武田屋敷の中庭で、奥州の伊達政宗が仁王立ちをしていた。その目は庭木の松を睨み付けているようでいて、その場には無いものを見ているようでもあった。「おい、真田幸村ァ」 その背中を見つめていた甲斐は武田の武将、真田幸村を振り向きもせず呼べば「何でござろう」 いささか緊張の面持ちで、背筋を伸ばした気配が伝わった。 ゆっくりと体ごと振り向き「武田のオッサンは、坊主、だったな」 きらり、と政宗の瞳が光る。「いかにも。お館様は出家なされておられまする」 出家前の名を、晴信という。その好敵手である上杉謙信もまた、法体であった。「なら、やるこたぁ、ひとつだ」 ぎらりと政宗の目の光が強まり、幸村はゴクリと喉を鳴らした。「そもさん!」「せっぱ!」 朗々と響いた政宗の声に、幸村が叫ぶ。「坊主であるのに殺生とは何事か!」「幾多の戦場を駆け巡り、奪った御霊を弔わんがためと、存ずる!」「坊主であるのに、武器を手にするとは、何事か!」「平安のころより、武器を手にする坊主はおりまする!」「ならオッサンは破戒僧 か!」「否! お館様は、まごうかたなき武人にござる!」「武人ならば、何故戒名を名乗る!」「御出家なされているからにござる!」「還俗もせずに、戦の指揮を執るのは何事か!」「甲斐の国を、この国の民を守らんがためでござる!」「オッサンは、酒を食らうか!」「御飲酒なされまする!」「魚を食らうか!」「肉も、召し上がられまする」「生臭坊主だな」 ニヤリとした政宗に「なれど、その……お、おなごは、その、近くに侍らすことはいたしておりませぬ」 ほんのりと目元を染めた幸村が、視線を落として彷徨わせた。「わからねぇぜ? アンタが気付かねぇだけで、夜な夜な楽しんでいるのかも、しれねぇじゃねぇか」「お館様に限って、そのようなこと……」 ゆっくりと、大きな歩幅でもったいぶるように政宗が幸村に近づく。唇を引き結び、初心に頬を染めながら睨み付けてくる顔を、悪童の顔をして覗き込んだ。「英雄、色を好む――アンタ、この言葉を知らねぇのか」「存じておりまする」「意味は」「ぅ……」 そらされた目と、更に赤くなった顔が、答えを示していた。「オッサンは、音に聞こえた武勇の男だ。違うか」「そのとおりにござる」「つまりは、英雄ってこった」「いかにも。お館様は英雄にござる」「なら、色を好むのは、故事の道理に合ってんじゃねぇのかよ」「うぅ――」「どうだ」「何事も、故事どおりではござらぬ」「ちょっとちょっとぉ。旦那をいじめて遊ぶのは、やめてくんない?」 むう、と唇を尖らせた幸村を助けるように、声がかかる。「チッ」「おお、佐助」 二人が顔を向けた先には、盆を手にした小袖姿の真田忍、猿飛佐助の姿があった。「はい、どうぞ」 置かれた盆の上には、湯呑が三つと大福が数個置かれていた。「おお、流石は佐助。丁度小腹が空きはじめたところだ」「ふっふ〜ん。でっしょぉ? 俺様ってば、ほんっと優秀だよねぇ」「Yeah, right ……忍が主の横で、一緒に茶を喫しながら自画自賛するなんざ、テメェぐれぇだろうぜ」「それが許されるくらい、俺様が優秀だってことさ」「まっこと。佐助は優秀な忍にござる」「優秀な、子守じゃ無ぇのか」 濡縁に座り、大福に手を伸ばした幸村の横に、政宗も坐して湯呑を手にする。「ソッチの優秀な子守さんは、しっかりと野菜作りの基本とか、里の者たちに教えてくれてるよ」「小十郎は、子守じゃねぇ」「そうやって反応するって事自体が、自覚がある証拠なんじゃないのォ」 もふもふと、幸せそうに大福を食べる幸村を挟み、政宗と佐助が皮肉の形に唇をゆがめあっている。それを「二人は、よう気が合うようにござるなぁ」「Not finding a joke funny ――この猿と俺の気が合うわけは無ぇだろう」「そうそう。旦那、こんな性格の悪そうな竜と優しい俺様の気が合うわけは無いって」 きょとりとして小首をかしげた幸村は、ふうむと言いながら次の大福に手を伸ばした。「しかし、片倉殿はずいぶんと里の者に慕われておるようにござるな」 政宗の腹心、片倉小十郎は軍師としても名をはせていたが、農夫としての腕前も一流と、知る人ぞ知る存在であった。その小十郎に、土づくりからなる栄養たっぷりの見事な野良仕事の手ほどきを、甲斐の民にも伝えてほしいという信玄の乞いに、武田には世話になったことがるからな、と義理堅い小十郎は政宗に暇を願い、そんな面白そうな事なら俺も行く、と政宗も共に奥州を出立し、こうして甲斐は武田屋敷に世話になっていた。