ふらりと伊達政宗は納屋に足を向けた。 そこには、まったく忍ぶ気のない他国の忍が居るはずで、政宗は彼の姿に確かめたいことがあった。 ひょいと顔を覗かせると、甲斐の忍、猿飛佐助が納屋の軒先につるしてある野菜を風呂敷に包んでいる。彼はこうして時々、伊達政宗の右目であり奥州きっての、いや、日ノ本全土を見渡しても優秀と言える軍師であり、野菜作りの名手としても名をとどろかせている片倉小十郎の育てた野菜や、山に囲まれた彼の仕える国では手に入れることの難しい海産物を持ち帰っている。「あ、れ。なに? 珍しい。俺様に何か用事でもあんの」「まず最初に、礼を言うべきなんじゃ無ぇのかよ」「うっわ。感謝を強要するとか、心狭いっていうか器が小さいっていうか――ま、いいけどさ。大食らいが二人もいるから助かってるよ。ありがとさん」 佐助の言い様に、憮然となった。「強要したわけじゃ、無ぇよ」「してるでしょうが。あ〜あ、うちの旦那はそんなこと絶対にしない人だから、良かった」 彼の言う旦那――真田幸村は政宗もよく知っていた。奥州筆頭という立場を忘れ、武人として対峙できる唯一の相手を引き合いに出されて更に機嫌が悪くなる。「まあいい。アンタに用事があって来た」「用事がなけりゃ、来ないでしょ」「テメェはいちいち――」「で、何さ。用件って」 軽口をたたいていても、そこは優秀な忍である。瞬時に気配が締まった。一国の主が改めて他国の忍に話があると言われれば、それなりの内容であろうと予想する。が「ああ、いや――そんな大層なモンじゃあ無ぇ。ちょっと、その面当てを外してもらえねぇかと思ってな」「はぁ? え、ちょ、もしかして、ソッチの気があるとか言わないよね」「あってもアンタに手ぇ出すかよ」「あるんだ」「無ぇよ」 舌打ちをした政宗を、にやにやしながら見つめつつ、佐助は面当てを取って見せた。「ほい」 じ、と政宗の視線が佐助の生え際に向けられる。「え、なに」「普通だな」「いやだから、何なのさ」「いや、苦労するとハゲるって言う話を聞いたんでな」「俺様が苦労してるって、思ってんだ」「武田のオッサンと真田幸村の間にいるのは、相当な苦労があるんじゃ無ぇのか」「ああ〜、まあ、うん、あるねぇ」 鼻先を掻いた佐助の脳裏に、満面の笑みで殴り合いながら、そこらのものを破壊する師弟の絆を確かめている二人の姿が浮かぶ。「食えないオッサンと、鬼と言われる男と共に在って、楽な訳が無ぇもんな」「あ、そっち」「どっちだ」「や、こっちの話。でで、何。俺様がハゲてんじゃないかと思って、確かめに来たとか言わないよね」「いや、まぁ――当たらずとも遠からずって所だな」「歯切れが悪いね。はっきり言いなよ。竜の旦那」「ああ――そうだな」 目をそらし、胸に貯めた息を吐く政宗に首をかしげる。佐助の見知っている、独眼竜と称されるこの男にしては珍しい。よほど言いにくいことでもあるのだろうか。「まさか、ハゲてきてんの?」「俺じゃ無ぇよ」「じゃあ誰さ――――あっ」 ふっ、と浮かんだ顔があった。「――片倉の旦那?」「まだ、ハゲちゃ居ねえがな」 伊達軍の中でも政宗に近く気安い四人組が、苦労をすれば太るかハゲるかするんだと、話をしていたと政宗は説明した。「そこに、小十郎の名前が挙がったんだよ」 今のところ問題は無さそうだが、いずれはクルのでは無いか、と。「あ〜、きそう」 小十郎の姿を思い浮かべながら、哀れっぽい顔をしつつ、佐助が言葉を続ける。「そっちの軍を見てると、まとめるの大変そうだし、竜の手綱を締めるのなんて、血管キレそうなくらいなんじゃない」「手綱ってなぁ、なんだ。手綱ってなぁ」「そのまんま、言葉通りだよ。手綱がなけりゃ、どっかに飛んで行って暴れそうじゃない。っていうか、暴れるでしょ。ウチの旦那は無茶はするけど、聞き分けの良い主でよかったって、ホント思うよ。アンタ見てると」「あれはあれで、苦労するんじゃねぇのか」「うぅ〜ん。竜の旦那よりかは、ずうっとマシだと思うけど。軍だって、良識的な人が多いしねぇ」「伊達軍が良識的じゃあ無ぇみてぇじゃねぇか」「見てくれだけでも十分、ぶっとんでると思うけどね。ま、それは他所にも言えることだけど」 ひょいと肩をすくめる佐助に、腕を組んで同意をする政宗が話を戻した。「で、どう思う」「何が」「小十郎に決まってんだろ」「ああ」 ううん、と佐助も腕を組んだ。「ハゲるね」「ハゲるか」「苦労して髪が白くなるっていう感じじゃ、無さそうだしねぇ」「ハゲた小十郎か」「月代そって、髷を結えばごまかせそうだけど」「んぶっ」 笑いをこらえようとして失敗した。「あ、想像しちゃった?」「に、似合わねぇ」 体を折り、腹を抱えて笑いだす政宗に、佐助も笑いが込み上げる。「ま、たしかにねぇ。そんな姿でスゴまれてもなんか……あぁでも、軍師らしさは上がるんじゃない」「いい、いらねぇ――ぶくっ、くっくっ」「え、それじゃ、ウチの大将みたいに全部剃っちゃうってのは、どうよ」「武田のオッサンは、出家してるからじゃねぇか。つうか、オッサンがハゲを隠すために出家したとか言わねぇよなぁ」「ええ〜。そんなの、俺様の口からは言えないし〜?」 悪ノリをしだした佐助に、政宗が大声で笑う。納屋の前で冗談を言い合いながら笑い転げる二人の声は高く響き「あ」 笑う佐助の頬が、それを聞きつけて現れた人物の姿にひきつった。「え」 まさかと気づいた政宗の顔がこわばり、おそるおそる肩越しに振り向いて「げ」 カエルがつぶれたような声を出した。「何の話を、なさっておいでですか。政宗様」 笑みを浮かべる小十郎のこめかみが、ひくついている。「猿飛、テメェもだ」 一段低くなった小十郎の声に、おおこわ、と肩をすくめて荷物をまとめた佐助の姿が木の上に移動した。「そんじゃま、有りがたく頂戴していくよ。お礼はまた後で送るから」「あ、こら待て猿ッ」 ひゅ、と佐助の姿が搔き消える。背後に、ゾクリとするほどの怒気があった。 振り向きたくないのに、振り向いてしまう。「あ、あのよ。小十郎」「どういうお話をされておられたのか、詳しくお聞かせ願えますな」 有無を言わさぬ圧力に、政宗は童のように従った。 後日、お礼と称して「毛生えの煎じ薬」が佐助より届けられ、思い切り噴出した政宗と、怒りのあまり血管を浮かせて震えた小十郎の姿に、伊達軍ではしばらく頭髪の話題は誰が言いだしたわけでもなく、憚られることとなった。2012/03/21