峠の茶屋の床几に三人。年のころの近い青年が坐して、茶を飲んでいた。傍らに、団子の皿もある。後ろだけが長い栗色の髪をした青年が、うれしげに団子をほおばっていた。「あんまり食うと、猿に怒られるんじゃねぇか。真田幸村」 右目を眼帯で覆った青年が、あきれ顔で言う。「政宗殿は、あまり食されませぬな」「右目の兄さんに叱られるのが、怖いんじゃないの」 二人よりも体躯の大きな、けれど威圧の気配は微塵もない青年が、団子に手を伸ばした。「キキッ」 青年の肩に乗っていた小猿が、同意をするように声を上げる。「俺も、まつ姉ちゃんに、よく怒られたよ。慶次、団子ばかり食べては、きちんとした食事をとることができなくなりますよ! ってね」 団子の串を振りながら真似をする慶次に「某も、佐助に似たようなことを言われまする」「ああ。忍の兄さんも、言いそうだよねぇ。っていうか、幸村、食べ過ぎ」「むぐっ?」 きょとんとした幸村に笑いかけ「竜の兄さんも、そんなふうに言われたりしてんだろ」 いたずら仲間に向ける顔で前田慶次が言えば、あきれた顔で鼻を鳴らした伊達政宗が「一緒にすんじゃねぇよ」 茶で唇を湿らせた。「またまたぁ。よく怒られてんだろ。右目の兄さんの叱り方。あれは、叱り慣れてる人の言い方だよ」 ぽん、と肩を叩いた慶次に、むっつりとした顔を向ける。「某も、片倉殿に叱られたことが、ござる。あれは、佐助と同じくらいに自然な叱り方でござった」 顔を寄せて言う幸村に、だろう、と慶次が得意そうな顔をする。「忍の兄さんも、右目の兄さんも、まつ姉ちゃんも、叱り慣れてるよなぁ」「それだけ、叱ることが多い、ということにござるな」「そうなるねぇ」 政宗の前で顔を付きあわせて頷き合った幸村と慶次が、同時に政宗を見る。窺うような目で訴えてくる二人に、憮然とした顔のまま自分は違うとやりすごすことが出来ずに「言っておくが、俺はアンタらのような下らねェ理由じゃあ、叱られては無ぇからな」 認めれば、仲間を見つけたかのように、二人の顔がほころんだ。「どんな理由であれ、いっぱい叱られてきたんだろ」 政宗の右肩に、慶次の腕が乗り顔を寄せられる。「政宗殿は、幼き頃より片倉殿とおられたのだから、某が佐助に叱られると同じくらい、叱られておりましょう」 左肩に、幸村の手が乗った。にこにこと、叱られたことが嬉しいことのように話す二人に「未だに、ガキくせぇことで叱られてるアンタらと一緒にすんじゃねぇよ」 またまたぁ、と慶次が笑う。「叱られる理由に、おとなっぽいも子どもっぽいも無いって。なぁ、幸村」「某、戦場でも佐助に叱られまする」 きりりと眉をひきしめて、幸村が答えた。「自慢げに、言ってんじゃねぇよ」 吐息と共に言いながら、政宗が片手で呆れ顔を覆った。「小さいころからずっと一緒にいるとさ、たぶん、子どもの頃のままな気分に、なっちまうんだろうなぁ」 政宗から離れた慶次が、しみじみと空を見上げた。「キィ、キィイ」「お、夢吉もそう思うかい」「キッキィ」 しっかりと夢吉が頷く。「佐助も、某がまだ子どもであるかのように扱うことが、多うござる」「アンタの場合は、いまだにガキだろうがよ」「お。好敵手をそんなふうに言うってことは、アンタも自分を子どもだと思ってるってことに、なるんじゃないか」 チッと舌を打った政宗が「槍の腕は認めているがな、頭の中まで認めているわけじゃあ無ぇんだよ」 半眼で、口の端に笑みを乗せて幸村を見れば、むうと唇を尖らせた幸村が「それはいささか、酷うござらぬか」「そういうところが、ガキ臭ぇってんだ」「あはははは」 笑う慶次の目に、うろこ雲が映る。「いくつになっても、子どもは子どもですからねぇ」 三人の親ほどの年と思われる茶屋の女が、追加の茶を持ってきた。三人が、顔を見合わせる。