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益体もない。けれど大切なもの。

 妙に頭が痛い。
 石田三成は細く長く息を吐き、こめかみを抑えた。それを見つけた大谷形部吉継に、休んでおれと言われ特にする事も無かったので、そうすることにした。
 ふらりふらりと歩く三成は小袖に袴という出立で、無駄なものをすべてそぎ落とし、撓るような筋肉を纏う彼は痩身で色が白いこともあり、常人よりも酷く具合が悪く見える。彼の普段を知らない者が見れば、大病を患っているか、病がちな若者と思うだろう。
「三成、どうしたんだ」
 足元がおぼつかない三成の様子を、遠巻きに見ながらも手を出そうとはしなかった人々の中にあって、一人だけ声をかけてきた男が居た。
 うるさいやつが来た、と三成は痛みにしかめた眉の皺を深くした。
「ふらふらじゃないか」
「うるさい――響く」
 ハエを叩き落とす、といった風情の三成に気分を害した様子もなく、三成と対極の体格を持った男、徳川家康は彼の腕を取り自分の肩に回した。
「放っておけ」
「放っておけるわけが、無いだろう」
 担ぎ上げてしまえば楽だろうが、そうしないのは人目の手前、三成の体面を保つためだろうか。これ以上やり取りをしても引き下がることのない男に、拒絶の言葉を投げかける気も無く、三成は半ば投げやりに、家康の肩に体を預けた。
 人を拒絶する態度を隠そうともしない三成に、親しげにする者は希少と言ってもいい。激高しやすい性質の彼を、面倒だと嫌煙する人間のほうが、圧倒的多数を占めていた。
 嫌われているわけではない。彼の極端すぎるほどの自分の信念に対する潔癖さと、無類の強さに畏敬を示す者も居る。けれど、それは崇拝的な意味合いを持ち、親しむというものとは程遠いものであった。
 対する家康は、人当たりの良い笑みと身分の分け隔てなく接する姿、それも上から接するのではなく同じ場所に立とうとする姿勢から、とっつきやすく何でも言いやすい、という印象を与え、人に囲まれていることが多かった。
 そんな家康が三成を構うのは、同情からだと言う声がある。そうであるなら、まだ拒絶のしようがあるものをと、三成は思っていた。
 家康のそれは、同情などでは無い。真に三成を想っている。だからこそ、それがわかるからこそ、三成は家康を無下にしきれないでいた。
 三成の寝所には、おそらく形部あたりが手配をしたのだろう、眠る用意が整っていた。そっと褥の上に三成をおろした家康が、人の気配が無いのに首をめぐらせる。三成は私室に人の気配があるのを嫌うので、それを知っている者たちは用意を整えてすぐに退散したのだろう。家康も早く去ればいい、と思いながら三成は瞼を下した。
「何か、飲むか」
「いらん」
 応えた声は億劫そうで、気遣わしそうに上掛けを肩までかけてやりながら、三成の顔を覗いた。白く薄い瞼に、青く血管が浮いている。
「少し、気を張りすぎなんじゃないか」
 話しかける風でも、独り言のようでもない強さで、家康がこぼした。
「気の休まる場所を、もう少し作ったらどうだ、三成」
 眠ってはいない三成は、返事をするのも面倒で聞こえていないふりをする。それに気づいているのかいないのか、家康は続けた。
「俺と形部以外で、おまえが自然体でいるところを、ワシは見たことが無い」
「私はいつも、自然体だ」
 自分を勝手に解釈をされたくはないと、口先だけで声を出した。
 ふ、と家康の気配がゆるむ。
「おまえは、本当に受け流すと言うことを知らないな」
 三成が何か言うかと、少しだけ間を開けてから
「そこがおまえの、良いところでもあり、悪いところでもある」
 ふわ、と静寂ではない沈黙が訪れた。三成の私室は、奥まった場所にある。それでも遠くのほうから、訓練を受ける者たちの声が流れてきていた。
 半兵衛の構想する軍隊を作るための声は乱れを感じられぬほどに整っていて、一人の人間が同時に違う声を使って一つの言葉を発しているようにも、聞こえた。
「なぁ、三成」
「――――」
「ワシは、誰よりも多く、英雄たちの背中を見てきたと思う」
 家康の声は、常のような張りが無かった。
「いろいろな者と親しくさせてもらってはいるが、同じ目線で胸襟を開き、話のできる相手は、おまえだけだと思っている」
 ぴく、と三成の伏せられた瞼が動いた。
「むろん、皆の事は信頼している。――忠勝には特に信を置き、頼りにしてきている」
 しかし、とつぶやく家康の口の端には、皮肉そうな――この男には珍しい自虐めいたものが浮かんでいて
「あくまでも、忠勝は、ワシの、部下だ」
 あざける声に、三成は身を起した。
「――三成」
 真っ直ぐに睨みつけるように家康を見る三成は、研ぎ澄まされた切っ先のようで
「世迷言を、言うな」
 気弱な気配を、切りつけた。
 無言で、相手の姿を瞳に映しあう。
「部下だなんだと、下らん。そんな前置きはいい。言いたいことがあるなら、さっさと言え」
