さわ…… ススキが、揺れている。 伊達政宗を、手招くように。 ぼんやりとススキの原を眺める政宗は袂に両腕を入れて組み、傍にある大木の幹に体をもたせかけていた。 月光が、薄青い世界を浮かび上がらせている。 すべての輪郭をあいまいに、けれど鮮明に照らす光の中で、政宗もまた、輪郭をおぼろげに、けれど鮮明に姿を世に映していた。「――There is a bright moon」 ほう、と息を吐いて見上げる空にはふくらみ始めた月がある。 白く輝くそれは、白刃の切っ先にも見えた。「政宗様」 背後に草を踏む音がして、ほどなく声がかけられる。振り向かずとも、それが誰かを知っている。 無言のまま、振り向かぬままの政宗の背に寄り添うように、片倉小十郎は立った。「良い、月ですな」 夜気に、小十郎の声が滲み、溶けた。「Ah――良い、月だ」 あるかなしかの風が、政宗の言葉を乗せて、いずこかへ運んでいく。 ススキが、遠慮がちに手招くように、揺れている。 彼岸の入り――ススキが、悲願を全うできずに涅槃へ旅立った者たちを代弁するように、政宗を手招いている。「静かだな」「――静かですな」 ススキが、手招く折に触れあう音だけが、耳にある。 瞼を下した政宗の耳に、押し寄せるように声の波が現れ、人々の笑顔が、苦悶の顔が、渦のように瞼に浮かんだ。 ――筆頭! ――政宗様。 自分を呼ぶ、声。 期待を、信頼を浮かべた顔。 困惑と、恐怖を抑え込んだ血濡れた顔。 憎悪にゆがんだ鬼相。 慈愛を浮かべた苦笑。 さまざまな声と顔――感情が、政宗の意識に寄せては返し、足元から濡らしていく。 多くの笑顔と、多くの恨みと、多くの期待と、多くの憧れ――それらが、無数に散らばる星々のように、伊達政宗という魂を中心に存在していた。「政宗様」 遠慮がちな声に、瞼を持ち上げる。 最後に浮かんだ顔に、政宗の唇がゆがんだ。 ぎらぎらと輝く、獲物を狙う獣の瞳――子どものように、邪気のない嬉しげなものを浮かべた唇。 紅蓮の鬼、真田幸村。「I don't care」 首をめぐらせ「アイツらに、地獄で顔向けが出来ねぇような生き方は、しねぇよ」 目を合わせずに、小十郎を見た。「…………」 音の無い声を、小十郎がこぼす。それを拾った政宗は、肩で木の幹を蹴り、歩き出した。 その背後を、小十郎が付き従う。 無言で、ススキの横を歩く二人を誘うように、ススキは揺れ続ける。 白い泡波のような穂が、政宗の足を絡め取ろうと揺れている。 渦を成す彼に向けられた感情で、意識を飲み込み狂わせようと、揺れている。 その横を歩く政宗の背後に、幾度も飲まれる寸前に彼の腕を掴み、引き揚げてきた男が続く。 押し寄せる感情の防波堤として、その背を預かり守る男が、ススキの原を見つめて歩く主の姿を見つめている。 月が、青と白に世の中を塗りつぶし、覆い隠す。 多くの色を失った世界は、色のある世界では見えない、小さな闇と光に気付かせる。 そうしてそれが、ひたひたと魂に訴えてくる。 魂を乱そうと、迫ってくる。 よそよしくもなく、なれなれしくもない秋の気配が政宗を撫でる。それが彼を包んでしまわないように、小十郎が控えている。 無言で、ただ、歩いている。 あの世とこの世の境界が、ジワリと滲んでゆるくなる。 ふわふわと、その狭間を行く政宗を、小十郎は油断のない目で――遠く近い悼みを含んだ瞳で、見つめていた。 何が正しくて、何が間違いなのか。 何を目指し、何を求められているのか。 すべては人の数と等しく、すべては唯一であった。 政宗の目指すものは、彼の背を支える人の数と等しく、寄り集まって太い綱となったそれは唯一であった。 その綱の綻びやささくれが、あの世とこの世の境涯が薄まる時節に、政宗の魂を惑わせ傷を抉ろうとする。 小十郎は、それを強く薄い布で包み、時にはささくれを排除して、伊達政宗という存在の輪郭を整えた。 ススキが、手招く折に触れあう音だけが、耳にある。 月光が、薄青い世界を浮かび上がらせている。 すべてがあいまいで、すべてが鮮明な世の中を、伊達政宗はただ、月を見上げて歩んでいる。 その背には、窒息しそうなほどの感情の波が押し迫っていた。 静かに、押し流されぬように、片倉小十郎が彼の魂に寄り添い、歩んでいる。 ススキが、揺れている。 伊達政宗を、手招くように――――。2012/09/20