とれたてのカツオを捌き、表面だけを焙って旨味を閉じ込めて食す――そのようなものがあるらしいと聞き、小早川秀秋――通称金吾は是非にも土佐に向かいたいと、思った。 けれど彼は今、毛利元就の相談役――と、本人は思っているが、元就にいわせれば気分転換の道具となろう――を担っている。 土佐に向かうには、彼の許可を得なければならなかった。が、以前よりは随分と怯えず接することが出来るようになったとはいえ、金吾にとってはまだまだ恐ろしい相手であり、しかも土佐は元就が嫌っている男、長曾我部元親の領土である。表面上、日ノ本は徳川家康の手で平定され、毛利領は安堵され、諍いを起す必要など無いのだが、二人の心中は治まってはいないだろう、というのが周囲の者たちの見解であった。 ゆえに、言いだしにくい。(でも、戦国美食会の会員としては、そんな美味があると聞いて、おとなしくしてられないよね) そう思いつつ、元就に呼ばれるたびに、今日こそはと思いきわめて行くのだが、冬の空のように冴え凍り、澄み渡る目で見られれば(やっぱ無理ぃ) 言いだせなくなってしまう。「どうしたらいいんだろうねぇ、天海様ぁ」 盛大なため息をつきながら、分厚く切った羊羹を口に運び、頼みとしている僧侶天海にぼやくと「それならば、向こうから招くようにしていただければ、良いのではないでしょうか」 少し首を傾けて微笑む天海の案に「それ、いい!」 目を輝かせるも、すぐに「でも、どうやって招いてもらうのさ」 手立てがないことに、口を尖らせた。 笑みを崩さぬ天海が「まかせてください、金吾さん」 笑みを崩さず言うことに「うん」 いぶかりながらも、金吾が頷いた。 それから数日して、金吾は元就の元へ呼び出された。「お邪魔しまぁす」 障子の開け放たれた、庭の望める部屋に入れば、元就は脇息に肘をつき、感情の読めぬ涼しげな顔をして楽にしている。その前にある円座に腰を落ち着かせた金吾に一瞥をくれ「暑いな」 独り言のように、言った。「うん、ほんと、暑いよねぇ」「鍋奉行というからには、貴様は暑いことに強いのではないか」「ううん……美味しいものの為なら我慢できるけど、普段は苦手かなぁ」 言いながら手ぬぐいを取り出し、汗を拭きとる金吾に「ならば、ここよりも暑い場所に赴くのは、好まぬか」 暑さなど感じていないような元就が、扇子を取り出し、自分の横にある文箱をコツコツと叩いた。 見事な貝細工のほどこされた文箱に、あっと気づく。「それって、もしかして元親さんからのお誘い?」 天海が、何事かをして誘いの文を届けてくれるよう、仕向けたのだ。 心中で、飛び上がらんばかりに美食への思いと喜びを沸き立たせる金吾に「やはり、貴様の策略か」 冷ややかな声で水を差す。ぎくりと体をこわばらせた金吾に「長曾我部が、我を招きたいと申してきたのに、貴様も是非に連れて来るようと書いてあった。――何を、考えている」 鋭利な刃物のような光を湛えつつも、無感動な瞳に「ごっ、ごごごっごごめんなさぁああああい」 がばっと金吾が手を突き床に額を擦りつけて「と、土佐に美味しいものがあるって聞いて、どうしても食べたくなって――でも、ぼくっ、勝手に動けないし、行きたいって言いだせなくて! そしたら天海様が、元親さんに誘ってもらえるようにすればいいって!」 ごめんなさい、ごめんなさいと謝り続ける金吾を、つまらぬ顔で扇子を開いたり閉じたりしながら、しばらく眺めた後「出立は、三日の後にする」 ぱちん、とひときわ大きな音を立てて扇子を閉じ、告げた。「へっ?」「三日の間に、しておくべきことを為しておくがよい」 立ち上がり、部屋を出た元就の背中を、金吾の喜びの声が追いかけてきた。 