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双竜   箒で掃いたような雲が、空の青にかかっている。それを眺めながら、政宗は刀を地に立て、その上に顎を乗せて遠くを眺めていた。視線の先には、今彼がいる場所よりも低い位置で、豆粒ほどの大きさになって遠ざかる右目――――片倉小十郎の姿があった。彼は、政宗の前に居るような格好ではなく、着流し姿で里に向かっている。畑を抜けて歩く様に、政宗は呟いた。
「――――あぁして見りゃあ」
 町人になりすましているというより、ゴロツキの親玉のようだ。笑むとひどく柔和になるくせに、無心で居るときの険しさは頬の傷がさらに引き立てて、子どもなどは泣き出してしまうのではないかとも思う。また、それにともなう年に不相応な風格も身につけている。町人の中に紛れても、人目を惹くだろう。
「まぁ、そんくらいでなきゃあ――――」
 政宗の右目など、つとまらないだろう。
 豆粒から胡麻粒ほどの大きさになった小十郎から、政宗は空に目を移した。

 小十郎は、急ぐでもなく足を緩めるでもなく、ひしめくように店の並ぶ界隈へ向かっていた。――――どうにも不穏な噂がある。それを探ろうとして、斥候を町に置いているというのに何も引っ掛からない。噂はたしかにあるというのに、キツネかタヌキに化かされているような状態である。埒が開かない、と嘆息した小十郎に、面白そうに唇を弓の形にしならせた政宗が口を開きかけた。
「この右目が、確認して参ります」
 言葉をさえぎるように、有無を言わさぬ口調で言うと案の定、政宗は自分が行きたいと言いたげな顔をした。
「政宗様では、目立ち過ぎます。何より、得体の知れぬものを追うのに、政宗様を行かせるわけにはまいりません。――――私が、行きます」
 目に力を込めて言うと、舌打ちをして目を逸らしながら、政宗が不請不請納得した。
 政宗の気が変わらぬうちにと、小十郎は支度をして町に出た。久しぶりの町の様子に、人々の笑みに我知らず目を細めながら狭い道に溢れる人々の間を縫うように歩く。そんな彼に目を止めた女達が熱い視線を寄越してくるのに気付かぬ風情で、小十郎は散策した。
 しばらく歩いていると、なにやら騒がしい店に目が止まる。近づき、野次馬に声をかけると店のものを盗んだや盗まないやで店主と客が揉めているらしいといわれた。人をかき分けて進むと、掴み合いながら唾を飛ばしあっている男二人が見える。
「だぁから、俺ァそんな櫛、知らねぇってんだろ」
「嘘つくんじゃねぇ! 櫛の前に立ってたのは、アンタじゃねぇか。櫛が勝手に歩いてったとでも、言うのかよ」
――――忽然と、物が消えるらしいんです。
――――女モンの櫛やら簪やら根付けやらが、ふいっと。
 上がってきた報告を思い出しながら、小十郎は殴りかかった店主の手と、応戦しようとした客の拳を掴んだ。
「詳しく、聞かせてもらえるか」
 低く通る声に、二人は小十郎を見つめ口を開けたまま頷いた。
 店を別の者に任せ、店主は小十郎と仮称盗人の男を奥に入れた。
「さぁ、ここなら逃げらんねぇぞ。身ぐるみ剥いででも、櫛は返してもらうからな」
「取ってねぇっつってんだろうが、この分からず屋! そこまで言うなら、全部脱いで身の潔白を証明してやらァ。なけりゃあテメェ、土下座だぞ」
「静かにしねぇか!」
 空気を震わせる小十郎の声に、男二人はビクリとして正座する。ふうと息を吐いてから、小十郎も座した。
「冷静に、話を聞かせてもらえるか」
 へい、と店主が赤い櫛のあった場所に男が立っていたこと、別の櫛の値を聞かれて男と話をしていたこと、他の櫛を勧めようと棚を見ると、赤い櫛が無くなっていたことを話した。
「後ろ手に、腰帯あたりに隠したに決まってまさぁ」
「俺ァ両手をアンタに向けてただろうが」
 なにおぅっと膝を立たせた男たちを睨み付けて、小十郎は腕を組む。
「店主、ここらで櫛やらなんやらが忽然と姿を消すって話があると聞いたんだが――――」
「ああ、最近急に始まった盗みの話ですね。結構立て続けに起きてるくせに、だぁれも犯人を見ちゃいねぇってことで、天狗かなんかが取ってんじゃないかって噂してんですよ。――――不思議なことに、無くなるのは赤いもんばかりで、隣に高価なもんがあっても、赤くない奴ァ盗られなかったって話で。――――――――兄さん、まさか今回のも、コイツじゃなく他の件と同じ犯人だって思ってんじゃねぇですかい。いや、俺も話しながら、そんな気がしてきやしてね」
 ペラペラと喋ったかと思うと、男はツイと体を小十郎に寄せて伺うように横目で顔を見ながら、媚びた笑みを浮かべた。
