メニュー日記拍手

オニギリザムライのアンゾ〜様が
ブログにUPされていた寝起き無精ひげ小十郎絵を見て
脳みそが爆発してしまい、その勢いのままに書いてしまった話です。
片倉様の穏やかな休日

 瞼の裏が赤く染まり、日が昇っていることに気付いた小十郎は、ゆっくりと瞼を上げた。体が心地よいだるさに包まれているのは、久方ぶりに疲れを表面に浮かせるほどに芯から体を温めて、眠ったからだ。
 昨夜は久しぶりにのんびりと湯に浸かり、骨の芯まで温まってから臥所に入った。
 ほかほかと皮膚から湯気が立つほど――肌が赤く鮮やかに、山の木々のように染まるほど、のんびりと疲れを癒したのは久方ぶりだった。

 奥州筆頭、伊達政宗の体の一部――竜の右目と称されるほどの腹心、片倉小十郎は筆舌に尽くせぬほどの責務を負っている。領民や兵を使い捨てのできる、湯水のように湧きあがる道具のように思う大名は多い。それは、身分の明確な区分けも要因の一つではあったが、細やかなものにまで目を向けることは、大変な難儀であるということも関係していた。民に深く目をかけ、兵の一人一人にも声をかけて慕われる政宗の気質を生かせるような統治の法は、小十郎の補佐と目配りがあってこその安寧であると、誰もが思うともなしに気付いていた。
 政宗自身が常軌を逸した武芸の達人である上に、片目の光を失ったことで人には見えぬものが見えるようになったと、本人がうそぶくほど人を見る目に自信を持っているからこそ、気安く民の中へ身を投じて過ごすことができるという側面もある。けれど、それは全て細やかな情勢や状況を小十郎が余すことなく――それこそ、どのような些細なものでも、取るに足らない下らない情報でも良いから、何でも報告を上げるようにと命じており、政宗の外出には目を光らせて――小十郎の予定を確認しながら、こっそり抜け出そうとすることもあるが――いるからこそであると、政宗当人をはじめ、周囲の人々も知っている。
 そんな小十郎であるから、のんびりと湯に浸かっている間も無いことがほとんどで、物の怪の跋扈する時間となっても、火を灯して政務や軍議の準備を整え、眠ったとしても暁闇に星々の姿がまだあるころには目をさまし、身支度を整えて朝餉の前に当日の準備を全て整えるということが常であった。
 そうして今は、彼の趣味――を通り越して専業の者も及ばぬほどの、他国にまでその評判が流れるほどに熱心に取り組んでいる野菜作りの、収穫時期でもあった。実りの秋の収穫は、早すぎても遅すぎても野菜の味を損ねる。また、稲刈りで農村は大わらわで、その手伝いまでをも小十郎は手の空いている兵士らと共に行っていた。
 通常の業務に加えての、野良仕事。その間も気を緩めることのなかった小十郎の、細やかな采配に遺漏のあるはずもなく、人々は戦場での二つ名――鬼の小十郎という呼称は本当で、彼は人では無いのではと言いながらも、彼が体を壊してしまいはしないかと心中で気遣っていた。
 そうして野良仕事も大詰めを迎え、あとは収穫した野菜が冬を越せるように処理すれば終わりという段になり、彼の主である政宗は小十郎に、しばらく休めという厳命を下した。
 突然の命令としての休暇に、小十郎は目を丸くした。群雄割拠のこの時代、軍師であり腹心でもある自分が休めば、どのようなことになるか。軍議の席での命令であったため、小十郎は自分が休むわけにはいかないと、理を踏まえて政宗に訴え、列席している武将らにも自分が休むことは出来ないのだと告げた。だが、政宗は頑として小十郎の訴えを聞き入れなかった。
「そんなに、俺たちが信用ならねェか」
 憮然とした声で、腕を組んだまま言われた小十郎は、即座に答えた。
「そういうことでは、ございません。まぁ、政宗様がおとなしくなさってくだされるとは、思えませんが…………」
 皮肉とも取れる小十郎の返答に、政宗は小さく舌打ちをして、小十郎が休んでいる間はおとなしくしているさと、小十郎からすれば眉つばものの約束を口にした。
