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双竜   雪深い奥州の山道を、退屈した政宗は馬で歩いていた。馬には馬用のかんじきを履かせ、なるべく負担にならないような速度を選び、雪を選んで進んでいる。別に目的があったわけではない。ふと思い立ち、抜け出した。――――白く染まった世界を、見に行ってみよう。ついでに、近くの里の様子でも見てみるか。
 そのくらいの気持ちでいた。空は快晴で、淀みなど欠けらもない。木々さえも凍てつかせる風は、わずかに柔らかさを含んでいる。絶好の散歩日和りだった。だが、こういう日は雪崩が起きやすい。だから政宗は、馬で行くことにした。高さがあれば、視野が広がる。馬の脚は上手く使えば早く逃れられる。上手く扱える自信が、政宗にはあった。

 ふわりと日の光を受けとめた雪が輝く。下からも木々の上からも、政宗と馬を取り巻く。少し溶けた雪で滑らないよう、馬の脚に気を付けながら進んでいると、下方に小屋を見つけた。多くの薪が、廂と呼ぶには長すぎる屋根の下に積まれている。――――炭を作る小屋らしい。
 ピーィと空から声がして、見るとトンビがクルクルと回っている。目を小屋に戻すと、子どもの姿があった。いくつか薪を抱えている。これから、炭を作るのだろうか。
 コロン、と馬の脚に何かが当たり、ひょいと馬が動いた。馬の動きに首をかしげた政宗の耳に、遠く蠢く獣の咆哮が聞こえる。山の上を見ると、雪埃が立っていた。
「Blast it!」
 急いで馬の首を炭焼き小屋に向け、駈けさせる。馬も何かを感じたらしい。自ら足場を見つけて駆ける。
「ぼさっとすんな!」
 声を張り上げると、目を丸くした子どもが政宗を見て、雪の崩れる地鳴りに更に目を大きく開く。子どもの傍で馬から飛び降り、抱えて小屋の中へ走る。馬は方向を変え、本能的に逃れる経路を悟ったらしく、政宗を置いて去っていく。波が迫る。小屋の入り口を開けて飛び込む。
ゴッ――――
 一瞬の轟音と共に、全てが闇に攫われる。どうやら雪に呑まれたらしい。
「上等」
 間一髪で流されることは免れた。小屋も潰される心配は無いらしい。
 しん、と静まりかえった暗闇。腕の中には子どもを抱えたままだ。
――――さて、どうするか。
 体をまるめて震える子どもを抱きしめ、長く細く息を吐く。
 小屋は潰れずに済んだ。命はまだ繋げられる。だが、どのくらい呑まれているのかがわからない。小屋の窓は埋まっている。屋根だけでも出ていれば、気付く者がいるかもしれない。幸い、腰には刀を帯びている。屋根をぶち破ってもいい。だが、屋根まですっぽりと埋まっていれば、話は変わってくる。下手に屋根を潰し、落ちてきた雪に埋もれては雪崩に流されるのと変わらない。腕の中の子どもの背を軽くあやすように叩いて、もう一度ため息をついた。
「おい」
 話しかけると、顔が動く気配がした。暗闇なので何も見えない。気配と触れる感覚で、子どもの動きを察する。自分を見上げてくる視線が怯えていることを感じながら続けた。
「一人で、ここに居たのか」
 胸の上で縦に首が動く。
「そうか」
 ほっとする。呑まれた者は、いないらしい。次にすることといえば、暖を取り抜け出す方法を考えることだ。しかし、周囲を見渡してみても何も見えない。
「囲炉裏かなんか、無ぇのか」
 子どもがモソモソと動き、どうやら抜け出そうとしているようだと、政宗は腕から子どもを解放し、手探りながらもしっかりと方向を見定めて離れていく気配を追う。――――暗闇でも場所がわかるほどに、内部をしっかり覚えているらしい。
 しばらくしてカチカチという音と火花が見えて、ゆらりと赤が現れた。口笛を吹いて、火の傍に行く。
「上出来だ」
 誉めながら子どもの頭に手を置くと、不安そうな目が見上げてきた。口を開きかけ、やめる。根拠の無い希望を、口に出来なかった。
 子どもの横に座ると、身を寄せてこられたので抱きしめる。ぎゅっとしがみつかれて、背中を叩いてやった。――――ひどく懐かしい気がして、瞼を閉じる。チロチロと燃える炎が、閉じても赤を目に映す。その奥に、記憶があった。
 暗闇で子どもが蹲っている。口を固く噛んで引き結び、膝を抱えてじっと何かを見据えている。――――否、耐えている。油断をすれば揺れてしまいそうな瞳を、しっかりと固定している。石のように頑なに、身の内から沸き立つものを封じ込めようとしていた。
 ふわ、と髪に柔らかい風が触れる。それが何なのかわからず、子どもは硬くなったまま動かない。
――――政宗様。
