夏の終わりの海上に、いまだ自分は健在だと夏が主張するように入道雲を沸き立たせていた。それをまぶしそうに見つめる長曾我部元親の横で、彼と同じ白銀の髪に陽光を受けている男が、うんざりとした目をして岩場に生える松の下に腰を下ろしていた。「見た目通り、暑さにゃ弱ぇようだなぁ」 からからと笑う元親を睨み付けるも、口を開くのも億劫なのか、すぐに目を伏せた。「毛利みてぇに、前線に出ねぇってんなら別だけどよ。アンタぁ、単騎で突っ込むクチだろう。そんなんじゃあ、やってけねぇぜ」「うるさい。黙れ」 鋭いはずの彼の言葉は、鈍色で繰り出されて「素直じゃ無ぇのは、毛利と同じか」 肩をすくめた元親は、浜辺に居る徳川家康に目を向けた。漁に出る小舟の傍で、漁師たちとたわむれ投網を広げてみたりしている姿は、とても天下二分の戦いを制した総大将とは思われない。育ちの良い好奇心旺盛な若者、としか思われず、漁師たちも気安げに家康と接している。 家康と接している者たちは、彼が敵となり自分たちと戦をしていたことを知らぬわけではない。けれど、そうなる以前から元親とは知己の間柄で、何もかもを拭いきれたわけでは無いが、世の習いとして仕方のなかったことだと、割り切ってもいた。 割り切れぬ者は、敬愛する元親の顔を立てるため、この場に自ら出てくることを禁じている。 それを、家康も元親も重々に承知しての、外交であった。 完全に敵意のないことを示すため、家康は単身で元親の傍へ来た。元親も、それを受け入れた。そうなれば、領民たちに否やは無い。今まで通りの関係とはいかないが、訪れてすぐに戦没者へ手を合わせ、謝罪し、これからの世を誓った家康の言葉は、元親の望む世と重なっていた。そのことが、目の前の光景へと繋がっている。「なんだ、三成。暑さにやられたのか」 戻ってきた家康が、木陰に座っている三成に親しげな声を向けた。天下分け目の合戦の総大将同士がこうして気楽に――三成は、そうでもないように見えるが――同じ場所に立って会話をすると言うのもおかしな話だが、家康はそれを頓着している様子も無く、三成はもともと、そのようなことを気にかけるような男では無かった。 家康の臣下で、今回の単身外交を不安に思う者もいた。けれど家康は、三成は卑怯な男では無いと言い、長曾我部領へ行く事も、和解をしているから大丈夫だと告げて、元親の人柄を思い出し、自分を信用してくれと説き伏せて、この場に来ていた。「貴様のように、能天気に日を浴び続けてなど、いられるか」「おいおい。そりゃあ、俺にも言ってんのか?」 腰に手を当て、怒るふうでもない元親に目を向けて三成が黙る。元親は、戦の後の三成の監視役、という位置づけにされていた。「しかし、良いところだな」 胸いっぱいに潮風を吸い込んだ家康の言葉に「そうだろう」 歯を見せて、元親が笑う。体躯の良い彼がそのように笑うと、どこか子どものような屈託なさが漂い、大人でも子どもでも無い存在のように思えた。おおらかな空気に、三成を託したのは正解だったなと、その笑みを見ながら心中思う家康は「三成。元親の舟で、遠出をしてみては、どうだ」 彼が元親を信用していることを見取り、提案した。 いぶかしげな目を向けた三成と、目線を合わせるようにしゃがみ「この日ノ本を、見て回ったら、どうだ」 目を細めて告げる家康の意図がわからず、眉根を寄せて真意を探ろうと見つめ返す三成に「もっと、広い世の中を知ればいい」 悪意無く言った言葉は、三成の機嫌を損ねた。「貴様――私が無知な暗愚だと言いたいのか」 眉間のしわを不快に深めた三成に「そうじゃない。どうしてお前はそういう考え方をするんだ」「秀吉様の傍で、私はさまざまな場所へ赴いた。世を知らぬわけでは無い」「だが、三成が知っているのは、戦場だろう。民の営みや、その土地の景色を求めたことは、無かっただろう」「そのようなもの、必要など無い」「これからは、必要になるんだ。三成」 二人の頭上で、あきれたように息を吐いた元親が「うわっ」「っ!」 大きな手で二人の頭を掴み、掻きまわすように撫でながら「ったく、オメェらはよぉ」 喜色を声に滲ませて、そのまま抱きしめた。「ちょ、元親」「何をするッ」「どうしようもねぇな」 うれしげな元親の顔に、自分の意図が通じたらしいと家康は両手を広げ、三成と元親を抱きしめるように抱き着いた。「家康、貴様まで何だッ」「三成も、してみればいい」「そうそう。