「最近の小十郎は、傍目から見ても心配になるぐらいだ。幸い、今はどっこもおとなしくしていて、旗を掲げて進軍する気配は無いんだろう? 野良仕事だって、一段落がついたらしいじゃねぇか。小十郎が倒れちまったほうが、ずっと問題だろう。竜の右目つったって、人であることには変わりねぇんだからな。…………それに、働きづめの小十郎を見ていりゃあ、他の奴らも休むに休めねぇだろう? 他の奴らが安心して休むためにも、休暇は取ってもらうぜ――You See?」
 なるほど、と説得の言葉に小十郎は首を縦に振った。自分が働いていることで、気を使って休めぬ者もいるだろう。小十郎が大丈夫だとは言っても、その場では納得をしたふりをするものの、心中はそうではなさそうな、気を使って過労を行いそうな数人の顔が、政宗の言葉で小十郎の脳裏に浮かんだからだ。
「それじゃあ、そういうことで――今から明後日の朝議までは、小十郎は休暇中だ! 誰も、小十郎に仕事の話を振るんじゃねぇぞ!」
 朝餉の後の軍議で発された、政宗からの『片倉小十郎―完全休暇命令』は、すぐさま全軍どころか里にまで伝えられ、軍議の後から小十郎は完全なる暇を与えられることとなった。

 突然与えられた休暇を受け入れるため、小十郎がまず行ったのは、やりかけの政務や何やらの処理だった。
 書類を整え、必要事項を伝え置かないことには、心安く休暇を過ごすことなど出来ない。なんで働いているんだと、半分怒り気味の主の言葉に小十郎はそう答え、なるほどもっともだと納得をした政宗は、それらを手伝うと言いだした。
「政宗様の手をわずらわせるわけには、まいりません」
「Whay are you saying 小十郎が休暇を取っている間に、俺が把握できないことがあったら困るだろうが。小十郎が居なくとも、連絡がこれば理解が出来るように、しておかなきゃならねぇだろう」
 それもそうだと納得をした小十郎は、それではと政宗に遠慮なく自らが行っている仕事の引き継ぎを行いはじめた。
「Wait! Wait、Wait!」
「……は?」
「おまえ……こんだけのことを、一人でしていたてぇのか」
 次々と矢継ぎ早に渡され説明をされる書類の束に、政宗の片頬が引きつっている。それを見ながら小十郎は、さらりと答えた。
「何か、問題でもおありですか?」
 嫌味でも何でもなく、当然のようにそう答えた小十郎に、眉間に指を当てて「Ah……」と政宗が唸る。
「政宗様?」
「OK――わかった。小十郎……俺が全部を引き継ぐのは、無理だ」
「では、適任をこちらから指名し、引き継がせていただいてよろしいか」
「良いも悪いも無ぇよ。そうしてくれ」
 うんざりと――少々ぐったりとした様子の政宗に、そうですかとこだわり無く言った小十郎は、さっそく残りの仕事を引き継ぐに足る人物の元へ足を運び、申し送りを行った。
「片倉様、なんでこんなところにいるんスか! 休めって、筆頭に言われたんでしょう」
 政務の引き継ぎを終えた小十郎が、次に向かったのは厩だった。
「ああ――馬の様子と、農具の手入れをな……」
「そんなこと、俺らに言ってくだされば、しておきますって。馬の事も、畑のことも忘れて、ゆっくりと休んでくださいよ」
 馬番にそう言われ、ふむと視線をめぐらせてから
「政宗様が、遠駆けに出かけると言っても、明日は馬を出すんじゃねぇぞ。――わかってるな」
 声を一段低くし、目の端を鋭くすれば、馬番は言葉を飲み込み棒のように体をまっすぐにして、カクカクと首を縦に激しく振る。この様子なら、政宗が万一にも馬を出せと言ったとしても、小十郎に止められているからと泣き落としでもなんでもして、政宗の馬を出さないようにするだろう。政宗も、小十郎からの叱責に怯える相手に無理強いはしないはずだ。
「なら、農具や畑のことも頼んだぜ」
