高校の図書室。夏休みの課題の資料をまとめ終えた石田三成の手元が、影になった。顔を上げると、三人の女子が立っていた。 三成と目が合えば、へらりと――三成には、そう見えた――して、甘ったるい声で話しかけてきた。「三成くん。この後、用事とか、予定とか、何かある?」 自分の名前を知っていると言うことは、同じクラスか何かなのだろうが、三成にはとんと覚えのない顔ばかりで「貴様らに、私の予定など何の関係がある」 冷ややかに、言い放った。けれどそれにひるむ様子も無く、むしろ返事を貰えたことを喜ぶかのように「もし予定が無かったら、夏祭り、一緒にいかないかなって」 ねぇ、と女子たちが顔を見合わせて、三成に顔を寄せてきた。「ねぇねぇ、一緒に行こうよ」「せっかくだしさぁ」「ね? 三成くん」 返事を貰えたことに勇気を得たのか、遠慮がちな態度が一変、積極的に変わった。 それらに眉一つ動かさぬ三成を、取り囲むようにした女子の背後から「いいんじゃないか。三成。一緒に行けば」 朗らかな声が響き、彼女らの頭の上から、よく見知った顔がのぞいた。「家康」「楽しそうじゃないか、三成。ワシも、一緒に行って構わないか」 徳川家康がニコリとすれば、女子が小さな歓声を上げて「もちろんっ」 ぴょん、と飛び跳ねた。「行こう、三成」 変わらぬ笑みの家康と、期待を込めた女子たちの視線を受け「――付き合ってやる」「決まりだな」 女子たちが手を叩き、待ち合わせ場所を決めて、一旦解散となった。 夕暮れの始まりかけた、まだまだ昼が幅を利かせている時間。 待ち合わせに指定された駅前に、三成と家康が立っていた。 ここから川沿いに出て、屋台の並ぶ道を進み、花火を楽しむために、ぞくぞくと人が集まり、二人の横をすり抜けていく。「遅い」「まだ、時間じゃないだろう、三成」 約束の時間より早めについた三成は、すでに待っていた家康に呼ばれ、駅を出てすぐの、駅舎の壁際へ歩み寄った。そこで、約束をした者たちを待っている。「女の子は、いろいろと準備に時間がかかるんだろう」「ならば、それを見越しておくべきではないのか」「電車が込んでいて、なかなか乗れなかったりしたんじゃないか」「そういうこともあるかと、早めに出るよう形部に言われた。誘った身であるならば、それくらい考慮をすべきだろう」「まったく、おまえというやつは」「なんだ」「いいや」 家康の苦笑の意味が分からず、腕を組んで流れゆく人の中に目を投じる。長身の二人は、人ごみでも目立つ。三成が彼女たちの顔を覚えていなくとも、向こうから声をかけてくるだろう。「しかし、すごい人だな」 どの顔も、うれしげに輝いている。家康も、それを見て同じような顔をしている。それが、いつも三成には理解が出来なかった。「何を、へらへらと笑っている」「へらへらって、ひどいな」 微笑むだけで、家康は何も答えない。それをわかっていながら、三成はいつも口にする。家康も、それをわかっていた。「お。家康じゃねぇか」 体躯がいいと言える家康よりも大きな男が、気安げに片手を上げながら近寄ってきた。「元親」 呼ばれた男、長曾我部元親は三成に目を向けて「アンタが、こういう所に来るなんざぁ、珍しいなぁ」 向けられた親しみを込めた目を、煩げに見返して目を逸らす。「せっかく祭りに来てるってぇのに、シケたツラぁ、してんじゃねぇよ」 頭を掴もうとしてきた元親の手を、ぞんざいに払った。油断をすれば、この男は頭を掻きまわすように誰彼かまわず撫でようとする癖がある。「私に触るな」 ひょい、と肩をすくめて見せた元親が、気分を害した様子は無い。いわゆる不良と呼ばれる分類に属する彼が、鬼と呼ばれているにもかかわらず、慕う者が多いのは、こういう鷹揚さと、豪快ながらも細やかに人を見る目と態度があるからで、意識せずにそれを受け止めている三成もまた、彼の事は憎からず思っていた。――三成が表情に乏しく感情をあまり表に出さない質なので、表面的にはわかりづらいが、家康は彼が元親のことを認めていることを知っている。