ほんの少し。ほんのわずかだけ色づき始めた山を、石田三成は小川沿いに歩いていた。 別段、目的があるわけでは無い。 なんとなく、歩いてみているだけだ。 命がふくらみきった夏の山は、どうにも息苦しい。 春に沸き立った命が夏に破裂し、それが充満していた。 むせるような命に圧倒される山は、あまり居心地の良いものではなかった。 秋の入り口である今は、それも落ち着き、ゆっくりと空気が静かによそよそしくなりはじめる。 充満していた命の奔流が落ち着き、ほっと息をついて腰を落ちつけはじめた山は、歓迎するのでもなく、拒絶するのでもなく、人を迎える。――いや、横を通り過ぎる者に対して、無関心なのかもしれない。 ふっと誰かと道でとおりすがるほどの関心しか持たない山は、嫌いでは無かった。 特に何もすることの無かった三成は、そんな山を歩いている。 紅葉を楽しむにしても早すぎる山に、人の気配は無い。旅商人の姿も、見当たらなかった。 ほどよい距離間を保つ山の中を進む三成の意識には、何も無い。 ただ、目に見えているものがあるだけで、空っぽだった。 大切な、自分の核を形成していたと言っても過言では無い人を失い、産み落とされたまま何の手も伸ばされない赤子のように、三成は泣き声を上げた。 自分をごっそりと奪い去った男の名を、叫んだ。 刀を振るい、知らぬうちに大きなうねりとなったそれをぶつけた男は、今は天下様と民に呼ばれ日ノ本を統一し、治めている。 三成は、刀を置いた。 細かな諍いを治めるために、三成の力は欲しいという声を、時折耳にする。 許したのなら、従えればいい。 彼を許した天下様――絆を謳いながら、大切な三成の絆を砕いた男――徳川家康は困ったような笑みを浮かべ、三成の好きなようにすればいいと言った。 凶王と呼ばれた三成へ、人々は遠巻きにぶしつけな視線をぶつけてくる。 それは、豊臣軍にいた頃とさほど変わりなく、別段気にするようなことでも無かった。 忙しい中、時間を作り家康が自分を訪ねてくる。そうして三成を連れ出し人々と引き合わせ、絆を作ろうとしてくる。 天下様と言われても、ただの人間だ。大戦の跡を復興し、新たに発展させ、細かな諍いを治めることに心を砕く家康の顔が、だんだんと疲れの色を隠しきれなくなっていることに、三成は気付いていた。 ――何故、周囲はそれに気づかない。 腹の底で浮かぶ言葉は、三成の神経をささくれたものにした。 何も言わず、誰にも気づかれていないと思っているらしい家康にも腹が立つ。自分の事を先に気にかけていろと言えば、大丈夫だと笑う。 それが、三成を苛立たせた。 やわらかな、まだ夏の名残の命の熱を持つ草を踏みしめ、川の傍を歩く。穏やかに流れるそれは、ときおり光をきらめかせ、三成の目を向けさせた。 そうして歩いていく三成の目に、赤い色が目に入った。 切れ長の目を細め、近づいていくと鼻歌が聞こえてきた。「ふんふんふ〜ん。ああ、ここにも、ぷっくり美味しそうに膨らんだキノコが。うぅん、良い香り」「貴様、ここで何をしている」「え――う、わぁああぁああああッ!」 声を掛ければ、しまりのない平和そのものな顔が振り返り、硬直したかと思うと尻もちをつき、両手を振り回しながら驚くべき速さで後ずさる。そして「あうっ」 背中を木にぶつけたかと思うと「ひぃいい、ごめんなさいごめんなさい」 謝りだした。「何故、謝る。貴様、何をしていた――金吾」「うえぇええ、言うから、ぶたないでぇええ」 情けない顔をして怯える相手を一瞥し、転がっている竹かごに目を向けた。「キノコ、か」 拾い、鼻を近づけると良い香りがした。