「片倉様の畑や道具のこと、しっかりと承りましたッ!」
 びしっと答える様子に、満足そうに頷いて立ち去りながら、あとは何か無かったかと、小十郎は思考の隅にまで意識を向ける。
 ――あの件は明後日でも問題は無いし、万が一の時にはどうすればいいかの指示も、すでに出してある。この件は申し送った奴でも、十分に処理が出来るだろう。あとは…………。
 考えながら進んでいた小十郎の足が、ぴたりと止まる。一番の心配事は、やはり……と足を向けて行き着いた先は、政宗の私室だった。
「政宗様」
「Ah?」
 いささか棘のある、いらついた声が返ってきた。障子を開けて顔を覗かせると、声のままの顔をした政宗が、片膝を立てて筆の尻でこめかみを掻いている。
「なんだよ、小十郎――まだ、やり残した事があんのか」
「はしたのうございますぞ、政宗様」
「うるせぇよ。小娘じゃあるまいし、はしたねぇも何も無いだろう。それに、ここは俺の私室だ。どんな格好でいても、かまわねぇだろう」
 政宗の文句を受け流しながら部屋に入った小十郎は、障子をしっかりと閉めて彼の傍に寄った。
「――なんだよ」
 傍近くまで来て、まっすぐに見つめてくる小十郎の静けさに、筆を置いた政宗が立てていた膝を整える。
「政宗様」
「だから、なんだよ」
「この小十郎、休暇をいただくに当たり、いちばんの気がかりは政宗様の事であると、思い至りました。
「俺が、鬼の居ぬ間に洗濯だとか言って、どっかに飛びだすとでも思ってんのか」
「それも、無論あります。ですが、そうではありません」
「どっちだよ」
 ふう、と息を細く吐き出した小十郎が、ひたりと政宗を見据える。
「私が、政宗様の事を気に掛けぬ日はございません。それは食事をする事――いえ、息をする事と同じほどに、この小十郎の中では自然な事となっております。気にかかる政務の申し送りなどは、全て済ませました。今より、明日丸一日のんびりと過ごすために取り除かなければならない気にかかる事は、政宗様ご自身のことのみとなりました」
「――――なんか、すげぇ……なんつうか、過保護にされているっつうか、ガキ扱いされてるような気がするんだが」
「政宗様の御身は、この奥州そのものと言っても過言ではありません。政宗様、くれぐれも、無茶はなされませぬようお願い申し上げます」
 背を伸ばし、きっちりと手を着いて頭を下げられ、そんなに俺は無茶ばっかりしてるように見えるのかよ、とこぼす政宗は、多少の自覚はあるらしく苦い顔になっていた。
「OK、わかった。俺の大切な右目が疲れでぶっ倒れちまわないように、安心して休めるように明日はおとなしくしておく。――ついでに、遅くまで薄着で月を見ながら呑んだりもしねぇし、寝るときはきっちり腹巻もして、足元から肩までしっかり綿入れにくるんで寝るようにもしておくぜ」
 後半は、冗談半分のつもりで言った政宗だったが
「眠る前に、生姜湯など召し上がられますよう、お願い申し上げます」
 と、続けられて「本当にガキ扱いかよ」と口内でこぼすことになった。
「それでは、安心して今より休暇をとらせていただきます」
「Ah――しっかり休めよ。小十郎には、誰も構うなと言ってある。せっかくだ。丸一日寝て過ごしたって、かまわねぇんだぜ」
 ニヤリとする政宗に、ふうわりと目じりに笑みを浮かべた小十郎の、秋の落葉が放つ甘い香りに似た柔らかさを感じて、ぽかんと目と口を開けたまま、政宗は彼が退室するのを見送った。
 そうして休暇を取る準備を終えた小十郎は、さっそく私室にもどり伸びをして、ぼんやりと紅葉する庭木に目を向け茶を啜った後、そういえば最近は忙しく、烏の行水だったなと思い至り、せっかくの休養だからと長風呂をするために部屋を出れば、すぐに支度をいたしますと声を掛けられ、日ごろは小十郎に気に掛けられ世話を焼かれているばかりの面々が、ここぞとばかりに背中を流しましょうかと言って来たり、湯加減はいかがですかとこまめに声をかけてきたりして、苦笑を浮かべることになった。