「それでは、某はいつまでも佐助に弁丸のころと同じように、思われつづけるということに、ござろうか」 幸村が悄然として「まつ姉ちゃんも、いつまでも子どもじゃないんだからって言っても、信用してくれないもんなぁ」 慶次が、膝の上に肘を乗せ、頬杖をついた。 ちら、と二人から見られた政宗が「小十郎も、似たようなもんだ」 答えれば、三人が示し合わせたようにため息をこぼした。「俺、大きくなったら絶対まつ姉ちゃんに感心されるぐらい、立派な男になってるって、思ってたんだけどさぁ。未だに、襟首掴んで引きずられるんだよなぁ」「某も、いずれは佐助の背を追い越し、お館様のような立派な男になるつもりでおるのだが、未だ佐助の背においつきませぬ」 あと少しでござるのに、と息を漏らす幸村に「俺も、小十郎と並ぶぐれぇには、なるつもりでいたんだがな」 実際は、小十郎の方が体躯が良い。 ちら、と政宗と幸村が慶次を見た。「ん?」 首をかしげた慶次の、高く結い上げた長い髪が揺れる。美丈夫と言える彼の身長と体躯は、二人を凌駕していた。「何を食ったら、そんだけ伸びるんだ」「何を食せば、そのように見事な体躯となられるのか」「え。なんか、褒められてるっていうか、羨まれてる? ちょっと、照れるんだけど」 頬を掻いた慶次が少し考え「よく遊び、よく眠り、好き嫌いなく、よく食べる。そうすれば子どもは大きくなるって、まつ姉ちゃんが言っていたな」「つまり、アンタは遊びほうけては眠り、旨い飯を山ほど食べて来たってことか」 のんきなもんだ、と政宗が呟けば「その遊びが、体躯を作る修練と重なっておるのではござらぬか? 佐助が、少し遊んでなどと申しては、稽古をつけているところを見たことが、あり申す」 楽しみながら修練をするとは、良いことだと感心する幸村に「No, you are wrong. ただの、ガキのいたずらだろう。そのいたずらを仕掛ける相手が、なかなかに厄介な相手だったんじゃねぇのかよ」 いたずらをする前の子どものような顔をして、慶次を見た。「ううん……まぁ、並の相手じゃ面白く無いからさ。ちょっと大きなところに、いたずらをしかけたりしてたなぁ。――秀吉も、いたからさ」 ふ、と慶次の目元に悲哀が差しこみ、幸村と政宗の笑みが引く。「ずいぶんと、時間が経って……いろいろと変わっちゃいるんだがな」 政宗の瞳が、悼みを持って遠くを見つめ「まこと、様々な事がござったが――」 幸村の目が、伏せられる。 それぞれに、心に沈むことを思い浮かべて黙り込むさまは、はしゃぐ夏から落ち着きを持ち始める日の移りのようであった。「けれど、佐助は変わらず某を叱りまする」 ぽつりと幸村が言い「まつ姉ちゃんが、怖い顔して俺を呼ぶ声は、変わらないなぁ」「…………小十郎の、諭すような叱り方は、俺がまだガキだったころのままだ」 胸につかえたものを吐き出すように、それぞれが深く長い息を吐く。「変わるものもあれば、変わらないものもある」 慶次のつぶやきに「うむ」「I guess.」 二人が頷いた。 蒼天に茜が差し始めている。慶次が立ち上がり「日が暮れる前に、帰らなきゃいけないんじゃないか?」 二人に声をかける。「おお、そうでござった。どこで道草を食っていたのかと、佐助に叱られてしまいまする」 うれしげに幸村が立ち上がり、床几に勘定を置いた。「俺も、小十郎の小言を食らう前に戻るとするか」 政宗も勘定を置き、慶次の懐に入った夢吉が、床几に飛び乗り勘定を置いた。「ごちそうさん。うまかったよ」 店奥に慶次が声をかけ、三人はそれぞれに目配せをし、慶次は徒歩で――幸村と政宗は馬に乗り「それじゃあな」「どっちかに、近いうちに遊びに行くよ」「お待ちしておりまする」 あいさつを交わし、偶然に行きあわせた峠の茶屋から岐路に立つ。 青から茜へ変わりゆく空は、子どもから大人へと、徐々に変じる彼らのようにゆったりと、輝いていた。2012/09/27