あちらこちらの店前に看板が出て、人が行きかっている。楽しげな人々の間を、ぼてふりが声を上げながら進み、路地脇では手妻を見せたり細工をこさえて売る者が筵を敷いて客引きをしていた。「賑やかでござるなぁ」 弾んだ声で人々の笑顔を見送る真田幸村は戦場とは別人のようで「ガキみてぇだなぁ」 けらり、と長曾我部元親が笑った。 大阪は堺――ここは、商人の街であった。「旦那、あんまりキョロキョロしてると、迷子になるよ」「おぉお、なんと面妖な」 心配をする猿飛佐助の言葉など耳に入らぬ様子で、幸村は手妻の前に立ち止まり、子どものように目を輝かせている。「あれが、紅蓮の鬼の本性か」「幻滅した?」「いや――むしろ、好感が持てるってぇモンよ」 目を細める元親の様子は、子を見守る親のようで、佐助は複雑な笑みを浮かべた。「旦那、ほら――もう行くよ」「ぬぅ」 手妻にぞんぶんに後ろ髪を引かれつつも従う様子に、元親がはじける。「親子みてぇだなぁ」 それをどう受け取ったのか「お、お恥ずかしいところを――」「なぁに。そんだけ、信頼関係が深いってぇ事だろう。うらやましい限りじゃねぇか」 力強く背を叩かれ、幸村がよろめく。「大切に、しろよ」「無論!」 妙に気の合う様子の二人に、やれやれ、と佐助がこっそり息を吐いた。 あらゆる商品が集まるという堺の港。そこから伸びる商人の街に、めずらしかな薬があると聞き、佐助は足を運ぶことになった。そこに、見聞を深めるためと幸村を連れて行くよう武田信玄からの下知を受け、共に出立し、到着したのが夕刻だった為にその日に探すのをあきらめて、宿をとることにした。 ところが、大きな船が入港したばかりとあって、どこの宿も空きがなく、身分を隠したままな上に、甲斐武田の財布事情に精通している佐助のそろばんに叶うものが見つからない。「あの宿などは、空いてそうだが」 何の気なしに幸村が言う宿は、戦にはめっぽう強いが世情にはとんと無知で初心な彼を、泊まらせることのできそうにないものか、予算よりもうんと高い所ばかりで「ああ、うん、あそこは、ちょっとね」 そう誤魔化し、別の場所を探していた。そこに「野暮なこと、してんじゃねぇよ」 酒場から声が聞こえ、しばらくの後に体躯のいい左目に眼帯のある男が、数人の、一見してやくざ者とわかる風体の男たちと共に現れて「佐助、あの御仁は」「旦那、面倒なことに巻き込まれる前に、移動するよ」「しかし――」「多勢に無勢、とか言わないでよね。助太刀なんて必要のない相手でしょ」「それは、そうだろうが」 迷う気配の幸村に手を伸ばし、ほらと促す前に「お、そこの二人。もしかして――」 眼帯の大男、元親が気付き「久しぶりだなぁ」「よそ見してんじゃ――ッ、ぐべ」「あ、ご無沙汰しておりまする」「あ〜あ、もう。面倒なことになんなきゃいいけど」「どうした。何の用でこっちまで出てきたんだ」「くっそ、テメェこのや――がふっ」「あ、某は見聞を広めよとのお館様の仰せにて、参り申した」「なるほどなぁ。ここにゃ、いろんなものが集まるからな」「ってええりゃ――ぐぎゃっ」 会話の合間に襲い掛かる男たちを地に伏せて、何事も無かったかのように幸村らを手招いた元親が「せっかくだ。ちょいと呑んでいかねぇか」「ああ、申し出は有りがたく存じまするが、宿が決まっておらず」「そんなら、俺んとこに来いよ。二人ぐれぇ面倒見てやるぜ」 佐助がわずかに逡巡する間に「それは、かたじけのうござる」 ぺこりと幸村が頭を下げて、そういうことになった。 