雨の香りに、ふと庭に目をやった三成は、陰る木の葉に目を細めた。土に落ちる木の影が薄い。「一雨、降りそうだな」 背後から声をかけられ「家康」 徳川家康が、柔らかな笑みを浮かべて近づいてきたのを、険しい顔で迎える。「そんな顔するなよ、三成」「何の用だ」「見かけたから、声をかけた。それじゃあ、いけないのか」 わずかに首を傾けた家康に「ふん」 鼻を鳴らして背を向け、歩き出した。「何処に行くんだ」「貴様には、関係ない」「この分だと、夕立になるぞ」「だから、どうした」「つれないな」「貴様に優しくなど、する必要は無い」「三成」「なんだ」「青竹を取りに行かないか」 ぴた、と三成が止まる。「七夕の飾りを、しようと思っているんだ」 ゆっくりと、三成が振り向いた。「色とりどりの紙をつけて、願いを括り付けて――そんな息抜きも必要だと、ワシは思う」 だから、その準備を手伝ってくれないかと言われ「さっさと来い。夕立にあう前に、取ってくるぞ」 方向を変え、家康の横を通り過ぎた三成の背中に「三成」 ため息のように、うれしげに名を呼んで「わかった」 声をかけつつ、足早に追いかけた。「三成も、そういうものに興味があるんだな」「どういう意味だ」「くだらないことをする暇があれば、秀吉様の役に立つことだけを考えろ」 自分のまねをしているらしい家康を、じろりと横目で睨んだ。「そう、言われるかと思った」「――これも、秀吉様のお役に立つと、思ったからだ」 ひょい、と家康の眉が持ち上がった。「お心を、和ませてさしあげられるなら、と」 三成の顔が陰る。無言で、その続きの言葉を促す家康に「さっさと行くぞ!」 誤魔化すように、鋭い声で言い放つと足を速めた。「あっ――三成!」 あわてて歩幅を合わせてくる家康から逃れるように、ずんずんと進み、門を出て、竹林へと向かっていく。 ――七夕、か。 三成の耳に、竹中半兵衛のつぶやきが、ふわりとぶら下がっていた。 ――懐かしいね、秀吉。 寂しげに、遠い記憶を呼ぶ声音を漏らした半兵衛に、唸りのような同意のような音を、豊臣秀吉が発した。 それは、懐かしむことを禁じているように聞こえて(秀吉様は、本当は為されたいのではないか) 三成は、そう判じた。 三成と出会う以前、秀吉はそのようなことを友であった男と、よく行っていたらしい。その頃のことを知っているのは、半兵衛と――その友であった男の事を知っており、その男から話を聞いたことのあるという家康のみで(家康が、七夕の飾りをしようと言い出したのは、秀吉様のことをおもんぱかってのこと) そう受け止めた三成は、彼の提案を受け入れ――けれど手伝おうと思った理由を口にするのは、妙に胸がざわついて、言いたくないと思った。(私の知らぬ、秀吉様の過去) それを、家康は知っている。だからなんだ、という気持ちもある。けれど、だからこそ、という思いもあった。 大切なのは現在――けれど、過去を知っているからこそ――実際に見聞きしたわけではなくとも、どうだったかを知る術を持っているからこそできる、気働きというものがある。 それが少し、口惜しいと感じているなど、家康に知られたくは無かった。「三成」 気が付けば、竹林の中を進んでいた。立ち止まると「より良いものを探そうとしているのはわかるが、あまり奥にいけば、運び出すのは大変だぞ」 思いにふけっていたなどと、口に出せるはずも無く「うるさい。ならば、このあたりでより良いものを見繕え」 ふいに湧き上がった、得体のしれぬ苛立ちをそのまま、声に乗せた。「そうだな――どうせなら、二、三本、持って帰ろうか。――――三成、これはどうだ」 ぽん、と良い太さの竹を叩いて見せた家康に「うわっ」 声もかけずに抜刀し、根本を切った。「危ないじゃないか」 咎めの色をみじんも含めず、家康が笑って倒れる青竹を支える。「あとは、どれだ」「そうだなぁ」 そうして三本見繕い、家康が肩に担ぐと「おっ」 雷鳴が響き、雨が降り始めた。