「ただまぁ、無くなった櫛の分、お代さえいただけりゃあ、何の文句もありゃしねぇんですけどねぇ」
 揉み手をするような口調の店主に呆れた顔をして、懐から適当な額を出すと、小十郎は濡れ衣の晴れた男と共に店を後にした。
「や、助かった。ありがてぇ」
 手を股につけて頭を下げる男に、気にするなと言うと、へこへこと頭を下げながら男は去った。騒ぎが収まったと知るや、野次馬たちは流れをつくり普段の町の風景に溶けていく。小十郎も紛れながら、店主の言葉を頭でなぞる。――――高価なものがあっても、赤くなければ無くならないとは、どういうことなのだろうか。犯人は、何を目的としているのだろうか。
 考えながら歩く小十郎の肩が、体躯のいい男にぶつかる。男は大げさに転び、仲間と思しき男が声を張り上げて言った。
「おおい、権造、大丈夫かぁ」
「いてぇ、すげぇいてぇよ、佐吉。こりゃあ折れてるかもしんねぇ」
「そりゃ大変だ! おい、兄ちゃん、どうしてくれんでぇ」
 あまりにもあからさま過ぎて、小十郎は面倒くさそうな顔をして言った。
「欲しいのは、金か? それとも別に、俺に用事でもあんのか」
 その言葉に、権造と呼ばれた男が立ち上がり、下卑た笑みを浮かべる。
「話がわかるじゃねぇか、兄さんよォ。ちょっくら、面ァ貸してもらおうか」
「いいだろう」
 頷く小十郎が逃げ出さないように、二人は前と後ろに立って歩く。――――得体の知れない話は、まっとうではない人間の方がよく知っている。男達が絡んできたのは、小十郎にとって都合が良かった。心配そうに、関わらない程度に視線を投げてくる人々の間を過ぎ、連れていかれたのは裏道にある賭場だった。入った瞬間、剣呑な視線が小十郎を刺して離れる。佐吉が場を仕切っているらしい男の傍により、何やら耳打ちをすると男は手にした盃をコトリと置き、それを合図に賽振りも客も一斉に手を止めた。
「兄さん、わしらのシマで出しゃばった事してくれたらしいの」
 何に対してのことか予想がついた小十郎は、ニヤリと口の端に笑みを乗せた。
「喧嘩の仲裁をして、無理矢理仲裁料をふんだくろうって腹か。仲裁を生業にしてる奴ァ居るが、テメェらの場合は、やり口が違うんだろう」
 場が一瞬にして鋭くなる。
「いい度胸だ。兄さん、わしらが稼ぎ損ねた分、払ってもらおうか」
 突然、小十郎に一番近い男が跳ねるように立ち上がり、向かってきた。身を交わしざま腹に膝を入れると、別の男が迫ってくるのを掴み、投げ捨てて横に来た男にぶつける。逆から来た小太りの男の顎を拳で横殴りにし、小刀を振り回してくる男を正面から蹴り上げる。小十郎に向かって賭けに使う木札を投げ、それを目くらましにしながら飛び込んできた男の足を、身を屈めながら払う。
「う、ぁあああああ!」
 小十郎の動きに圧倒されながらも向かってきた男の顎に、手のひらを合わせて突き上げる。向かってくる男たちを難なく沈めながら、小十郎は頭目との距離を縮めた。
「兄さん、強ぇな」
 目ぼしい男が全て沈むと、頭目は小十郎に盃を差し出した。
「舞を見ているようだったぜ」
 差し出された盃を無視し、小十郎が口を開く。
「聞きてぇことが、あるんだが――――」
 受け取られなかった盃を、横で腰を抜かしている佐吉の前に移動させると、佐吉が震えながら慌てて酒を注ぐ。それをグイと飲み干して、頭目はニヤリと笑った。
「わしらは、兄さんの予想通りの動きをしちまったようだなぁ。――――いいだろう、仲間ァ売ること以外なら、わかる事なんでも喋ってやる」
「――――赤い物ばかりがなくなるっていう、失せ物話で何か知っているか」
「あぁ、あれなぁ。店先から、高価だろうがそうでなかろうが、女物ばかり盗まれるってやつか。――――確かに、変わった盗みではあるな。手口は綺麗だが、高ぇもんを無視したり、必ず盗られるもんは一度に一つっきりなんだからよ」
「一つっきり?」
「そうさァ。店先から無くなるのは、必ず一つっきり。同じ店から盗むって話も聞かねぇ。足がつかねぇようにって配慮なのかもしれねぇが、どうにも解せねぇ。尻尾の先すら見せねぇくせに、おかしいとは思わねぇかい」
 挑戦するように笑まれ、頭目がまだ何かを知っていると察した小十郎は、背を向けた。
「――――聞きたいことは、終いか兄さん」
「テメェらの商売、邪魔することになるんだろ」
 肩ごしに笑うと、頭目は膝を叩いて大笑いを始めた。
「こいつァまた――――いいねぇ、気に入った! 兄さん、名を聞かせてくれんだろ」
「片倉、小十郎」
 外に向かいながら言う小十郎の背中に、息を呑む音が聞こえた。