「見た目は怖そうだけど、笑うと可愛いとかなんとかで、里の女の子たちは、きゃあきゃあ言ってるよ」 ずず、と佐助が茶をすすり「可愛い? 小十郎がか」 ひょいと、意外そうに政宗の眉が上がった。「みたいだよ。もういっそのこと、こっちで嫁を迎えてさ、住みついちゃえばいいのにな」「勝手に、人ん所の軍師を引き抜こうとしてんじゃねぇよ」「片倉殿が甲斐にとどまって下さるのであれば、これほど心強いことは、ござりませぬな」 うんうん、と頷いた幸村に「旦那、口のまわり。粉、ついてるよ」「ぬ」 佐助が自分の口を人差し指で叩いて見せ、幸村が手の甲で口を拭った。「すまぬな」「いぃえぇ」 それを呆れた顔で眺める政宗が「こうしていると、アンタが紅蓮の鬼だってことを、忘れちまいそうだぜ」 ふん、と鼻から息を吐き出した。「ぬ? なれば政宗殿。思い出していただけるよう、一手、挑みあいましょうぞ」 きりりと眉を上げた幸村に、にやりと政宗の唇がゆがむ。二人の視線の間に手を突っ込み、振りながら「ああもう、やめてくれよ。屋敷を壊されちゃ、たまんないっての。やるなら、だだっぴろい、被害の出ない所にしてよね」 佐助が止めた。「ぬぅ」「shoot」 そこに「政宗様」 野良着姿の小十郎が、戻ってきた。「おう、小十郎」「おつかれさん、片倉の旦那。すぐにお茶、用意してくるよ」「ああ、すまねぇな猿飛」 一瞬のうちに佐助の姿が消えて、その姿のあった場所に、小十郎が近寄った。「なんだ、真田。粉が襟餅に落ちてんぞ」「ぬ。これは、したり」 ぱたぱたと掃う幸村に、柔らかく目じりを下げて「政宗様、そろそろ奥州へ戻りましょう」「Ah――なんだ、もうlessonは終わりか?」「いえ、そうではありませんが。農作業というものは、一朝一夕で教えられるものではございません。季節季節、その時期ごとに、また育てるものによっても手間や作業が変わってまいります。とりあえず、現状でできることは伝え終えましたので、また次の段階の折に訪問をするという形を取らせていただこうかと」「Fum……」 つまらなさそうに唇を尖らせた政宗の横で「農作業というものは、大変にござるなぁ」 幸村が感心したようにつぶやく。「ああ――修行と一緒で、わずかでも気抜かりをすりゃあ、大けがをしちまいかねねぇ、繊細で体力のいるモンだ」「なんと!」「食卓に上がるモンを、作った奴の汗水たらした努力の結晶だと思えば、また味わいも変わるだろうぜ」「調理する人間の事も、思いながら味わってほしいもんだね」 音も無く現れた佐助の手に、盆がある。その上にある湯呑を受けとり「すまねぇな」「いいえぇ」 小十郎と佐助が、笑みを交わした。「調理をする人間の事も、にござるか」「そうそう。どうやったら美味しくなるかなぁ、とか色んなことを考えて、作っているわけよ」 佐助の言葉を「切り口ひとつ、気配りを怠れば味が変わることもあるからな」 政宗が受けた。「そういやぁ、独眼竜の旦那は料理をするんだっけ」「兵糧の研究も、軍の指揮や状態を高めるのに必要だからな」 その言葉に目を丸くした幸村が、拳を握りわなわなと震えて「なんと……某、与えられるものを美味しくいただくことばかりで、作るということに思いが至りませなんだ」 くうう、と背を丸めて悔やむ姿に「旦那、旦那」 ぽんぽん、と佐助が肩を叩いて幸村の顔を上げさせた。「美味しく食べてくれるっていうのも、ねぎらいと同じなんだよ」「――?」 ねぇ、と同意を求めるように、小十郎と政宗を見れば「確かに。旨そうに食われりゃあ、苦労した甲斐があったと思えるな」「また、作ってやろうという気にも、なるしな」 笑みを浮かべた二人の言葉に、寄せられていた幸村の眉根が開く。「きれいに、おいしく、食べてくれる。それも大切なことなんだよ。旦那。その点、旦那は豪快に幸せそうに食べてくれるから、作り甲斐があるってもんさ」「佐助ぇ」 にこにことする忍を、感極まった声で呼ぶ。「それじゃあ、そんな旦那の為に、とびっきりの夕餉を作ってきますかね」 佐助が立ち上がり「なら、俺は素材の良しあしを見極めてやろうか」 小十郎が足を向け「他所の台所で腕を振るうってのも、悪かねぇな」 政宗もそれに続いた。自分はどうすれば良いのかと、腰を浮かせかけた幸村に「旦那は、沢山、美味しく食べられるように、大将と修行でもして、お腹をすかせておいてくれよ」 佐助が肩目を瞑って見せた。「お、おお! わかった!」 そうして、しずしずと太陽が山の影に沈むころ、それぞれの腕を振るった何でもない食材の、とんでもなく豪勢な夕餉が出来上がった。 2012/09/03