きちんと背筋を伸ばし坐して、片倉小十郎は突然の来客と対峙していた。が、その姿は遠目から見れば、ひとり静かに何か物思いにふけっているように見える。 それは、対面している客人が、見落としてしまいそうに小さな猿であったからで、小猿も微動だにせず背筋を伸ばし、きっちりと坐しているので置物のようであった。 小猿の名前は、夢吉と言う。何がどうなってそうなったのかはわからないが、伊達軍の者が野鳥を捕まえようとしたところ、籠の中にかかったのは、この小猿であったという。そして夢吉が前田慶次の友であると気付いた者が小十郎に報告し、何がどう伝わったのか、前田慶次が竜の右目に火急の用事がある、という話になって野良仕事をしていた小十郎の耳に入り、客室に茶を用意し、彼の支度が整うまで待ってもらおうという話になった。 伝え聞いた小十郎の屋敷の侍女は、この小猿は密使であると思ったらしく、上等の茶に円座を用意し、うやうやしく夢吉を迎え、ただならぬ気配を感じた夢吉は慶次と共に過ごしている間におぼえた作法をもって侍女に接し、きちんと姿勢を正して茶に手を付けず、小十郎を待つこととなった。 そして、その結果が今の状態となる。 前田慶次の姿はどこにもなく、客室には彼の友が折り目正しい所作で小十郎に頭を下げ、小十郎も礼を欠いてはいけないと、小猿相手に一人の武将を前にしているような態で挨拶を交わし、坐し――困惑していた。(これは、どうすりゃいいんだ) 小猿が書簡を手にしている様子は無い。けれど、折り目正しく座り、まっすぐに自分を見ている。よほど重要なことがあるに違いないと、小十郎は夢吉が何事かを言うのを待った。 夢吉は、自分が捉えられ前田慶次の友であると知れて、この屋敷に迎え入れられ、このような処遇を受けるということは、よほどに大切なことを託されるのではないかと、小十郎が切り出すのを待っていた。 そうであるから、互いに動くに動けず、ただ静かに時間が経っていく。 いい加減、痺れが切れ始めた夢吉の腹が、この沈黙を破った。 ぐぅう〜 なんとも情けなくも力強い訴えに、緊迫していたからこそ、より笑いをこみ上げさせ「腹が減ってんのか。待ってろ、すぐに何か、用意してやる」「キキッ」 提案に、夢吉は文字通り飛びついた。 もふもふと、小さな膳を前にして、すごい勢いで夢吉が食べている。それを、目を細めて小十郎が眺めていた。「うまいか」「キィイ」 満面の笑みを浮かべ、幸せそうに食している夢吉の姿を見る。小十郎手製の、自慢の野菜を使った膳だ。それを、これほど幸せそうに食されるのは、冥利に尽きる。「そんなに急いで食わなくても、逃げねぇから安心しな」「キィッ」 んくんく、と最後に茶を飲み干し、満足そうに息を吐いた夢吉の腹ははちきれそうに膨らんで「キィイキッ」 両手を合わせて食後の礼を取る姿に、小十郎は満足そうに頷いた。「ひとごこちついたんなら、外に出るか。それとも、昼寝をするか」「キッ」 ささっ、と小十郎の傍により、少し伺うように見上げてくる夢吉に手を差し出すと、ぱっと顔を輝かせた夢吉は、するすると肩まで上った。「なら、行くか」「キィイッ」 はりきった様子で手を上げる夢吉にクスリと笑い、小十郎は彼を気遣いながら立ち上がる。そのまま屋敷の外に出て、視察もかねて里に向かった。 外は心地よい陽気で、昼の日差しはまぶしいほどに降り注いでいたが、まだ冬の名残を残した風が冷たく、肌に心地よかった。「あ、片倉様」 彼の姿に人々は声をかけ、たわいない会話を投げかけてくる。それに短く返事をし、夢吉も同じように話しかけられ返事を返す。 最初のころは元気いっぱいの楽しげな様子だった夢吉がふいに、肩を落とした。「どうした、眠たくなってきたのか」 無言で力なく首を振る夢吉に、何処か具合でも悪いのか、といぶかった小十郎が夢吉の顔を見、ああ――と納得する。