 声がした。柔らかく、心の臓まで染みる音に、開いていた瞳が揺れる。
――――政宗様。
 これまで聞いたことのない音に、顔をあげようとして包まれた。
――――ご無礼を、お許しください。
 言葉の意味がわからずに、身動ぎ一つせずにいる。しばらくして、自分に触れていることを指しているのだと気付いた。
――――ああ、そうか。
 政宗は、口元に笑みを乗せる。
 人は、経験や記憶の無いことを、他人に与えることは出来ないらしい。
――――どうりで、懐かしいはずだ。
 なぁ、と記憶の相手に話し掛けた政宗の耳に、メキメキと木が折れる音が響いた。
「政宗様、ご無事ですか」
 ゆっくりと瞼をあける。暗闇に昼の光が差し込んでいる。腕の中の子どもは怯え疲れて眠っているらしい。規則正しく背中が動いていた。火は消えていた。どうやら自分も眠っていたらしいと、苦笑しながら光の漏れる場所に顔を向ける。逆光ではっきりとはわからないが、覗いている人影が誰か、政宗は瞬時に理解した。
「be well done、小十郎」
 ニヤリと口元を歪ませて呟く。
「政宗様っ」
 こちらの姿がはっきりとしたのか、影が飛び降り駆け寄ってきた。
「まったく、貴方という――――」
 心配のあまりの怒気を隠そうともしない小十郎に、静かにと人差し指を唇にあて、腕の中の子どもを目で指した。すぐに察した小十郎は大きく息を吐き出し、手を上げて上に合図を送る。スルスルと縄が降りてきて、それを掴みながら小十郎が言う。
「これを腰にしっかりと結び付け、お上り下さい。子どもは、この小十郎が与ります」
「子どもくらい、俺も運べる。だいたい、俺のほうが小十郎より軽いだろう。綱を引く奴の労力を考えれば、俺と子どもが上がるほうがいい」
「御言葉を返すようですが、政宗様より私のほうが、子どもを連れて運ぶことに慣れております」
 真っすぐに、譲る気などさらさらない小十郎の瞳が政宗を捉える。政宗の耳に、夢の声が響く。
「――――Ha」
 首をふり、参ったという顔で声を出すと、そっと子どもを小十郎に渡した。
「落とすんじゃねぇぞ」
「承知」
 腰に縄をくくりつけ、両手でつかむと「えんやぁ、そぅりゃあ」と声がして、政宗の体は浮き上がる。ゆっくりと上がった体は屋根を越えて、雪の上に出た。すぐに体から縄を外し、下に垂らす。再び「えんやぁ、そぅりゃあ」と伊達軍の兵士が声を出し、小十郎と子どもを救い出した。
「筆頭、ご無事でしたか」
「よかったッス、筆頭」
「筆頭ぉうっ」
「ああ、心配かけたな」
 口々に言ってくるもの達に笑顔で返し、子どもを兵士に預けて縄をほどく小十郎に顔を向ける。
「よく、俺がここにいるってわかったな」
「政宗様の馬が、単身戻って参りましたので案内をさせました」
 ふっと動いた小十郎の視線の先に、逃がした馬の姿がある。
「excellent」
 口笛を吹いてつぶやくと、馬が寄ってきて鼻をすり寄せてきた。強く撫でてやると、ぶるるっと荒い鼻息を吐いて更に鼻を寄せてくる。
「後で、褒美をやんねぇとな」
「政宗様には、戻ったら甘酒なりと召し上がっていただきながら、この小十郎の話をしっかりと聞いていただきます」
 おどけた調子で肩をすくめ、馬の背にまたがる政宗が眩しそうに辺りを見回す。雪崩で小屋は完全に埋もれている。何処になにがあるのかなど、雪に覆われてわからない。春、雪が溶け去ってしまうまで、自分と子どもは見つかることが無かったのかもしれない。こうしてすぐに救出されたのは、幸運としか言い様が無かった。
――――いや。
 見回す目に、小十郎の姿が映る。彼がいるかぎり、自分はそのようなことが無いのかもしれない。見つかることは、必然であったのかもしれない。
「? 政宗様、どうかなさいましたか」
「いや――――なぁんも無ぇよ」
 滲む笑みを乗せた唇で呟き、馬の首を巡らせる。
「春が、近いな」
「――――いずれ雪も、溶けましょう」
 日差しに目を細めながら、二人は前を――――同じ場所を見つめる。
「帰るぞ、小十郎。指がしもげて落ちそうだ」
「すぐに暖まっていただけるよう、用意は致しております。――――おい、てめぇら。近くの里で子どもの事を知ってる奴を調べてこい」
「任せて下さい、片倉様」
「一瞬で、見つけてご報告いたしますっ」
 ビシッと背筋を正して言った面々が散っていく。残った数人が縄を片付け、子どもを抱えて政宗らに続いた。
 雪に、竜の軌跡が残る。
 まっさらな雪に、径(みち)が出来る。


2010/02/08


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