「三成……」
「用がないなら、出ていけ」
 はは、と力なく笑った家康に、鼻息を荒く吐き出し、彼が何かを言うのを待った。
「――このままで、いいんだろうか」
「何がだ。はっきりと言え」
「いろいろな男たちの背中を見て、ワシは育った。特に、信玄公には薫陶を受けたと、思っている」
 三成が、怪訝そうに片目を細めた。
「いろんな人物が、いろんな方法で世の中を平和に、民の過ごしやすい世を作ろうとしている。あの、冷酷と言われている毛利だって――それがゆえの冷酷さだと、ワシは思う」
「何が言いたい」
「人には、それぞれにあったやり方があると、学んだんだ。その中で、ここに来ることを望み、皆がついてきてくれた。そのことに、とても感謝をしている」
「だから、何だ」
「ああ、うん――そう、だから…………三成にも、会えた」
「――は」
 呆れた声が出た。何を言い出すのかと、三成が目を丸くする。
「ワシは、お前が好きだ」
 まっすぐに告げられて、ぽかんとした三成が
「下らん」
 吐き捨てて横になった。
「なぁ、三成」
 背を向けた三成は、答える気配は無い。けれど、耳だけは家康に向けていた。
「ワシは、このままで本当に良いのだろうかと、思っているんだ」
 三成は、動かない。
「自分の理想を、人の手にゆだねることに異論はない。多くの人が、そうだろう――自分が成し得ない、自分が望む事をかなえられそうな人に託し、手伝い、支え、共に歩む。奥州の独眼竜の軍が、まさにそれだ。独眼竜という理想の世を作るための刃を、しっかりと掴み支える民という柄がある。刃が折れそうになれば、包み守る鞘が居る。あらぬ方に向かおうとすれば、とどめるための鞘にもなる。――そんな者たちに、囲まれている。だからこそ、あの男は強くいられるんだろう」
「秀吉様には、半兵衛様が居る」
 ぼそりと、三成が言った。
「そうだな――そうだ……だが、何かが違うような気がするんだ。傾倒をしすぎているというか、なんというか」
「貴様、お二人に疑念を持っているのか」
 三成の首が、家康に向いた。
「何かが、違う気がするんだ」
 三成の目が、鋭くなった。
「はっきりとは、わからないが」
「秀吉様の作る世に、疑念があると言うのか」
「いや――どうだろうな。ワシにも、まだよくわからん。わからないから、こうして三成に話をしているんだ」
 怪訝そうに、三成が寝返りを打ち体ごと家康に向いた。
「こうして、話を出来るのは三成しか、居ないからな」
 ぽとり、と声が三成の眼前に落ちた気がして、それを拾うかのように、三成は再び体を起した。
「忠勝にも、言えないだろう――こんな風に、迷っている姿など、見せられないだろう」
 気弱さを露呈することなど出来ないだろう、と項垂れた男の、弱さを見せる強さに、三成は目を細めた。
「馬鹿か貴様は」
 分け隔てなく接する、と言われている男が、何よりも自分の立場を理解し、その枠の中を泳ぐように悩みながら生きている。三成の事を不器用だというこの男こそ、不器用ではないかと心中で吐き捨てた。
「ワシは、馬鹿か」
「ああ、馬鹿だ。――たぐいまれなる大馬鹿だな」
「そんなにか」
「馬鹿は何を考えても、馬鹿なことにしか行きつかん。下らんことを悩むのは止めて、秀吉様の世を作るために役立つことだけを、考えていろ」
「はは」
「何が、おかしい」
「いや――おまえは、真っ直ぐでいいな。三成」
 意味が分からず、怪訝に片目を細める。
「具合が悪いのに、すまんな。相談に乗ってもらった」
「乗った覚えはない」
「おまえが思っていなくとも、ワシは乗ってもらった気でいる」
「おかしなやつだ」
「希代の大馬鹿なんだろう、ワシは」
 何やらうれしそうな家康に、気持ちの悪いものを見る目を向けて
「つまらんことにつき合わされて、頭痛も呆れて去ったようだ」
 起き上がった。
「それは、良かったじゃないか」
 じろりと見ると
「ワシの相談も、役に立ったようだな」
 馬鹿かと口内で吐き捨て、目を逸らした。
「そうだ。頭痛が治ったついでに――三成、予定はないんだろう。気晴らしに、散歩にでも出かけないか」
「そんな下らんことに、かまけている時間など」
「あいにくの曇り空だが、曇りだからこそ見えるものも、あるだろう。三成も、いつもそう生真面目にすぎるから、頭痛など起すんだ。たまには、ワシの下らない話に付き合って、意識を別に持つことも必要なんじゃないか。何より、視野が狭くなると思慮に欠けて、あの二人に迷惑がかかるし、体調を崩せば良い戦働きが出来ないだろう」
 そう言われては、強く断る理由も無くて
「さっさとしろ」
 先に立って、障子をあけた。
「せっかちだな、三成は」
 のんびりと立ち上がった家康が、曇り空から注ぐ光に目を細めながら、まぶしそうに痛ましげに三成を見た視線の意味に、三成はまだ、気付かない。

2012/05/22



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