山中の川に、前田慶次は身を浸していた。近くの木の枝に衣服をかけ、ほどいた髪を水の流れに任せて、たゆたわせている。「ふぃい……気持ちがいいなぁ、夢吉ぃ」「キキィッ」 傍らには、首の飾りを取った夢吉が、目を細めていた。「っはぁ。涼しいねぇ」 木々が日差しを受け止め和らげているだけでなく、ひんやりとした空気の漂うこの場所は、水も清らかで冷たい。暑さにたまりかねた慶次と夢吉は、避暑の為に森に入り、こうして涼を楽しんでいた。 流れに身を浸し、薄く目を閉じ、森の音に耳を澄ます。体にまとわりついた、夏の重い空気が洗い流されていく。「キィイ」 木の葉を重ねて作った小舟の上で、心地よさそうに、ため息のように言う夢吉の声に「ほんっと、良い心地だよなぁ」 夢に誘われる声を出し、二人は流れの揺りかごに身を任せた。「夢吉ぃ。流されないように、気を付けろよぉ」 少ししてから声をかけ「……夢吉?」 返事が無いことに目を開けて、小さな相棒が居た場所に顔を向けると「えっ」 その姿が、消えていた。「うそだろっ」 ざばりと身を起し、下流に目を向け「やっべぇ」 急いで下流に向けて泳ぎ始めた。 そんな慶次の気持ちをよそに、夢吉はすっかり眠りに包まれていた。幸いなことに、彼の乗る木の葉の小舟は沈むことなく、ゆらゆらと流れの上を滑って行く。「夢吉っ」 さほど遠くまで流されていなかった夢吉の姿を捉え、慶次は泳ぐ速度を上げた。その声に目を開けた夢吉は、空が流れているのを目にし、身を起して左右を確認し、慶次が必死に追ってくるのを見て「キッキィイ」 流されていることに気付き怯え、慶次に向けて手を伸ばし「夢吉ぃいっ!」 後方に重さが偏った木の葉の舟が、転覆した。「くそっ」 潜り、夢吉を追いかける。小さな体は流れに呑まれ、くるくると回転しながら慶次から引き離され「ッ!」 網に、ひっかかった。「ぶはっ」 顔を上げた慶次が、網を持つ男を見て「家康!」「――慶次?」 きょとんとした、夏の似合う男に大声で「網を、すぐにあげてくれ!」 歩み寄りながら叫ぶと、彼のただならぬ様子に家康が慌てて網を引き「これは」 目を回している夢吉をすぐに草の上に寝かせ、水を吐かせた。「夢吉!」「キイッ!」 追いついた慶次の声に、起き上がった夢吉が飛びつく。ひしと抱き合う二人の姿に、家康は目を細めた。「ごめんな、夢吉。俺がもっと注意をしていれば、怖い思いをしなくて済んだよな」「キッ」 謝る慶次に首を振る夢吉。二人の思いやる姿に、家康はうなずいた。「素晴らしい絆だな、二人とも」「助かったよ、家康。ありがとう」「なに。ワシは網を入れていただけだ。なぁ、三成」 家康が振り向いた先には、石田三成と大谷形部吉継が居た。それぞれが、魚篭と釣竿を持っている。「なんだ、みんなそろって魚釣りかい?」 気持ちの落ち着いたらしい夢吉が、慶次の肩に座って首をかしげた。「こう暑いんじゃあ、こもってばかりいては、気が尖るからな。涼むついでに、釣りでも楽しもうかと誘ったんだ」「へぇ」 少し意外そうに、三成と形部を見れば「私は、形部が涼むのは良いと言ったから、付き合っただけだ」 苛立たしげな三成の言葉は、否定的ではあるが拒絶ではないと慶次も知っていた。「大物は、釣れたかい」「ヒヒッ。今しがた、珍しかなものが釣れたではないか。――妬いて食おうか、煮て食おうか」 形部の視線に、夢吉が震えあがる。それをなだめるように撫でて「あんまり、いじめてくれるなよ」「ヒッヒ。性分よ。許せ」 謝りながら、すいと近づき夢吉に顔を寄せる。「キィイ」 ぷくっと頬を膨らませた夢吉が、そっぽを向いた。「はは――。しかし、何故、流されていたんだ」 家康の質問に「上流で泳いでいたら、夢吉を乗せていた木の葉の舟が流されて、転覆したんだ」「それは災難だったな――。そうだ、慶次。この後、何の予定も無いのなら、共に食事をしないか。獲れたての魚を焼いて、ついでにたき火で体を乾かせばいい」「――だってさ、夢吉。どうする」「キイッ」 もろ手を挙げて夢吉が賛成し「決まりだな」 家康が言った。 ざぶりと川から上がった慶次を見て「着物は、どうした。まさか追いはぎにあったわけでも、ないだろう」 三成が言って「ああ、上流の木にひっかけているから、取ってくるよ」 たっぷりと水を含んだ髪を絞りながら慶次が答え「なら、皆でそこまで行こうか」 家康が提案し「なれば、その網を川に浸したまま上れば、魚も捕えられ、一石二鳥では無いか。手元にあるだけでは、皆の腹は満たされぬであろ」 三成が魚篭を持ち上げ覗き、家康が頷いて「良い案だな、形部。さすがだ」「三成も、魚篭を浸しながら進めばよい。この暑さでは、せっかく捕らえた魚も干物になろう。口を開けていれば、間の抜けた魚が入るやもしれぬしな」 言われるまま、三成は川に魚篭を浸し、家康は網を川に下して、一行は上流に向かい進み始めた。「これは、思ったよりも腕に力が要るな。大丈夫か、三成」「貴様が出来る事を、私が出来ぬはずは無いだろう」「そうか――よし、なら不可のあるまま、どちらが先に到着できるか、勝負だ、三成」 言って、先に足を速めた家康に「ッ!」 三成が続き「おっ! 面白そうだなぁ夢吉。どっちもがんばれっ」「キッキィ!」「やれ――元気なことよ」 わいわいと目印である慶次の派手な衣装まで、半ば駆けるように進み、思う以上に大漁となった魚を焼き、残りはその場で開き、適当な蔓に括り付けて木にぶら下げ、干した。「はぁ、食った食ったぁ」 腹を叩く慶次の横で、夢吉も同じようにする。「三成も、珍しくよう食したな」 形部の言葉に「形部も、食が進んでいたな」 目じりを和らげた。「やはり、皆で楽しく食事をするのは、良いな!」 ごろりと家康が横になり「俺もッ」「キキキッ」 慶次と夢吉が続いて「お二人さんも、食後の昼寝を楽しもうよ」 慶次が誘う。 なんとはなしに断る気になれず「たまには、よかろ」 形部が同意を示したのに、三成も無言で従った。 森が、せせらぎの子守歌と静謐な香りで彼らを抱き、柔らかな夢の世界へ連れて行った。2012/07/13