目を細める三成の姿に、金吾――小早川秀秋は這いながら近づき「キノコ狩りを、していたんだ」「キノコ狩り」「美味しいキノコ鍋を、家康さんに作ろうと思って」 えへへと笑う顔は、頼りなさしか見えないが「そうか」 金吾なりに、家康の事を気遣っているのだろうと、思えた。「家康さん、最近とっても疲れた顔をしているからね。秋の味覚は美味しいものが沢山あるから、しっかりと食べて元気になってもらいたいんだぁ」 三成が、何もしてこないとわかったらしい。立ち上がり、膝や尻を払った金吾が竹かごとキノコを拾う。「他にも、何か美味しそうなものを見つけたら、拾って帰ろうと思っているんだ」「貴様も、家康に疲れを見止めたか」「三成君も、家康さんの事を心配して、何か美味しいものを取りに、山にきたの?」 小首を傾げられ、まっすぐな目に見つめられ「手伝おう」「え」「キノコ狩りを、だ」「……三成君、毒キノコと食べられるキノコの判別、つくの?」 つかない。「教えろ」「ああ、うん。いいけど――?」 首をひねりつつ、金吾が山を進む。三成も後に続き「目立つキノコは、毒を持っていることが多いから、触らないでね。危ないから」 三成に教えることが嬉しいらしい金吾は、心持胸を逸らせて話しかけてくる。目に留まった赤いキノコに伸ばそうとした手を引っ込めて、地味なキノコに触れようとすれば「ああ、ダメダメ! それは地味だけど、食べられないんだよ。美味しそうなんだけどねぇ」 心底残念そうな金吾の様子に、よくわからないがそうなのかと手を下す。「こっち、これ。これは、すっごく美味しいよ」 ほら、と金吾の丸い指が木に張り付くようにして生えているキノコを指さし、三成の細く長い指がそれに触れ、もいだ。差し出された竹かごに入れる。 ふふ、と嬉しそうに笑った金吾が「三成君、ほら、あれも」 指さしたものを、三成が狩っていく。無言の三成に、くすぐったそうな笑みを浮かべたままの金吾がキノコのうんちくを語り、次々に見つけていく。 竹かごいっぱいになったキノコに満足そうに頷いた金吾が「そろそろ、帰ってお鍋の用意、しよっか」 頷いた三成に、笑みを深くして帰路に着く。「もうちょっとしたら、他にもいろいろと採れるんだけどねぇ。栗とか、芋とか……ほくほくで、おいしいよねぇ」 今まさに、それを口にしているような調子で語る金吾の姿を、不思議な目で眺める。食に関しては無関心――たいていのことに無関心な三成に、金吾の食に対する情熱は理解しがたい。「家康さんが、びっくりするくらい、美味しいお鍋を作ろうね」「――金吾が、作るんだろう」 きょとんとした後「やだなぁ。一緒に作るんでしょ。家康さんに元気になってもらうために」 破顔した金吾に目を丸くする。鼻歌を歌いながら、味付けはどうしようかとつぶやく金吾を見ながら、心の中で一緒に作るという金吾の言葉を繰り返した。「三成君は、刀の扱いが上手だから、食材を美味しく切り分けられそうだしねぇ」「刀と食材が、関係があるのか」「大ありだよぉ! 切り口で味が変わってしまったりするからね。鮮度も大事だし。綺麗に素早く切り分けて調理するっていうのは、大切な事なんだから」「――そうか」「そうだよぉ」 そっと、三成は自分の手を見つめる。秀吉の道を阻む者を切り捨ててきた手が、包丁を手にするとは思わなかった。「二人で、びっくりするぐらい美味しいお鍋を作ろうね、三成君」「――ああ、そうだな」 うきうきとする金吾の気配が移ったように、三成の唇にあるかなしかの笑みが浮かぶ。 よそよそしく無関心だと思えた山の気配が、そっと静かに包みこむ、子を見守り送り出す親の視線に変わったように感じられた。2012/10/02