大谷形部吉継が長曾我部元親に話があると、四国を訪れていた。 徳川家康の元、一応の天下泰平が成された日ノ本ではあるが、小競り合いや足の引きあいが無くなったわけでは無い。そこここに小さな剣呑の気配があることを案じ、石田三成は同道していた。が、二人が対面をしている時には、何の用事も無い。つまらぬもてなしを受け、気を使われるのもわずらわしいので、ふらりと里を歩き回っていた。 豊かな稲穂の匂いが届く川べりを、夏の日差しをゆるやかに押しながす風をうけつつ、あてもなくふらついている。大きく緩やかな川が流れ、そこでは子どもたちがはしゃぎながら、戯れていた。その中に大人が一人、混じっていた。 それが、三成に気付く。「おぉ〜いっ!」 体躯の良い男が手を振れば、子どもたちがいっせいに三成を見た。不思議そうにする子ども、男のまねをして手を振る子どもらを一瞥し、そのまま通り過ぎようとした三成に「なんだよ、つれない男はモテないぜ」 下帯姿で男――前田慶次が駆け寄ってきた。「貴様に用など無い」「あいさつくらい、いいだろう?」 あきれたように、腰に手を当てた慶次が「なんで、四国に居るんだ」「貴様には関係ない」「大谷さんが、元親に用事があった。そのつきそいだろ」「知っているのなら、聞くな」「予想したんだよ。三成は、わかりやすいからなぁ」 朗らかに笑う慶次が「そんなら、話が済むまで暇だろ。川で、涼んでいかないか」「いらん」「そういうなって。この暑い中に、目的も無く歩くだけじゃ、熱にやられるだけだろうしさ。喉が渇いても、土地をしらなけりゃ困るだろ」 忌々しそうに親切そうな笑みの啓示をにらみ「受ける理由なぞ、ない」「断る理由も、ないだろ」 親しみを込めて首を傾げられ「好きにしろ」 吐き捨て、子どもたちの方へ歩く背中を「素直じゃないねェ」 追った。 にこりともしない三成が近づいてくるのに、子どもたちが警戒の色を示す。その中にあった夢吉が「キキィ」 三成に飛びついた。「キッ、キッキキィ」 受け止めた三成に、夢吉が何事言うのを「久しぶりだなってさ」 追いついた慶次が言い「ああ――久しいな」 三成の目が、和らぐ。それに安心したらしい子どもたちに緊張が解け「よっし! じゃあ、続きと行こうか!」 ざぶざぶと川に入った慶次に、子どもたちが歓声を上げた。夢吉を手にしたまま、しばらく魚を追いかけ回す彼らを眺め、混ざる気にもなれず。さりとて立ち尽くすのにも飽きて、腰を下ろす。川が冷やした風を受け目を細め、かつて慶次と共に敬愛する豊臣秀吉が悪戯をしていたという話を、思い出した。このような光景に、あの秀吉も混ざっていたのだろうか。 三成の知っている秀吉は、威厳のある、どっしりとした男であった。厳しい顔で、口数少なく下知をし――いや、それは傍に居た竹中半兵衛が、していた。秀吉はただ、鼓舞する言葉を投げかけるだけに、とどまっていた。 けれど時折、三成をねぎらう時に柔らかな目をすることが、あった。普段の秀吉からは想像もつかぬほどの、優しく、どこか悲しげな瞳で労われるたびに、三成は嬉しくも落ち着かぬ心地になっていたものだ。 思わず、口の端が持ち上がる。 秀吉の事を思い出すたび、痛みが走る。けれどそれは、憎悪にまみれたかつてのものとは、ずいぶんと様相を変えていた。彼を打った家康を、許す気は無い。けれど今は、憎んでも居なかった。己のすべてが秀吉ではなくなったから、と見止めたくはないが、理解をしていた。