時折、自らの目で見に行くこともしなければ、何をされているのか解かったものではないわ。 どれほど信頼のおける者とて、裏切らぬ確率が無いとは言い切れぬ。 自分さえも裏切りだます者とて、おるのだからな。 そう言って憚らぬ毛利元就は、突発的に――事前に知らせてしまえば、誤魔化す時間を与えてしまう事になるので――ふらりと出かけることがあった。 部下たちには「信用をされていないのか」と不満も生まれるが、そのおかげで不正が無い、と喜ぶ民や純朴な役人も居る。 もっとも、元就はそのような人々の意見など関係なく、自分が正しいと思う道を進んでいるだけなのだが、それが冷徹と取られる事に、毛ほどの関心も持たなかった。 そのようなこと、いちいち気にする必要など無いではないか、と思う元就の脳裏には、豪快に――彼からすれば下品と称しても構わないほど、あけすけな男の姿が浮かぶ。あれは、周囲の意見に耳を傾けすぎていると、思えた。 いつか、身を滅ぼすだろう。 そう、思っている。気にするほどの者でもないはずなのに、妙に気になって仕方が無いのは、自分に突っかかってくるから、だけの理由ではないと理解していた。だが、その理由を元就は知らない。自分でも、わからない。 ふう、と息を吐き、抜き打ちの視察場所へ到着する直前に「毛利……毛利じゃないか」 明るい、あの男――長曾我部元親を思い出させるような声に、呼び止められた。 見ると、親しげな笑みを浮かべて体躯の良い男が小走りにやってくる。「――徳川か。何の用だ」「ずいぶんな挨拶だなぁ、毛利。もう少し、にこやかにしてみたら、どうだ」「貴様に指図をされるいわれなど、無いわ」「はは。まぁ、そうだな」 少し前までは、何もかもが幼い男であったのに、ぐん、と大きくなった男は体格だけでなく器も大きくし、天下分け目の決戦と言われる戦を指揮するまでになっていた。かつ、勝利まで治めている。「何故、ここに居る」「ああ。元親のところへ行こうと思ってな。乗せてくれる船を、探しに来たんだ」 領主同士の思惑はあるが、民の生活を逼迫させるわけにはゆかぬと、元就も元親も漁師や商人の交易は許可していた。だからこそ、斥候が紛れ込む可能性もある。それを、元就は探りに来ていた。 推し量るような元就の目に、困ったような顔をして徳川家康が首を少し、傾けた。「別に、何か企んでいるとかじゃないぞ」「何も、言うておらぬ」「毛利は慎重だからなぁ」 嫌味か、と思う。が、警戒のかけらも見せないこの男に、そんなものはみじんも無く「貴様らが、無関心すぎるのだろう」 複数形で言われたことに、おや、と家康の眉が上がった。「それは、元親も指しているのか」 なぜか、心中で舌打ちをしてしまった。「他に、誰が居る」 意味の分からぬ苛立ちを、おくびにも出さず一瞥した。「はは――まぁ、ワシとしても元親にしても、信用をしているから、と反論するところだが、毛利の言うことも一理あるしな」 忌々しそうに、鼻を鳴らした。妙に物わかりのいい態度が、鼻につく。が、変に口出しをされるのも気にくわないので、彼の態度は元親よりも良い、と思えるはずであるのに、元就の心はさざめいた。「それで、毛利はなんで、こんなところに一人でいるんだ? 元親の所にでも、遊びに行くのか」「戯言を」 はは、と笑われた。一応の天下分け目の戦が終わった、とは言っても、世の中が平らかになったわけでは無い。そこここで、小さな諍いは続いている。家康は元就が出向いた理由など、気付いていて言っているのだろう。「しかし、一人で出歩いて大丈夫なのか」 心配をされた。「自領とはいえ、油断がならないだろう」 戦ののちの復興――それに紛れて、つまらぬことを画策する者も多い。