「この分なら、すぐに止むだろうし、ここにいればまだマシだろう」 そう言いながら竹を下し、背の低い、柔らかそうな竹を選んで飛びつきたわませ、数本を重ねると「少し狭いが、雨はしのげる」 にこりとして手招かれ、男二人、身を小さくして竹の下に入った。 派手な音をさせて、雨が降り注ぐ。「すごいな」 どこか楽しげな家康の声に「貴様は、いつも楽しそうだな」 ぽつりと、こぼれた。「三成は、楽しくないのか」「いつも浮かれている男なぞ、珍しいだろう」 家康は笑みを深くし、雨の向こうに誰かの姿を見ながら「派手で、楽しそうで、こっちまで楽しい気持ちにさせようとしてくる男が、いるぞ」 家康の横顔に、その男に対する親しみを見とり「脳みそが目出度いだけじゃないのか」 なんとなく、面白くない心持になった。 はは、と声を上げた家康が「豊臣殿の、知己だ」 ぐ、と三成の胸が押し付けられたように軋んだ。息苦しさから逃れるように「そのような男、秀吉様の友として相応しくない」 拒絶した。「――三成」 寂しげに呼ばれ、顔をそむける。 二人の間に、雨音が壁を作った。 そうして、そのまま自分の心のありかがわからぬままに、三成は雨が過ぎるのを待つ。 なぜ、これほどに苛立つのか。 なぜ、これほどに身の置き場を失った気になるのか。 なぜ、これほどまでに、胸中に空洞を感じるのか。「お」 家康の声が、自分の裡に入り込んでいた三成の意識を浮上させ、耳に雨音が無いことに気付かせた。「やんだな」 やわらかな声音に、ざらついた胸がざわめく。「さ、帰ろう」 たわませていた竹を戻すと、乗っていた雨粒が弾かれ、ざん、と周囲を強くたたいた。一人で竹を担いでしまった家康が先に歩き、その背中を見つめながら、三成は言葉にならない霧のような感情に眉をひそめた。 これは、この判然としないものは、秀吉に向いているのか、家康に向いているのか、二人の知己である男に向いているのか。「三成」 ひょい、と振り向いた家康に「ッ!」 心中を察せられたかと驚き「貴様、気をつけろ!」 竹が振られて当たりそうになった事を怒っているふりをして、胸中が落ち着かぬ憤りを発した。「おお、すまん」 かけらも悪びれぬ家康が「今度、会ってみればいい」「は?」「前田慶次という、男だ」「まえだ……けいじ?」「豊臣殿の知己で、昔はよく、共にいたずらをしたという、男だ」 ――前田慶次。 心の中で、反芻する。「面白い男だぞ」 楽しげな家康が「茶でも飲みながら、思い出話を聞かせてもらえばいい」 その言葉は、どこか他人事のように三成に響いて「貴様は――」「ん?」「いや――何もない」 不思議そうにするも、家康はそれ以上問うことはせず、再び前を向いて歩きだした。 空は、雨の気配などみじんも感じさせぬほどに、すっきりとした様子で大地を包み込んでいる。茜に染まったそれは、ゆっくりと紫に変じ、藍に変わり、群青となって星を抱えて月を飾り、ひっそりと逢瀬を行う牽牛と織女の姿を、つつましく寿ぐ準備を進めるのだろう。「家康」「ん?」「――このまま、晴れると思うか」 立ち止まり、空を見つめた家康は「七夕まで、もつといいな」 晴れやかに応えた。「降るとしても、今のうちに降りだめをしておいてもらえると、助かるんだが――そうなると天の川の水があふれて、河を渡るのに難儀をするかもしれんな」 下らんことを、と言い捨ててしまう気になれず「ならば、貴様が常に傍に置いている男を、手伝いに行かせてやったらどうだ」 目を丸くした家康が「それはいい。忠勝に、伝えておこう」 破顔した。 年に一度、恋しい人との逢瀬の喜びを地上の人々に分け与えてくれると言う。それを受けるため、短冊に願いを書き、飾りを施した竹に括り付ける。 わさわさと目の前で揺れる竹の先を見ながら、誰にも知られることの無いよう、そっと――小さく、家康の提案を願いとしてしたため、先端に括り付けてみようかと、思った。 ほんの少し、自分の望みも付け加えて――――。2012/06/30