視野が広くなった、と言えば聞こえが良いだろうが、三成は秀吉のことのみを思い働いていた時の自分の視野を、決して狭いとは思ってはいなかった。ただ、変化をした。それだけのことだ。 それは、大谷形部吉継も、同じだろう。 ふいに、目の端に緑のものが見えた。目を上げると、子どもがキュウリを差し出している。「なんだ」「ん」 ずい、と突き出され、受け取る。それは、ひやりと心地よかった。 三成の横に、子どもが座る。自分の分のキュウリを折って、三成の膝にいる夢吉へ差し出した。けれどそれは、夢吉の手には大きく「キィ」 夢吉が困ったようにするので、三成は彼が持ちやすい大きさに、キュウリを切った。「キイィ」 嬉しげに、夢吉が言う。礼を言っているのだろうと判じ「気にするな」 応えた。横で、ぽり、と小気味いい音がする。見れば、子どもがキュウリをかじり、三成にも食べろと促してきた。子どもとキュウリを見比べてから、かじる。思うよりも渇いていたらしい。ひやりとした水気に、思わず目を細めた。 じっと、横顔に視線を感じ「旨いな」 言うと、子どもは満足そうに頷き、水に遊ぶ子どもたちを見ながら、キュウリを食べる。三成も夢吉も、同様であった。 食べ終わっても、子どもは三成の横から離れようとはせず、ただ座って慶次と子どもたちが遊ぶのを眺めている。三成も特に何かを言うことなく、目の前の光景を眺めていた。 時折、慶次が彼らの姿を目に止めたが、誘うこともせずに笑んでは、遊びに戻る。やがて疲れた子どもたちが岸に上がり、なんだかんだで捕まえた魚を手に、自慢げにするのをいちいち褒めて家に送り返した慶次が「達吉。これ、土産にしなよ」 三成の横に居た子どもに、魚を渡した。立ち上がった子どもが受け取り、頭を下げる。その頭を撫でて、背を叩いて帰路へ送り出した慶次が「達吉、三成のことが気に入ったみたいだな」 歩く背を見ながら、言った。三成も立ち上がり、子どもを見送る。子どもは少し、足を引きずっていた。「あの子どもは、喋れないのか」 悲しげに慶次が笑って「首に、布を巻いていたろ――声が出ないように、されたのさ」「何故だ」 慶次の瞳が、痛みにゆがむ。「先の戦の、傷跡だよ」「まだ、出兵をするような年ではないだろう」「――暴徒化した兵士が、略奪をするのは、しっているかい」 遠い昔話をするような声で「略奪のついでに、女は凌辱される。子どもの泣き叫ぶ声が、うるさいってんで喉をつぶすような奴も、いるのさ」 三成が目を見開き、慶次を見た。「あの子の戦は、まだ、終わって無いんだよ」 平坦な声が、夏の日差しを凍らせる。「俺たちは、本当の意味での戦を、終わらせなくちゃいけないんだ」 慶次が、いつもの雰囲気に戻って「三成は、大丈夫だよな」「何がだ」「痛みを、知っているからさ」 いぶかるように眉根を寄せると「子どもは、そういうのに敏感だから」「どういう、意味だ」「自分の痛みを、ちゃんと理解してくれるって、思ったんだろ」 ぽん、と慶次の手が肩に乗り「――痛み、か」 振り払われると思っていたが、そのままにされて首をかしげた。「三成?」「戻る」 慶次に夢吉を渡し、背を向け数歩歩いてから「貴様も、来るのならさっさと身支度を整えろ。どうせ、長曾我部の所で厄介になるんだろう」 振り向いた。「え、あ――ああ、うん。すぐ、着替える」「キィッ!」 あわてて身支度を整えた慶次と、肩を並べて道をゆく。その背が、先の子どもの背と、重なって見えた。 優しくも無い世の中を、優しくあろうと生きてゆく――その心根の、なんと尊い生き苦しさよ。2012/07/18