「どういう理由ではぐれたのかは知らねぇが――安心しろ。あんな派手な男は、そうザラにはいねぇから、すぐに見つかる」 合わせてやる、と請け負うと、顔を上げた夢吉の目が「ほんとに?」と問うてくる。「安心しな――数日で見つからなかったとしても、軍神のところに送り届けてやる」「キッ」 深く頷いた夢吉の顎を、やさしくあやして足を川べりに向ける。自分が里の者に声をかけられ、それに返事をしていることで慶次と共にそうしていたことを、思い出したのだろう。 子どもは、目新しいものを見つけると夢中になるが、ふとした瞬間に<常にあった優しさが失われ>たことに気付くと、それを求めることに囚われ、何をしてもぬぐえなくなることを、小十郎は知っていた。 川に人影は無く、ただ水が流れる音ばかりが耳に入る。せせらぎ、というほど柔らかくなく、けれど強すぎもしない水音は、かつて小十郎が幼い主を連れてあやした音であった。 川べりの岩の上に腰かけ、自然の奏でる音に耳を傾ける。肩から下りた夢吉が、ちらと小十郎を見る。笑顔でうなずいて見せると、ほっとしたように川面を覗き込んだ夢吉が、そっと水に触れた。 ぱしゃ、と水を投げるようにすくいあげて一人遊ぶ傍により、平たい石を拾い上げ、流れの緩い水面を選び、水平に投げる。 ぱっ、と腹から水面にあたった石が跳ね、トビウオのように三度浮き上がってから沈む。瞬きをして不思議そうに見上げてくる夢吉に、やってみるかと手ごろな石を渡してみたが、どうにも彼の手には大きさが合わない。それでも懸命にしようとする姿に、小十郎は何も言わず見守った。 見よう見まねでなんとかやってみるが、夢吉には大きすぎる石はすぐに水に沈んでしまう。首をかしげる夢吉が、足元の石を物色し始め、これと思ったものを投げてみるが結果は同じで「キィ?」 首をかしげ、再度の挑戦を試みる。それを、小十郎は口を出さずに静かに見守った。 何度も何度も失敗をして、それでもあきらめない夢吉の姿に懐かしさを浮かべながら見つめる小十郎の耳が、蹄の音をとらえた。近づいてくるそれは、聞き覚えのある馬足で「小十郎」「政宗様」 軽装の政宗と、その後ろに慶次の姿があった。「ああっ、夢吉!」 呼ばれ、振り返り、全身を喜びに震わせて駆け寄る夢吉を、馬から飛び降りた慶次が受け止める。「ああ、良かった――心配したんだぞ、夢吉ぃ」「キキィイッ」 頬ずりをせんばかりの二人の様子に、双竜のまなじりが柔らかくなる。「ありがとな、竜の右目]「キキィッ」「気にするな。――もう、はぐれるんじゃねぇぞ」「キィッ」 受けた夢吉に、くすりと笑う。「ああ、もう本当に、どうなることかと思ったよ。で、なんでこんな所に居たんだい?」 にこりと笑った小十郎が、手ごろな石を拾い、川面に跳ねさせる。それに手を叩きながら飛び上がり喜んだ夢吉が、さきほどよりもずっとウキウキした様子で石を手にし、投げ込み、ボチャンと沈んだ様子に落胆して見せた。その仕草に甘えた気色が匂う。「よっしゃ」 慶次が石を選び拾い、投げて見せる。それは二度ほど飛び跳ねて、水に沈んだ。「キィイイッ」 飛び跳ね喜んだ夢吉が、自分の選んだ石を慶次に差し出す。「あぁ、夢吉、こいつはちょっと重いかもしれないなぁ。こう、平たいやつがいいんだ。平たいやつ」「キッキィ」 そうして二人で石を選び出す姿に目を投じる小十郎の傍に、政宗が寄った。「ずいぶんと、楽しそうじゃねぇか」「なつかしゅうございましたので」「俺は、小猿か」 笑いあい、政宗が袖をまくりあげる。「久しぶりに、興じてみるか」 そうして石投げを楽しむ二人と一匹を、小十郎は春日の温かさで見守った。 あたりまえであるはずの、この景色が続くようにと願いながら――2012/04/05