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双竜-process  覚醒した意識で一番最初に捉えたのは、軽い雨音だった。
 ずっと昔から変わりなく存在しているかのように、一定の音をさせている。
 それはゆっくりと床をつたい、全身をくるんできた。その音に、軽い太鼓を打つような、毬をついているような音が輪郭を作っていた。
 サァアアアアア――――
 たん…………とん…………たん…………とん…………
 ゆっくりと瞼を持ち上げ、左目だけで天井を見つめる。右目は、なにも映さない。
 サァアアアアア――――
 たん…………とん…………たん…………とん…………
 この世界には、自分しかいないのではないかと思えてくる。
 もしかして自分はまだ誕生しておらず、母胎の中で音を聞いているのではないのだろうか――――
 ありえない錯覚は、闇に慣れた目が天井の輪郭をハッキリと認識すると薄れた。代わりに、別の錯覚が彼――伊達政宗に生まれる。
 サァアアアアア――――
 たん…………とん…………たん…………とん…………
 何かに、誘われているような気がする。そばにあるはずなのに、とても遠い世界であるように感じる雨音は、祭りのざわめきに変じていく。
 まだ、ずっと幼かったころ。
 遠くから祭りの喧噪を眺めていた日があった。さざめく人波は、夜空の星よりも身近にあるはずなのに、それよりもずっと遠く、ほしがってはいけないものに見えていた。
 幼い自分は、ぽつんと月光の中にたたずみ、袴を握りしめて宵闇に浮かぶ温かそうな場所を、うらやましがるでもなく、ねたむわけでもなく、ただ――――眺めていた。
 あの時の自分が、何を思っていたのかはわからない。覚えていない。――何も思っていなかったのかもしれない。磨かれたギヤマンのように、ただ瞳に映していただけであったような気がする。
 静穏と無は、とてもよく似ている。漠然と、そんなことを知った時期――――言葉ではなく、体感として識った時期の記憶が浮かび、彼は天井を瞳に映したまま、自分の記憶を視た。
 雨の音が――――溜まった滴の落ちる音が、それを助ける。
 あの日、祭りを眺めている自分は、場所が遠く、参加している人々の表情は認識できなかったが容易に想像をすることができた。過去、あの場所にいることができた時期に、見たことがある。ふわふわとしたものに包まれたような心地で、見ていた記憶がある。右目がまだ、光を失っていないときに見た記憶が――――
 サァアアアアア――――
 たん…………とん…………たん…………とん…………
 それを思い出すと、心臓が雪の中に埋もれていくような心地がして、幼い自分は奥歯を噛みしめ、凍えぬよう身を固くした。
 遠くから、笑い声が聞こえてくる。
 ほんの数か月前までは、自分の傍にあったはずのその声は、瞳に映る祭りの光景のように、とても、遠い。
「梵天丸様」
 ふいに、声がかかった。驚き、振り向くと、さみしそうに笑う顔が真っ直ぐに自分を見ている。
「こじゅろう」
 返事をするように笑みを深くして、傍らに来た青年は膝をつき視線を幼少の政宗と同じ高さにした。
「日中は暖かいですが、日暮はまだ、肌寒うございます」
 いたわる声音にすがりつきたくなって、左目を伏せて抑え、顔をまっすぐに戻して目を開け、再び祭りを目に映す。
 しばらく無言で過ごし、やがて青年が立ち上がる。そのまま去ってしまうだろうと思った胸が、きゅっと痛んだ。
「祭りに行きたいと御思いであらせられるのならば、御供いたします」
 かけられた言葉が信じられず、こぼれるほどに目を丸くして見上げると、青年は噛んで含めるように言った。
 「男子たるもの、容易に弱音を吐いたり、涙を見せるべきではございません。ですが、梵天丸様――――水門を開く川の関のように、時折は御心の内を流されてもかまわないのです」
 彼の言葉が、ゆっくりと沁み込んでくる。
「――――梵天丸様、どうぞ、この小十郎の前でだけは…………お心のままに」
 そうして差し出された手は、まっすぐに心の中に届く。それは、ゆっくりと心臓を包んでいた雪を溶かした。おそるおそる手を伸ばし、全身をゆだねる心持で、そっとその手を掴む。
「参りましょう」
 祭りへ、という意味であろうその言葉は、未来へ――――と、聞こえた。

 ゆっくりと現在へ戻ってきた意識で、自分の唇が笑みの形になっていることを知る。雨は変わらぬ音をたて、滴が相槌を打っていた。
 サァアアアアア――――
 たん…………とん…………たん…………とん…………
 それは、淡くすべてを求める雨に、形を示しているようにも聞こえる。
 サァアアアアア――――
 たん…………とん…………たん…………とん…………
 優しい記憶に包まれて、政宗はまた、眠りに落ちた。

 ぺたぺたと素足で渡殿を歩きながら伸びをする。空は、青の上に薄い雲の絹をまとっていた。雨は明け方には止んだらしい。存在した痕跡だけを残し、どこかへ消えてしまっていた。
 ピーヨォと高く飛ぶ鳥の声が聞こえ、その下に人の歩くのが見える。畑へでも行くのだろう。鍬を担ぎ、ゆっくりと大地を踏みしめて前に向かって進んでいる。
「政宗様」
 振り向く。
「おう」
「おはようございます」
「Ya――相変わらず、早ぇな小十郎」
 きっちりと身だしなみを整えている男に、体ごと向いた。
「政宗様が寝過されぬよう、起こしに参らねばなりませんので」
「Ha! 畑に出てから、来るためだろうが」
 ちら、と小十郎の右手を見て、政宗はやわらかく目を細めた。あの日、差し出された右手は、約束をたがえること無く傍にある。
「――――いかがなさいました」
「小十郎、手ぇ出してみろ」
「は?」
「いいから、出せ」
 再度言うと、小十郎は右手を――――利き手とは逆の手を差し出す。その意味に初めて気がついた時を思い出し、政宗は笑みを浮かべて目を伏せた。
「――――政宗様?」
「変わんねぇな」
 ひとりごち、目を開けて一歩踏み出す。小十郎の横を通り過ぎざま、拳で肩を叩いた。
「行くぜ、小十郎」
 先に進むために、背中を見せてもいい――背中を預けられる相手がいる。
 進んだ後にできた道を、共有できる者がいる。
 切り開く先を、共に見ることのできる者がいる。
 心を許し、ゆだねることのできる者がいる。
 だから――安心して、前へ――――未来へ――――――
『参りましょう』
 あの日の言葉が、ぬくもりが、龍の瞳を未来へ向けた。

process/Janne Da Arc


2010/06/05


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