 きっちりと衣服を整え、就寝前の政宗の部屋へ出向く。襖の前に座して頭を下げ、声をかける前に中から声がした。
「入れ」
 そっと襖を開けると、政宗は月明かりに何やら読んでいたようで、小十郎は眉をひそめた。
「只今、戻りましてございます。――――政宗様、このように暗い所で読まれては、お目を悪くなさいます」
「Ha――――挨拶と小言を一緒にすんなよ。それに、今夜は月が明るい。ここでなら、よく読めるぜ」
 言外に傍に呼ばれた小十郎が、膝を進める。
「面白そうな連中と、知り合いになったみてぇだな」
 首を傾げた小十郎に、読んでいたものを渡す。月明かりに一読し、笑みを浮かべた小十郎の顔を、政宗も同じ笑みをもって見つめた。
「で、解決しそうか」
「――――おそらくは」
 紙には、あの界隈の略図に今まで盗まれたことのある店と、女物を扱う店が書き込まれており、最近やってきた旅芸人の一座の猿が逃げ出したことが、頭目の名前らしい署名と共に、書かれていた。

 翌日、小十郎は旅芸人の一座に出向き、猿曳の男を連れて、被害にあっていない店をまわった。
「あの、一体なんなんでしょう」
 事情を知らされないまま、ついてくるよう言われた男は、小十郎の半歩後ろを歩いている。
「すぐに、わかる」
 笑む小十郎に不可解な表情を向けて、男は黙って従った。小十郎は各店をまわり、今日は赤いものは店頭に並べないよう伝えて回る。届いた略図を見ながら、最後の店にたどり着き、品物を眺めてから店主に声をかけた。
「すまないが、赤い櫛を一つだけ、一番店奥に飾ってくれないか」
 今まで全て、赤いものは片付けるように言っていたのに、と猿曳の男が首をかしげる。
「この店に、誘き寄せて捕まえる。――――かまわねぇか」
「そりゃもう、変な警戒をしなくても良くなるなら」
 店主は早速、小十郎の言うようにしてから猿曳の男に疑問の目を向けた。それに気付き、小十郎が言う。
「盗人を捕まえるのに、必要な奴だ」
 その紹介に、猿曳は怪訝な顔をした。
「――――片倉の旦那、そりゃあ一体どういう事で」
「すぐに、わかる」
「そればっかりじゃ、あっしは貴男様みてぇに頭が良いわけじゃねぇんで、さっぱりです」
 それに意味深な笑みを浮かべるだけで、小十郎は答えない。
「悪いが、ちょっと隠れさせてもらうぞ」
 そう言って、小十郎は猿曳の男と共に身をひそめた。
 店は通常どおりの営業を再開し、客がちらほら姿を見せる。しばらく息をひそめて例の棚を見つめていると、猿曳の男が「アッ」と言って飛び出した。
「彦次郎!」
 それに反応し、振り向いたもの――――猿が、櫛に伸ばしていた手を止めて猿曳の男を見た。男は猿を抱き抱え、微笑む小十郎を振り向く。
「――――そういう、ことだ」
小十郎が言った。

 戻ってきた小十郎に、部屋で事件のあらましを聞いた政宗は、ふうんと面白そうな顔をして右目を見る。
「――――で、なんで猿ァ盗みなんざ働いたんだ」
「男には、娘がいるそうで――――猿とは幼いころから共にいるそうです。その娘が、赤い櫛や簪を欲しがっていたそうで」
「娘のために、盗んだのか」
「おそらくは」
「盗まれたものは?」
「男が猿を連れて、返して回りました」
「――――ご苦労だったな、小十郎」
「――――いえ」
 深く頭を下げる小十郎の脳裏に、猿曳の言葉が浮かぶ。
『大事なもんを喜ばせてぇって気持ちは、猿も人もかわらねぇもんですねぇ。この度は、えれぇ迷惑かけちまって申し訳ありやせん。今後は、まっとうなやり方を教えてやります。道を間違えないように。――――こいつも大事な、家族ですからねぇ』
 顔を上げた小十郎の瞳に、政宗の姿が映る。
「小十郎」
「は」
「猿曳の芸を、見てみたい」
「それは、ようございますな」
――――俺の左目が曇った時は、お前が止めてくれ。
 ふわりと滲んだ言葉が、小十郎の肌に染みた。


2009/11/08


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