飲み食いをさせてもらい、タダで宿にもありつけて、街を案内してやるという好意を無下に出来るほど、佐助は長曾我部軍に警戒をする心配を擁しておらず、根が素直な幸村は「ご迷惑でなくば」 人懐こい笑みを浮かべて申し出を受け、三人でこうして街中を歩くことになった。 元親の長身は、ただでさえ人目に付くのに、眼帯と隆々とした肉質が、さらに人々の目を向けさせる。時折、色っぽい目を向てくける女のことなど一向に気にしない様子は、幸村と同じく鈍いのか、慣れ切ってしまっているからなのか――「薬種問屋なら、ここが一番でけぇな」 佐助がめずらしかな薬を求めていると知って、元親は懇意にしている薬種問屋に案内をした。「これはこれは。このたびも、お世話になります」 暖簾をくぐると、番頭が揉み手をせんばかりの態度で声をかけ「ちょっと、いろいろと見せてもらおうと思ってよ」「それならば、奥に――おい、長吉。すぐに用意を」「へい」 手代が奥に引っ込んだ。「どうだい、繁盛してるかい」「ぼちぼち、稼がせてもろうとります――そちらさんには、ほんまにお世話になりっぱなしで」「なあに。それはお互い様ってぇモンよ。俺以外にも、いろいろと居るんだろ」「こりゃ、かないまへんな。西海の鬼さんは、耳も早うて意地が悪い」 腹の探り合いなのか、たんなるあいさつ程度の応酬なのか判然とせず、佐助は二人の間柄がどの程度か見極めようと、さりげなく気を配りつつ店の様子を探る。幸村は口を少し開けて、不思議そうに並んでいる品や文字を眺めていた。「そちらさんは、新顔で?」 きら、と番頭の目が光る。値踏みをする目に、幸村が丁寧に頭を下げた。「某は、長曾我部殿のご厚意でこちらを紹介していただいた者にござる」 身分は明かさぬように、と佐助が口を酸っぱくして言っておいたので、名乗らなかった幸村に少し胸をなでおろし、佐助も頭を下げた。 さっと人品骨柄などを確かめるように鋭い目が足元から頭の先を通過して「それはそれは。てまえどもの見世に、御目がねに叶うものがあれば宜しいのですが」 金になると踏んだらしく、極上の笑みを向けられた。「ささ、奥へどうぞ」 女中に案内され、元親は慣れた様子で――幸村はきょろきょろとし、佐助は屋敷の作りをさりげなく確かめながら奥の間へ案内される。そこは、中庭の見える離れで「なんと見事な」 つましくも手入れのされた庭園があった。「堺の商人は、刀の代わりに銭金で戦をするってね」「そんなら、この見世は武将格ってぇところか」 佐助の言葉を元親が受け、膝を叩く。そこに、女中が茶と饅頭を運んできた。「すぐに、参りますので」「おう」 鷹揚に応えた元親が茶に手を伸ばし、口にしたのを見てから佐助も手を伸ばす。幸村も、佐助に倣った。 しばらくの後「元親様。手前にお客さんを連れてきてくれはったて、お伺いしたんやけど」「おう、相模屋。忙しいとこ、すまねえな。ちょいと薬を見繕ってくんねぇか」 相模屋と呼ばれた男が座ると、女中が主の茶と、客人の新しい茶、菓子を盛り付けたものを運んできた。「お急ぎでなければ、いろいろな品を運ばせましょう」 幸村と佐助を見て、相談相手は佐助らしいと見当をつけた主は佐助の上で視線を止めた。「や、これといった目的があるわけじゃないんだ。めずらしかな薬がある、という噂に、どういうものがあるのかと見に来ただけで」「それならば、普段使いをせぬような薬をいくつか、運ばせましょう」 ぽんぽん、とふくよかな掌を主が叩けば手代が現れ用向きを聞いて辞する。よく教育をされているらしい所作に、佐助は感心した。「ところで元親様。先だって買わせていただきました、呂栄よりの品ですが」「なんか、問題でもあったか」「いえいえ――また手に入ったのなら、手前どもに、率先して見せてもらえへんやろか、と思いまして」「なんだ、そんなに良かったか」「勉強させてもらいますよって」 二人のやり取りを、幸村はポカンと見つめている。