「そんなに、声をかけてこなくとも用があれば、俺から言う。静かに、湯を楽しませてくれ」
 そう言った小十郎に、しぶしぶながらも面々は承諾し、こんどは驚くほどに静かになった。
 体を動かせば、水の音が響く。外からは、秋の虫の声が聞こえてくる。もっと耳を澄ませば、時折爆ぜる木の音すらも耳に届いた。
「ふう――」
 息を吐き、温まった掌を閉じた瞼の上に乗せる。じんわりと目が温められて、疲れがにじみ出ては湯の中に溶け落ちてゆく。これほどに、のんびりと湯を楽しむのは、どのくらいぶりだったろうか。
 そう思いながら小十郎は、肌身が朱に染まるほどに温もり私室に戻ると、ほかほかと温かい肌が冷える前に寝床に入り、眠りについたのだった。

 目を大きく開けられないほどの、まぶしい光に部屋中が照らされている。今は何刻ほどだろうかと思いながらも、小十郎は光から体を隠すように寝返りを打ち、綿入れの中に頭まで沈めて丸くなった。
 ほこほこと湯で温まった小十郎の体を包んだ綿入れは、一晩中心地よい温もりを保ち――今でも、外に体を出したくないと思うほどの温かさで小十郎を抱き止めている。
 今日は好きに過ごしていい。――昨日、唐突に与えられた休暇を、何の心配事も無く好き放題に体と頭を休めるために、遺漏なきよう引き継ぎを済ませてある。小十郎がこのまま、夕方まで眠って過ごしていたとしても、誰も何も困らないように、きっちりと指示も出し終えていた。
 体から抜け出そうとする疲れがもたらす気だるさに、小十郎の意識は覚醒することを拒んでいた。けれども日の光は――外の気配は、小十郎に起きるようにと告げてくる。
「ん――ん…………ふぅ」
 それに返事をしているのか、眠りの縁に戻ろうとしているのか、意味を成さない音を発した小十郎は、しばらくそのまま丸くなっていた。
 やがて、空腹が小十郎に起きるようにと命じだしたので、未だぼんやりとした頭のまま、とりあえず上体を起してみる。
「…………」
 綿入れから出た小十郎の肩を、秋のひやりとした空気が撫でた。目を開けきらぬままに褥に坐している小十郎の呼気は、眠りのそれのようであった。
 手を持ち上げ、顎をさすり、髭が少々伸びているのを確認し、そのままその手を首の後ろに当てて、首筋を伸ばす。
「ふ、ぅ……」
 吐息とも寝息ともつかない息を吐き、ゆっくりと起き上がった小十郎は、掛けていた綿入れをそのまま羽織り、障子を開けて目を細めた。
 外は、すっかり日が昇りきっている。光の加減からすれば、朝議が終わった頃合いだろうか。綿入れの袖に、腕を組むようにして手を入れて、腹が食事を求める声に従い、髪を手櫛で整えることもせずに、ひたひたと廊下を進んでいく。
「あっ……か、片倉様」
 たまたま通りがかった侍女が、小十郎の姿を見つけて目を丸くした。それに顔を向けた小十郎は、未だ眠気の抜けぬ顔で笑みを浮かべる。
「ああ、おはよう」
「おっ、おはようございます」
 きゅっと身を縮めた侍女は、普段よりも数段高い声で返事をしながら頬を赤らめ、身じろぎもせずに小十郎を見つめた。
「……なんだ? ああ、俺が出仕していないことが、珍しいか」
 とっさに言葉が出ないらしい侍女が、首を幾度も横に振り、いささか興奮したような様子で胸元に持ち上げた両手を握りしめ、言った。
「あのっ――今、お目覚めになられたのですか」
「ああ……今日は、丸一日のんびりと過ごせってぇ、政宗様からのお達しをもらっちまったからな。ぞんぶんに、だらしのない日にさせてもらうつもりでいる」
 小十郎が目元を柔らかくすれば、侍女はなぜかうっとりと目を潤ませ、吐息を漏らした。
「ああ、そうだ。何か残っていれば、食わせちゃくんねぇか」
「っ! はい、ただいまっ! お部屋に、お持ちすれば良いですか?!」
 寝起きにはいささか耳に響く高音で、侍女が応える。