三日後、上機嫌の金吾と、それを喜ぶ天海をつれ、元就は船に乗り、元親の待つ港へと向かった。 瀬戸内海をぐるりとまわり、土佐へ。 毛利領より一番近い港から土佐までの陸路を行くより、ぐるりと船をめぐらせれば、万一の折に、すぐそばに自身の船がある事になる。卑劣な手を使ってくるような男には見えないが、何が起こるかはわからない。用心にこしたことは無いと、元就は備えも船底に整えていた。 そのようなことは露ほども気付かず、金吾は初めて遭遇する美味に思いを馳せていた。「あっ、見えてきた!」 迎えに来たカラクリのてっぺんに立つ、大柄な長曾我部元親の姿は、目立つ。「おお〜い!」 思わず手を振った金吾が、はっとして恐々と元就を見た。が、彼が意に介した様子も無く、ほっとする。「天海様、ありがとう」「金吾さんの喜ぶ顔が見られて、私も嬉しいですよ。フフフ――金吾さんの食べている姿は、こちらまで幸せにしてくれますから」 潮風に髪をなぶられながら目を細める天海は、保護者のようであった。 接岸すると、カラクリから渡り板が伸びて、船べりにかけられた。「よく来たなぁ、毛利ぃ」 歯を見せ、上機嫌な元親の様子に「相も変わらず、夏の陽気のような男よ」 つぶやく。「海と言やぁ、夏! 絶好の天気みてぇに熱い男だってぇ、褒め言葉か?」 体を折り、顔を近づけてきた元親に「暑さで脳がやられたと見える」 ふっ、と息を吐いて告げた。「なんでぇ。ったく、ちったぁ愛想よくしてみろよなぁ。ま、そんな毛利を見たら、幽霊を見るよりもずっと背筋が凍りそうだがよぉ」 呵呵と声を上げる元親が「いよぉ、金吾」 手を上げ近寄り、そっと彼の耳元へ顔を寄せて「オメェにしちゃあ、なかなか良い案じゃねぇか」「えへへ。天海様が、思いついてくれたんだぁ」 小声の元親に、金吾も同じ大きさで答える。「そうかいそうかい。――しかし、この俺と毛利を引き合わせ、瀬戸内の安泰と交易を定める席を設けたいってぇ思いは、アンタからだと書いてあったぜ。立派じゃねぇか」 少し痛く感じるほどに肩を数度叩かれ、顔をしかめながらも疑問を浮かべて天海を見れば、穏やかに微笑んでいる。「それじゃ、出発するとしようか」 カラクリの上へ皆が移動し、元親配下の者が声を上げてこれを動かす。そっと天海の袖を引き「天海様、いったい、どういう手紙を出したの」 そっと問えば「美食を求めることを隠れ蓑にして、お二人が手を取り瀬戸の海の泰平を願う場を設けたいという金吾さんの、民を思う優しい心根は、誰よりも私が理解しておりますよ。――争うことなく、平穏な世の地盤を固める場を設けたいがために、土佐の美味をとおっしゃったのでしょう。――ええ、ええ。何も言わなくても、わかっていますとも、ええ」 一人合点する天海に「本当に、美味しいものが食べたかっただけなんだけどなぁ」 ぼそりと呟くと「金吾さんは、とても控えめな方ですねぇ」 言われ、なんだかくすぐったくなりながらも訂正をすることなく、意識をこれから出会う美味へと向けた。「うわぁあああ!」 招かれた部屋には、所狭しと新鮮な魚介類が並んでいた。「竜宮城のごちそうみたいだよぉお」 両手を胸元で握りしめ、目を輝かせて叫ぶ金吾に「たっぷりと用意してあるからよ。好きなだけ、食っていけ」「やったぁああああ!」 もろ手を挙げて喜びの声を発し、さっそく席に着いた金吾が「ねぇねぇ、早く食べようよぉ」 坐したまま跳ねるさまに元親が目を細め「おう! ほら、毛利も天海さんも、席に着きな」 促し、彼らの杯に元親が手ずから酌をして「それじゃあ、海の恵みに、乾杯と行こうぜ!」 食事が始まった。