三成は、興味のない相手は幾度会ったとしても、存在を認識していないと言っても過言ではないほどに、憶えない。「兄貴」 遠くから声が聞こえ、男たちが近寄ってくる。「おお!」 手を振り答えた元親の傍に、彼を慕う見た目はガラの悪い、内面は気のいい男たちが集まった。「花火、良い場所を確保してやすぜ」「おう、すまねぇな」 男たちが、家康と三成に目を向けて「チューッス! 家康さん、三成さん」「ああ。皆も祭りに来ていたんだな」「当然ッス! あ、よかったらコレ」 男の一人が、いか焼きを二人に差し出した。「ん?」「ヤスの兄貴が、テキ屋やってんスよ」 別の男が言い、照れたような顔をして、頭を掻きながら頭を下げたヤスに「そうか――ありがとう」 礼を言って家康が受け取り「ほら、三成も」 差し出されたものを、さして嬉しくもなさそうに受け取った三成が「貰っておこう」 ぼそりと言えば、男たちが歯を見せて笑う。彼らは皆、元親が気にかけている不器用なこの男のことを、彼らなりに気にかけており、食に関しては驚くほどに無頓着であることを、知っていた。「あったかいうちに、食べてくださいね」「ああ」 家康が答え、三成はただイカ焼きを眺める。「それじゃ――行きましょう、兄貴」「おう。じゃあな、お二人さん」「ああ」 去りゆく彼らに家康が小さく手を振り、三成は無言で目を向けた。その目を、駅舎の時計に向ける。 約束の時間は、もうあと少しになっていた。それに気づいた家康が「次の電車なのかもな」「どうでもいい」 心底感心のなさそうに言った三成は、イカ焼きに目を落とし、かじった。甘辛いタレの味が、口内に広がる。「悪く無い」「そうか」 家康も齧り「うん。――忠勝に、土産に買って帰ろうか」 話しかけているのか、ひとりごとなのか、どちらともとれる声を出した。「土産か――」 ぽつりと、三成が言う。「秀吉と半兵衛に、何か買って帰ったら、どうだ。ほかにも、いろんな屋台があるだろうし――いろいろと見て回るのも、楽しいぞ、三成」 三成の目が、人々が進んでいく先に向けられる。大勢の人の中、肩車をされている子どもの姿が見えた。影になってわからないが、わくわくとした気配を体いっぱいに抱えていることがうかがえる。屋台を指さしては、肩車をしている男に話しかけていた。「皆、楽しそうだな」 それを見つめる横顔に、家康が懐かしげな目を向けた。「ああ――」 三成がまだ幼いころ、手をひかれて祭りに出かけたことがあった。何もわからず、人々の発する楽しげな空気に包まれ、自分もまたその一部となり、きょろきょろと色々なものに目を投じていた頃を思い出す。「なつかしいな」 ほろりと漏れた声に、家康がしみじみと「ああ――」 同意を示す。 二人の記憶は違ったものであるのに、浮かべている気持は、ぴたりと添うような気がした。「――りんごあめ」「うん?」「りんごあめを、土産に買おう」「そうか――ならワシは、わたあめを買おうか」 二人が顔を見合わせて、ほんのりとした笑みを浮かべあう。「金魚すくいは、したことがあるか? 三成」 三成が、頷く。「なら、どちらが多く捕らえられるか、勝負をしよう」 にやりと、三成の口の端が持ち上がった。「受けてやろう」 そこに「ごめん! お待たせぇ」 高く、とろりとした甘えを含む声がかけられた。「ああ――時間、丁度だな」 家康が笑いかける。「思ったより、人が多くって電車、一本逃しちゃった」 ごめんね、と三人の女子が示し合わせたように手を合わせて、悪びれた様子も無く謝る。背を向けていた三成がゆっくりと振り向き「さっさと、行くぞ」 放った声は存外に柔らかく、口元には微笑すら浮かんでいて、笑うことなど無いのではと噂が立つほど珍しい彼の笑みに、口も目も開いたまま、彼女たちは動きを止めた。「どうした」 とっさに声が出なかったらしい彼女たちが首を振り「それじゃ、行こうか」 家康の言葉に、頷く。 歩き出した五人は、祭りに浮き立つ空気の中に、その身を紛れさせた。 三成の目には、現れた彼女らの浴衣に描かれた金魚が、懐かしい遊びに誘う旧友のように、映っていた。2012/08/07