「そうだな……すまねぇが、たのむ」
「はいっ」
 きゃあっ、とはしゃいだ様子で去っていく姿を、浮き上がった疲れが寝ぼけているように見せる目を向けて、小十郎は首をかしげた。
「そんなに、俺がこういう格好で居るのが、めずらしいのか――?」
 侍女が興奮気味であったことを、そう解釈したらしい小十郎は、そのまま用を足すのと顔を洗うために手水場へ向かった。
 髪も整えず、無精ひげのまま起き抜けの姿で屋敷をうろつく小十郎が見られると、先ほどの侍女の話は瞬く間に広まっていき、小十郎に構うなということは言われていたので、近づくことはしないまでも、さりげなく通りすがりに挨拶を交わせるよう、屋敷中の者たちが、小十郎が行きそうな場所で待機をし、足音が聞こえればさりげなく進み出て姿を見る、という小さな騒ぎが起こった。小十郎は常人よりも優れている武人であるので、平素であっても人の気配などには敏感である。待ち伏せをされている気配を感じはするものの、どうこう言うようなことでも無いので、気付かぬふりをして、やたらと挨拶をしようと待ち構えている者たちに、普段よりもずっと砕けた調子で挨拶を返した。
 おかげで、顔を洗い終え髭も剃り終え私室に戻るころには、屋敷の中に居る者すべてと挨拶を交わし終えることとなった。
 私室に戻れば、誰が用意をしてくれたのかはわからないが、炭の熾った火鉢が用意をされていた。顔を洗った水は冷たく、足は素肌で廊下を進んでいたこともあり、少し冷えてきた小十郎は
「ありがてぇ」
 さっそく火鉢の横に座り、暖を取っていると侍女が食膳を運んできた。
「あの……粥と菜を、お持ちいたしました」
「ああ、すまねぇな」
 粥に、三種の漬物が乗っている。
「あの、他に何か御入用のものは、ございますか」
 上目づかいにしてくる侍女の、いつもらしからぬ甘えた様子に心中で首をかしげつつも何もないと告げれば、見るからに落胆を浮かべた侍女が、すごすごと去っていく。
 普段、小十郎はたいていのことを、自分で済ませてしまう。きっと世話を焼ける良い機会だと思っているのだろうと、侍女の様子を自分の中で納得させて、小十郎は食膳を引き寄せた。
「ふぅ」
 匙で粥を掬い、はふはふと口に入れては菜をつまみ、いつもよりもずっと時間をかけて全てを平らげる。食後のお茶が、良い頃合いに運ばれてきて、運んできた侍女に礼を言えば、ぱっと目元を朱に染めて、せわしない足取りで去って行かれた。それを、未だに襦袢に綿入れという格好で、髪も整えないままで居る姿に恥じらっているのだろうと、小十郎は判じた。
「珍しいだろうし……年頃の娘には、目の毒かもしれねぇな」
 そろそろ着替えをしようかと思ったが、蓄積された疲れは身の底から肌身へと浮き上がりはしたものの、まだ完全に体から抜けきってはくれないらしい。心地よい気だるさが促すままに、小十郎は褥に横になり、ひとつ大きなあくびをして、着ていた綿入れを脱ぎ全身をくるんで、瞼を下した。

 次に目を覚ましたのは、太陽の具合から昼過ぎであろうと判じられた。
 むくりと起きだし、今度は長着をきちんと着こみ、その上に綿入れを羽織った小十郎は、髪を整えるかどうしようかと少し悩んだ後に、そのままでかまわないかと、寝癖を手で軽く撫で付けただけで部屋を出た。ひたひたと冷たい廊下を進めば、良い香りが漂ってきて、それをたどるように進めば台所に出る。
「きゃあ、片倉様!」
「このような所へ、いかがなさいました」
 男たちに食事を出し終えた侍女らが、のんびりと食事をしながら休んでいるところに、普段の鋭利さを脱ぎ捨てた小十郎が現れれば、驚きの声を上げぬはずは無い。驚かれるのは想定内と、小十郎は眉一つ動かさずに当たり前のように女たちに声をかけた。
「良い香りがしたんでな――何か、残っているのなら、食わせてくれ」
「小十郎様の分は、きちんと取りおいてございますよ」
