うと、と濡縁で意識を手放しかけた真田幸村に、声がかかる。「こんなところで寝たら、風邪ひくよ」「うむ」 応えた声のけだるさに苦笑して、彼の忍――猿飛佐助は寝入ってしまうであろう幸村のために、冷えぬようかける布か着物を取りに、離れた。同じころ、奥州では伊達政宗がうららかな春日に誘われ、庭を眺めながら眠たげにしていた。「政宗様。お風邪を召されます」「Ah――」 彼の失われた右目と称される腹心、片倉小十郎に応えた声が、すでに眠りへと進んでいると告げている。「仕方のないお方だ」 薄く笑んだ小十郎が、主が冷えぬようにと肩掛けを取るため、膝を浮かせた。 あわあわと肌をとろかせるような陽気に、体内で萌え出ずるような生命力の疼きを抱えている。空はどこまでも澄み渡り、雲が彩を添えていた。洪水のように湧き出でる植物の色が、目にまぶしい。 みずみずしい草を踏みながら、幸村は深く、胸に山々の息吹を吸い込んだ。 ふと緑なす中に人の姿を見止め、顔を向ける。そこには、奥州に居るはずの伊達政宗が、気安い服装で腕を組み、景色を見つめていた。「政宗殿」 思わず声をかけ、かけよる。ゆったりと振り向いた顔が、わずかに驚きを見せた。「真田、幸村――ああ、なるほどな」 一人得心している政宗に、首をかしげる。「山も、粋なことをしやがる」「何のことにござろう」「アンタ――、屋敷にいたんじゃ無ぇのか」「――――そういえば。某、佐助と共に屋敷におり申した」 きょろきょろと辺りを見回し「佐助」 呼んでみたが、返事が無い。「あのな……呼んで来るわけが、無ぇだろう」「なんと面妖なことにござろう」 呆れたように、政宗が鼻息を漏らす。「山の息吹に、あてられたんだろう」 堰が切れたように春が押し寄せる山間の、溢れる命の奔流が、まれに人を飲み込むことがあるという。「山に、呑まれたと」「どうやら、そうらしいな――共鳴するモンが、あったんじゃねぇか」 とん、と手の甲で軽く相手の胸を叩いた。「共鳴する、もの」 叩かれた箇所に添えられた手が、こぶしを握る。自分の裡に話しかける幸村を見つめ「俺は、思い当たる節がある」 と、告げた。「雪解けで、進軍が叶う。天下を目指すのももちろんだが――最初に浮かんだのは、アンタとの派手なPartyだ」 悪童の笑みを浮かべる政宗に、幸村の目がきらりと鋭い光を放った。「某も、政宗殿と刃を交えとうござる」 皮膚が溶け、むき出しの魂が咆哮を放つ感覚は山の春に酷似していた。「つまり、そういうことだ」 政宗の足が肩幅より広く開き、腰が落ちる。見えぬ刃が幸村の鼻先に突き付けられた。「なるほど。よく、わかり申した」 幸村の足が草を蹴り上げる。顔から政宗に突っ込み、腰でためた拳を突き上げる。「ぬぉおおっ」「甘ぇ」 状態を逸らしながら体を落とした政宗の足が、幸村の足が地面に戻る頃合いを見計らい、繰り出された。「くっ」 上半身で遠心力を作り反転し、転がる幸村が起き上がるのを待ち、政宗は動かぬままにこぶしを突き出した。「生身で、存分に得手の得物を手にして死合おうぜ」 ぐ、と握った拳を幸村が重ねる。「戦場にて、お会いいたしましょうぞ」「俺にやられるまで、勝手にくたばるんじゃねぇぞ。真田幸村」「政宗殿こそ――」 霞が沸き起こり、互いの姿をかき消した。 ぽり、と鼻先を掻く猿飛佐助は、丘の上に立つ桜の大木の太い枝にぶら下がっていた。不覚にも、春に呑まれたらしい。(旦那に、あてられたかなぁ) そうとしか思えない。強い気を持つ主は、良くも悪くも知らぬうちに感化されることがあった。(なんだかなぁ) ふうと息を吐いた先に、見知った顔を見つけて降りた。「もしかして、片倉の旦那も巻き込まれちゃった」「――猿飛」 固い顔をして片倉小十郎が振り向く。「どういう現象だ」「ああ」 どうやら、耐性が無いらしい。(ま、耐性があるほうが、珍しいけどねぇ)「山の春に、あてられたみたいだねぇ」「山の、春」「竜の旦那のそれに、巻き込まれたんじゃない? 詳しく説明するのも面倒っていうか、説明しずらいっていうか――まぁ、波長があっちゃうと囚われる、みたいな感じかな」「政宗様が、そうなったって言うのか」「旦那もね」 周囲を見回しても、二人の姿は見えない。「どうやら、違う場所に引き込まれたみたいだけど」「危険は、無ぇのか」「ん〜、無いんじゃない」 気楽な様子の佐助に、疑わしげな目を向ける小十郎の目が見開かれた。「お、おい、猿飛」 佐助の足が、霞に変わり溶けていく。「ん。あぁ、起きるみたいだね。ま、大事なかったってことだろ。――次に会うときも、こんなふうに呑気だったら俺様、楽なんだけどなぁ」 小十郎も指先から霞に変わっていく。「そうは問屋が卸さねぇんじゃねぇのか」「雪解けが終わったら――現で顔合わせをすることになるだろうな」「状況によっちゃあ、容赦はしねぇ」「忍相手に言うセリフじゃないよね」 ふふっ、と淡い笑みを残したまま、すべてが霞と変化した。「ん――」「っはぁ。まったく。――おはよ、旦那」 瞬き、がばりと起きて周囲を見回す幸村が呆然と立ち尽くすまで見届け、自分に向けられるだろう問いの答えを用意する。「佐助、政宗殿が――」「山の気にあてられたんだよ」「山の気」「春山は、人を誘うからね」「――――そう、か」 山に人が食われるのは、雪解けがはじまる春先と、幸村も重々承知している。「政宗殿の身に、大事なければ良いが」「問題ないでしょ。旦那、どこか調子わるいとこ、無い」「いや――むしろ気が満ちておるようだ」「そりゃ良かった」 ぐう、と幸村の腹が声を上げる。「おなかは、満ちてないようだけど」「う、ぬぅ」「お茶、淹れようか」「頼む」 茶を用意しに立った佐助も、彼を見送った幸村も、なんとはなしに山に目を向け、視線を外した。「お目覚めになられましたか」 すう、と眠りに入るのと同じ速度で目をさまし、安堵したように頬を緩めた小十郎を見た政宗は、周囲を見回す。「ふぅ」 息を吐き、座りなおした。肩掛けに気付き、thank youと小さくつぶやく。「おかわりは、ございませんか」 心配げな様子に、自分はうなされでもしていたのだろうか。「変わりは無ぇよ――いや」 体内に、くすぶる魂が熱を持っていた。「ちょっと、付き合え」 道場へ行くため立ち上がり、山に目を向ける政宗につられ、小十郎も視線を投げた。「派手なPartyの幕開けだ」 静かに、小十郎が頷いた先に、春待鳥の声が響いた。2012/03/24