「一応の天下人が、単身船に乗ろうとすることのほうが、気にするべきではないのか」 暗殺をする手を与えるようなものだ、と言外に匂わせた元就に「心配をしてくれているのか」 目を開き声を弾ませた家康が「ありがとう」 少し照れたように、目を細めた。 胸に、原因不明の苛立ちがとどまっている。「行くなら、さっさと行けばいい」「忙しくないのなら、毛利も一緒に行かないか?」 言い捨てて去ろうとした背を、家康の声がとどめた。怪訝な顔で振り向くと「あの大戦の後、ゆっくりと話をする場を持てていないんじゃないか」 家康の言葉に興味を示し、体ごと向いた元就へ、誘うように手を差し出す。「金吾も、合流することになっているんだ」 いぶかるように、元就の綺麗な眉がゆがんだ。「あいつも、一国の主だろう?」 いたずらっぽい笑みに頷きかけた元就の耳へ「家康さぁあぁあああ――…………げ」 楽しげな声が響き、途中でカエルがつぶれたようなものに、変わった。「どうした、金吾。よもや、我の姿を見止め、そのように嫌悪をあらわにしているわけでは、あるまいな」 心中の苛立ちを、丁度八つ当たりできる相手が現れた、と元就が口を開く。「あわわわわわ、そ、そんなこと」 ぶんぶんと首を振った金吾――小早川秀秋が、家康の背後に隠れた。「家康さん、どういうことなのぉ」 情けない声で見上げてくる金吾に「ああ――抜き打ちで現場を確認しに来たらしい毛利と、偶然に出会ってな。これから、元親のところへ行くから、一緒にどうかと誘っていたんだ」「え、えぇえぇえええ」 明らかに不満そうな金吾が、ちらと元就を見、家康を見、こわごわと元就に視線を戻して「い、行かない、です、よ、ね」 怯えながらも希望を込めて言った。それに、意地の悪い光を目に宿らせて「長曾我部とは、一度、交易の事で話をせねばと思っていたところよ。丁度良い――同道させてもらおう」「そ、そんなぁ」 情けない声を上げる金吾に、家康は朗らかに笑い、元就は薄い笑みを口の端にわずかに乗せた。 ふふ、と含んだ目を元就に向ける家康と、何事も無いという顔をしてみせる元就の無言のやりとりに不思議そうな顔をして、金吾が唇を尖らせた。「まずは、毛利の用を済ませてから、だな」 子どもを宥めるような手つきで、金吾の肩を軽くたたいた家康に「構わぬ――話をするのに時間がかかろう。先に長曾我部の所へ、向かう」 港に目を向けて、元就が言った。「何ぞ、手土産でも用意をせねばならんか」 独り言のような声に「なら、元親に連絡を送らないとな」「ほんとに、一緒に行くんだぁ」 家康はにこりとし、金吾はおびえた声を出した。「連絡など、必要ない。我が一人増えたくらいのこと、すぐに対応できぬような愚物では、話をする気にもならぬわ」 はん、と鼻で笑った元就が、どうやら楽しんでいるようだと判じた家康は笑みを深くし「奇妙な形の絆だな」 一人、納得したように頷くと「では、毛利。すまないが、どの船に頼めばいいのか、教えてくれないか」 家康は、船頭と交渉する気らしい。「どれでも良い――ああ、この時間ならば行商に向かうものが、あったな。それに乗るとしよう」 早速、港に向かいだした元就に「いいのか。勝手に決めて」「我が所領の船ぞ。何の遠慮が居る。我らが乗るくらいで不具合が起こるほど積荷があるのなら、それは取り締まらねばならぬ」 歩きながら言う元就に小走りに寄り、横に並んだ家康が「なら、遠慮なく乗らせてもらうとしよう」「うう〜……」「そう、嫌そうな顔をするな、金吾。毛利が行く事で、気の置けない相手を迎えるのとは違った料理が、出てくるかもしれないぞ」 その一言に「ほんとっ?!」 