 驚きを交えた熱っぽい視線を受けながら、年嵩の侍女が言う事に小十郎は頷き、では頼むとその場に腰を下ろした。
「まぁ、こちらで召し上がられるのですか」
「今日は、俺の休暇だからな――好き放題、だらしなくさせてもらうつもりだ」
「あら、まぁまぁ」
 年嵩の侍女は、さも楽しげにしながら汁を温め握り飯を用意し、小十郎の前に差し出した。
「どうぞ、お召し上がりください」
「ああ」
 大きな口を開け、豪快ながらも品のある様子で食事を勧める小十郎を、年若い侍女らが目を大きくして眺めている。その視線を意に介する様子も無く、食事を終えた小十郎は
「馳走になったな」
 立ち上がり、ふと思いついて屋敷の中を見て回ることにした。
 普段は入り込まぬようなところに、ふらりふらりと小十郎が足を向けると、きまってその場にいるもの達は目をこぼれんばかりに見開き、あわてて頭を下げてくる。それに手のひらを持ち上げ見せて、構うなと示すと、またふらふらと歩きまわる。
 そうして屋敷中の、普段は見回らない場所を見て回ったとしても、まだまだ日は落ちる気配を見せず、さてどうしようかと私室に戻った小十郎は考えた。
 今まで――政宗の傍に控えてよりずっと、このように一人でのんびりと過ごすということは、無かった。いや、忘れているだけで、あったのかもしれないが思い出せぬほどに少なかった。小十郎の生活は全て、この奥州と――政宗と共に在った。
 (こんなにも、することが思いつかねェとはな――)
 ふっ、と小十郎の口に笑みが乗る。
 目の前に広がる空は高く、広く、青い。庭木は――塀の向こうに見える山々は、赤や黄色に染まり、野山の芳醇な香りを思い起こさせる。
 豊穣なる秋の風を身に受けながら、小十郎は身の裡にある落葉のように温かく降り積もった柔らかいものに、意識を向けた。

 徳利と盃、焼いた魚と漬物を手にした小十郎は、目を閉じていてもわかる道筋を進んでいた。何があろうと、決して迷うことなどないであろう、肌身で覚えている順路を進んでいく。そうして目的の場所にたどり着くと、静かな音で話しかけた。
「政宗様」
「Ah――?」
 いくぶん疲れたように感じる声を耳に受け、小十郎は襖を開ける。
「よろしいですか」
「どうした……?」
 問いに答える前に、小十郎は室内に入り政宗の傍に坐して、持ってきたものを全て並べた。
「私の休暇の終幕を、政宗様と心安く酒を酌み交わしながら、迎えたく参りました」
 少し目を開いた政宗は、すぐにそれを細めて手を伸ばし、並んだ二つの杯に酒を注ぐ。そうして顎で小十郎に杯を持ち上げるように示した。
「政宗様……」
 いいさした小十郎に
「No――小十郎。今夜は、めったと無い休暇の終幕だ。黙して語りあおうじゃねぇか。ゆるゆると、酒を飲みながら、な…………」
 目の高さまで杯を持ち上げた政宗に、ただただ柔らかく安息の笑みを浮かべた小十郎は、答える代わりに杯を持ち上げ、口を付けた。
 明日からはまた、鬼とも竜とも呼ばれる多忙な日々が――人々に声を掛けられ求められ、ぞんぶんに手腕を振るう日が、待っている。
「次は――」
「――は?」
 しみじみと飲み交わし、このまま一音も発さずに終えるのだろうと、小十郎が思い極めた頃にこぼれた、黙してと言った主の沈黙を破る声に、小十郎が目を上げる。
 鋭い光を湛えた瞳が、宵闇に浮かび上がっていた。けれどそれ以外は、柔和に研ぎ澄まされている。
「次に、こうしてのんびりと酒を酌み交わすのは、この俺が奥州筆頭って肩書きじゃなく――」
 息を吸う、一拍の後に
「天下人となった(なられた)時になるだろうぜ(なりますでしょうな)」
 声を重ねた竜は、同じ笑みを浮かべた唇を酒で濡らした。

2012/12/04



メニュー日記拍手
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送