となって対岸をつなぎ、牽牛と織姫を渡らせる」 誰に語るでもなく声を発する様は、小十郎の目に梵天丸と呼ばれていた頃と、重なった。「もし、俺が竜なら」 ぱたり、と両手をおろし「あの川を上り、渡り、繋げてやれる」 遠い目をした横顔は、何を見ているのか。「小十郎」「は」「天下を」 振り向いた顔は、甘えを拭い去った瞬間の、天下を――と初めて口にした幼名時と同じで「必ずや」 深く強く、小十郎は応えた。 ふっ、と政宗の気配が和らぐ。照れたように頭を掻いて「家康みてぇだな」「は?」「男女の逢瀬を助けるために、繋げてやるなんざ。それか、お祭り男か」 絆のかけはしに、と力強く訴える姿を思い出し、自然と唇が持ち上がった。「笑うなよ」「そういう意味では」 ばつの悪そうな顔をして「アイツの目指すモンは、悪かねぇ。あの、お祭り男の言っていることも、一理ある。共感も、出来ないことはねぇ。――――けどな」 掌を見つめ、握り「俺が目指しているモンとは、違う」 静かに、小十郎が頷いた。「元親と俺を、似ているという奴もいるが――アイツの描いているモンも、違う」 小十郎が、頷く。「目指す大前提は、誰もかれもが同じことを言いやがる。けどな――違うんだ」「おなじ大きさの、同じ質の紙に、同じものを描こうとしても、筆を執る手が違えば、おのずと違ってまいりましょう」 政宗が、頷いた。「さればこそ」 瞬く。「ゆめゆめ、己を忘れませぬよう――」「Ah?」 首をかしげた政宗に、目元を柔らかくして「ご自身を、おろそかになされませぬように、と申し上げております」「ん?」 小十郎の脳裏には、そのようにしていると見えた男の姿があった。「政宗様が心より笑えることなくば、それがいかに住みよく、美しい場所であったとしても、この小十郎、そのような場所で安穏とは過ごせません」 穏やかな物言いに「竜宮の城なら、問題無ぇか」 からかうように言えば「永久に、住まわせていただきたいですな。煙に巻かれて知らぬ間に年を取るのは、御免こうむりたく」「HA!」 政宗の楽しげな声が、夜気に響いた。「違ぇねぇ」「政宗様」「ん――」「今年の七夕の祭りですが」「なんか、問題でもあるのか」「いえ――民には何ら影響はないかと存じますが」 そこで、察した。「Ah――情緒も何も無ぇ無粋な連中の相手を、しなくちゃなんねぇんだったな」 政宗が筆頭となったとはいえ、小さな火種はあちこちでくすぶっている。それが燃え上がらぬうちに鎮火させねば、虎視眈々と躍り出る機会を狙う者たちに隙を与え、いらぬ混乱を招く。そうなれば、一番に被害をこうむるのは民百姓であった。「おのおのの甲冑に、飾りを一つ、つけて参らせるのはいかがかと」「甲冑に――? おもしれぇ」 にやりと、政宗が悪童の顔になった。「なればさっそく、そのように準備を進めましょう」「――どうせなら、派手に行こうぜ小十郎」「いかに、なさいます」 袖の中に手を入れて組み「陣を、飾りつけちまえばいい」「それは――」「旗指物の代わりに、飾り立てた青竹でも背負わせるか」「そこまでは、承服いたしかねます」「Tut 」 唇を尖らせた政宗が「甲冑に、飾りと短冊だけか」「いえ――飾りのみです」 すがすがしく晴れやかな顔をして「政宗様の背にこそ、我らの願いが、したためられているのですから」 小十郎が発した言葉に目を丸くし「違ぇねぇ」 面白そうに、喉を鳴らした。「天の川すらも昇り尽くすほどの竜と、おなりあそばされよ」「I know what I am about――振り落とされねぇように、しっかりついてこいよ。皆まとめて、あの川を渡らせてやる」「は」 竜の頭上に、たっぷりと清水を抱えた天の川が、流れている。 時の川の流れを越えて、遥か遠い夢を見るたびに、人は旅の途中であると識る。流れ流れていつか消えゆくとしても、だれにも止められない。 時の川は、続いていく――――。2012/07/03