「旦那は、商談には向いていないからねぇ」 その点、曲がりなりにも領主である元親は如才なく駆け引きを行っている。海賊まがいの鬼との噂も聞こえる彼だが、民と近すぎることが、そのような流言になっているのかもしれない。 ――奥州の竜も、似たようなモンかもしれないけど。 それでも彼が「奥州筆頭」と言われているのは、元親ほど民との境界を消しているわけではないからだ。それは、出自やこれまでの生活などに起因することなのだろうが―― ――旦那は、どんな風に育つのかね。 少なくとも、奥州の伊達政宗のようにはなってほしくはないと、思う。 ――ま、なりそうな要素は見当たらないけど。 けれど人は、何をきっかけにしてどうなるかはわからない。人が変わった、という言葉があるが、まさにそうだと言える現場を、忍である佐助は幾度も目にしてきた。 ちらりと横を見ると、主人に勧められるままに菓子に手を伸ばす、幼さの残る頬があった。危うさをはらみつつも、根の強い軸を持った彼が世情を知り、受け止めていけばひとかどの人物になるだろう。それまで、佐助は純粋すぎるきらいのある彼が甘言に騙されぬよう、気をつけねばと改めて思いつつ「お待たせいたしました」 運ばれてきたものに、目を向けた。「さ、遠慮せんと、好きにご覧になってください」 次々と出されたものは、西洋や印度などから運ばれた薬草から、人魚の粉まであった。「人魚の粉?」 少し首をかしげた幸村に「不老長寿の効能が、ございます」 好奇心を全身からほとばしらせる幸村に、主は得意満面で薬の説明をはじめ、それに大仰に驚いて見せたり感心をしてみたりする反応に「ほんなら、秘蔵のアレもお見せしましょ」 気をよくした店主は次々と、薬以外にも商っているめずらしかな物を運ばせては披露して見せた。 すっかり長っ尻をしてしまった面々は、自尊心が大いに満たされたらしい主に手土産つきで見送られ、宿に戻った。素直に面白かったことを噛みしめる幸村と、安価でよい品が手にはいったと満足する佐助と、今後の商談をするのに良い関係が深まったと感じた元親の、それぞれに収穫のあった時間であった。「アンタら、いつまで逗留する予定だ」「ん。旦那連れだし、あんまり長くはいられないからねぇ。俺様の目的は達成したし、明日か明後日には、出立しようかと思ってるけど」「長曾我部殿のご厚意に、甘えてばかりいるのも、心苦しゅうござるしな」 佐助の言葉を引き継いで頷いた幸村に「なぁに。俺も助かったし、お互い様よ」 意味の分からぬ幸村は、首をかしげた。「ああ、いいんだよ旦那。わかんなくて」「そうか」 釈然としないまま納得を示した幸村に「アンタら、いい信頼関係だな」 元親が佐助に柔らかな目を向け「まあね」 当然のような顔をして、佐助が受けた。「俺らも、明日か明後日あたり、出航する予定だからよ――甲斐の傍のどっかの国の港にまで、乗せてってやろうか」「え」「なんと」「船酔いに、ならねぇ自信があるなら、そっちのほうが楽だろうぜ」 挑戦的な匂いのする物言いに「船酔いになど、なりませぬ」「なら、決まりだ」「ちょっとちょっと――もう、仕方無いなぁ」「近いといやぁ、南の駿河と南東の相模だな――ま、どっちでもかまわねぇが、好みな方を、言ってくれ」「かたじけない」 そうして、二人は最後まで元親に甘えることになり、予定よりも早く甲斐に戻ることが可能になったが――――船旅の仕儀がどうなったかは、多く報告をされなかった。2012/05/14