「おぉおおいしぃいいいいいっ」 身をくねらせ、全身で美味を味わう金吾に「こちらの海老も、身がぷりぷりとして甘いですよ、金吾さん」「えっ、どれどれ――ぅあぁああんっ、美味しいよぉお」「そうかいそうかい、そいつぁ良かった! ほら、そっちなんか、珍しいんじゃねぇか。クジラなんて、めったに食べらんねぇだろう」「えっ! どれどれ? んんっ、これも最高」 大はしゃぎな彼の様子に、天海も元親も親のような顔をする。それを眺めながら、元就は黙々と箸を進め「どうでぇ。旨いだろう」「悪くは無い」「そいつぁ、良かった」 元親が徳利を差し出すと、元就が杯を持ち上げ、それを受ける。そのような光景は、ついこの間までは見られるはずも無かったもので、遠くの座に控えていた元就の兵は、見間違いではないかと目を疑った。「ほら、どんどん食えよ」「長曾我部よ」「ん?」 粗野な外見に似合わず、繊細な作法の元親を意外と思いながらも、その所作に何かを思ったらしい元就が「瀬戸内の治安の事だが」「ああ」 くい、と杯をかたむけてから元親が笑う。「アンタの事だ。金吾が俺に手紙を寄越して、俺に毛利を誘うように仕向けたなんてこたぁ、とっくにお見通しなんだろう」 親しげに体を寄せてくる元親に、元就が軽く目を伏せる。「馬鹿ではないようだな」「これでも、この四国の土地と民を預かってるもんだからよ」 すっかり毛利の憎まれ口に慣れたらしい元親は、気にする様子も無い。さらりと受け流し「けど、まぁ――アイツもアイツなりに、いろいろ考えてんだなぁ」 金吾に顔を向け、元就も目を開けて美食に耽る子どものような男を見た。「臆病ゆえ、戦を好まぬだけよ」「臆病者の勇気のほうが、何倍もすげぇって話だぜ」 知己であるかのように接してくる男が「そのへん、認めてやってるから、時々傍に置いてやったり、策略だってわかっていながら、今回の誘いに乗ってきたんじゃねぇのかよ」 からかうように言ってくる。「下らぬわ――どのようなものであっても、使いようによっては役に立つ。それだけの事よ」「へぇ、そうかい」 元親が徳利に手を伸ばしかけたのに、先に元就がそれを手にして「――お?」 無言で差し出してくるのに、元親が杯を持ち上げた。それを満たす元就の横顔に「明日は、雪でも降るんじゃねぇか」 軽口を叩けば「ならば、嵐が起こるようなことも、付け加えてやろう」 目を上げた元就の唇に、薄い笑みが浮かんでいる。「嵐だぁ?」「今宵は、貴様と存分に語り合ってやっても良い」「え」「我の酒に、付き合いきれるのならば、な」 挑発的な誘いに「鬼に酒の勝負をもちかけるたぁ、良い度胸じゃねぇか」 ぐびりと酒を飲み干して「先に潰れるんじゃねぇぜ。毛利よぉ」「貴様などに、後れを取る我では無いわ」 目を合わせ、互いに面白そうな光を宿し「野郎ども! じゃんっじゃん持ってきな。朝まで無礼講だぁ。毛利の舟の奴らも遠慮しねぇで楽しんでいけよ」 声を張り上げた元親に、彼の配下の男どもが地響きのような声を上げる。「ほら、毛利」 肩を組んで酌をしてくる元親に「馴れ馴れしくするでないわ」 言いながらも、振りほどこうとはせず、受ける元就の姿に「あんなに仲良くして」 金吾が目を丸くした。「フフ――それもこれも、金吾さんのおかげですよ」 天海に言われれば、悪い気はしない。「よぉおし! それじゃあ、僕はおもてなしのお返しに、特別な海鮮鍋を作っちゃおうっと」 背に負うた鍋をおろし、高らかに宣言する。 金吾の鍋は美味との話は全国に広まっており「よっ! まってましたァ!」「食材なら、たぁんとあるぜ!」 男どもが手をたたいて喜び、意気の上がった金吾の鍋は、稀な美味と仕上がり、いささか酒が過ぎ、翌日は頭痛と胃袋の変調に眉をしかめることとなる元親と元就の体を、労わることになった。2012/07/23