金吾の目が、輝いた。「ああ。あくまで、予想だがな」「我を迎えるのに、つまらぬ酒肴しか用意できぬようでは、あの男の器も、知れていような」 抑揚のないはずの声が、どこか楽しげに家康の耳に届く。「普通の商船で、まさか毛利までもが来るとは、思っていないだろうなぁ」 くっくっく、と意地の悪い笑みを浮かべる家康に「どのような間抜けた顔を、晒すのか」 元就がほくそえみ「ねえねえ、早く行こうよぉ」 先ほどまで、元就が共に行くのを嫌がっていたのが嘘のように、金吾がはりきった。「それじゃあ、優しい鬼の住む島へ向けて、出航だな」 潮風を受けながら、三人は元親の元へと向かった。 そのころ、長曾我部元親は「野郎ども、宴会の準備は、整ってるか」「もちろんですぜ、兄貴!」 元就が来るとはつゆ知らず、大広間に所狭しと鮮魚をはじめとした料理が、大皿に乗って並べられているのを確認していた。 家康が来る、ということで、漁師たちは張り切って大物を手に入るべく準備をし、女たちは食材をどう活かすかに頭をひねり、準備を進めている。「天下人を迎えるんだ。いくら気安い仲っつっても、それなりのモンは用意しねぇとな!」「大船に乗ったつもりで、任せてくだせぇ、兄貴」「おう! 期待してるぜ。金吾の奴も、一緒に来るらしいからよォ。あいつぁ、あんな頼りないナリしているが、味には人一倍どころか、百倍くれぇ、うるせぇからな」「わかってまさぁ、兄貴」 準備をする者たちの間を歩き回り、場が整っていくのをウキウキとした様子で見て回る彼の姿に、皆が気持ちを沸き立たせ、唸らせるほどのものを用意しようと余念無く、迎える手配を整える。そこに「きやした!」 声が響き、皆が歓迎の雰囲気に包まれた直後「あの、兄貴」 飛び込んできた男が、どんな顔をしていいのかわからない、と全面に表しながら遠慮がちに「一人、多いんでさぁ」「なんだ。一人多いぐれぇ、かまわねぇじゃねえか」「いや、それが」 言い淀むのに、首をかしげて促すと「も、毛利が、一緒なんでさ」 どうしましょう、と目で訴えてくる。それに、からりと「もてなすほか、無ぇだろう」 なぁ、と満面の笑みで振り向けば、毛利と聞いて引きつっていた場の雰囲気が緩んだ。「やっこさんの度肝を抜くぐれぇのもてなしを、してやろうじゃねぇか」「誰の度肝を抜く、と?」 ひや、とした声が場を走った。「アンタに決まってんだろ、毛利よぉ」 ニヤリとした元親に、元就は突き放すような目をしながら口元に笑みを浮かべた。「うわぁ、すっごい、ごちそう!」 ひょいと顔を覗かせた金吾が、目を輝かせ、それを受けた家康が「本当だ。これなら、一人二人増えたとしても、問題無いよな、元親」 にこりとすると「おうよ!」 元親が歯を見せて笑って返し「腹の皮がはち切れるぐれぇ用意してるからよ、遠慮せず、どんっどん食っていけ」「やったぁああ!」 もろ手を挙げて飛び跳ねた金吾が、さっそく料理の間をきょろきょろしながら歩き出し「それじゃあ、遠慮なく」 家康が金吾に続き、無言でその後を進もうとした元就に「アンタとは、ゆっくり酒でも飲みながら、話をしなきゃならねぇと思っていたところだ」 静かに、告げた。「ほう」 滑るように元親に体を向けた元就が「ならば、貴様の知力でもわかるよう、噛み砕いて話をするように心掛けてやろう」「テメェ」 小ばかにした元就も、それを受けた元親も、どこか楽しそうで「ねぇねぇ、もう食べ始めても、いいの?」 金吾の催促に席に着いた面々は「それじゃ、乾杯と行くか!」 本当の意味での戦の終焉へ臨む酒宴を、開始した。2012/06/08