やってみろよ、ほら」 二人に促され、逃れるに逃れられず、かといってせねば解放もされそうにないと悟り、しぶしぶ三成も二人に腕を回す。「……」 磯の香りと日の香りが、三成を包んだ。 胸に、真綿に包まれたような温もりが広がり、三成は目を伏せる。 おとなしくなった彼の様子に、元親と家康は同じ笑みを浮かべて身を寄せた。そこに「あっれぇ。何をじゃれあっているんだい」「きっきぃ」 元親の背後から声が聞こえ、絡んでいた腕がほぐれて一つの塊が三人に戻る。元親の影で見えていなかった二つの人影が、家康と三成であることに、声の主は柔らかく歪んだ唇の端を引きつらせた。「よぉ。慶次じゃねぇか」 振り向いた元親の気安い声に、ぎこちない顔のまま手を上げて返事を寄越す前田慶次の様子に、割り切れていない男がここにも居たか、と元親は胸に苦味を浮かべた。(無理も無ぇか) 友が、友の命を奪ったのだから。「慶次」 呼ぶ家康の笑みの中に、痛みのような悲しみがわずかに混ざっているのを見取り「何の用で来た」 三成が、慶次を睨み付けた。「そんな、怖い顔すんなよ。三成」 それが呼び水のように、慶次の足を前に向ける。 慶次は、世界のすべてを秀吉に見ていた三成の様子を、それと言わずに時折、見に来るようにしていた。自分の知らない、自分が止められない友の姿を間近で知る彼を、気にかけていた。 ぎこちなさと親しみが入り混じる空気に「お」 何かを思いついたらしい元親が、三成の背を押して慶次へ近づけ「俺よりも、適任がいるじゃねぇか」 同意を求めるように、家康に顔を向けた。「え……」「ん?」 家康と慶次が、目を瞬かせる。「石田に世の中を見せてぇんだろ。だったら、慶次が一番の適任じゃねぇか。慶次となら、民の間に入って、上からじゃあ見えねぇもんも、見えるだろう」(そうすりゃあ、慶次と家康の気まずさも、すこしずつ解消していくかもしんねぇしな) 自分が三成の傍に居るよりも、彼ら三人――豊臣秀吉を中心につながり、こじれたものを持つ者同士で作用し合えば良いのではないかと、元親は思いつき提案した。「俺は、戦火で痛手を負った領地を復興させる仕事が、たんまりと残っている。長期で空けるわけにゃいかねぇし、俺が行っても民の中に交じりきるこたぁ、出来ねぇだろう。その点慶次なら、問題無ぇし適任なんじゃねぇか」 どうだ、と言われても何の話かわからない慶次と夢吉は、きょとんとして元親を見返す。「そう、だな――うん、それは妙案だ。頼めるか」 元親の意図に気付いた家康の言葉に「ちょ、ちょっとまってくれよ。何のことだかさっぱりわからないから、説明をしてもらえるかい」 そこで初めて、大元を説明していなかったことに気付いた元親と家康は、三成に世の中を――戦場以外の諸国の事を知ってもらいたいと思っていること、そのために元親との船旅を提案したが、それよりも慶次の方が適任だと元親は判じ、家康もその提案に同意であると告げた。「それに、俺が石田を連れて行くよりも、慶次が石田を連れて行くほうが、角が立たねぇだろう」 元親が船で諸国を回るとなれば、痛くも無い腹を探ろうとして来る者が出てくるだろう。だが、慶次ならばその心配が皆無とは言えないが、元親と比べれば半減以下となる。「まあ、そういうことなら俺は別に、かまわないけどな。なぁ、夢吉」「ききぃ」「と、いうことだ。三成」「いろんなところを見て、一回り大きくなって、帰ってこい」 返事をする前に決定事項として突き付けられたことに「何故、私がこの男と旅をせねばならん」「話を、聞いていなかったのか三成」「聞こえていた」「なら、理由はわかっただろう」 いらいらとする三成を、ふわりとあしらう二人に続き「あっちこっち見て回るのも、楽しいよ」「きききっ」 慶次と夢吉が退路を塞ぐように親しげな声をかけ「勝手にしろ」 断る言葉を見つけられなかった三成は、吐き捨てるように言ってそっぽを向いた。「決まりだな」「おう」「よろしく頼むぜ」「まかせときなって」「きっきききぃ」 交わされる言葉に、いらいらとする三成が背を向けて歩き出す。「ん。何処に行くんだ三成」「貴様には関係ない」「すぐに、飯の用意が出来るから、あんま遠くに行くんじゃねぇぞ」「うるさい」「慶次。今夜は、泊まっていくんだろ」「そのつもりで来ているんだけど、いいかな」「いいも悪いも、あるわけねぇだろう。のんびりしていけ」「ありがとう」 背中で聞こえる声に、三成の口の端がわずかに持ち上がる。 過ぎゆく夏の光が、等しく全員に降り注ぎ、それぞれを強く輝かせていた。2012/08/31