メニュー日記拍手


・奥州・甲斐・
四月ばか  薄曇りの武田屋敷。広い庭先で、真田幸村は槍を振るっていた。
「はっ、ヤッ――――おぉおおおお!」
 覇気をみなぎらせ、脳裏に浮かべる相手との手合わせに汗を飛ばす。本来なら、伊達政宗が目の前にいるはずであった。腹心である右目――――片倉小十郎の目を盗み抜け出して来たつもりが、しっかりとばれてしまったのだ。幸村に声をかけて連れ出そうとする折、具合を見計らっていたように小十郎は現れ、怒気を含んだ温厚な笑みを浮かべて政宗の名を呼んだ。あわてた政宗は、信玄に直接話をしたい用があり、自ら足を運んだのだと言って、幸村に取り次ぎを依頼した。信玄の元へ二人を案内した幸村は、政宗の発した剣呑な空気に触発された魂の赴くままに、槍を振るっている。
「セイッ、ヤッ――――はぁあっ!」
「おい、真田幸村」
 幸村の声の合間に、静かな声が差し挟まれる。ぴたりと槍を止めて、身体ごと声の主に向いた。
「政宗殿。用向きは、済まれたのか」
「ああ、まぁな」
 ゆっくりと歩いてくる政宗の顔は、どこかすねているように見えて、幸村は首をかしげた。
「いかがなされた、政宗殿。なにか、よからぬことでも御座ったか」
「――――――なあ、真田幸村。あんた、口は固いほうか」
 目をしばたたかせ、きょとんとする幸村からわずかに顔をそらし、斜めに見てくる政宗に歩み寄りながら問う。
「いかがなされた。政宗殿らしからぬ振る舞い、某に手助けできる事ならば、お伺いいたす」
「AH――――いや、そうだな…………」
 口元を手で覆い、考えるような顔をしてから、意を決した顔で幸村を見る政宗。真剣な顔で見つめ返す幸村から、わずかに目を伏せてそらし、沈鬱な声で呟く。
「あんた…………俺が女だったって言ったら、どうする」
 言葉の意味が、よく呑み込めない。今、なんと言われたのか。
「え…………ま、政宗殿、今、なんと――――」
「だから、俺が女だったらって、言ったんだよ」
 苛立った声が、幸村に刺さり弾ける。落雷の威力を持ったそれは、彼の思考を停止させた。
「お、おい――――?」
 ブスブスと頭から煙を発している幸村に、引きつった顔で政宗が手を伸ばした。
「は、わわわわわわわわぁっ」
 触れる直前に幸村は飛びすさり、政宗との距離をおく。いきなり槍の間合い以上に離れた相手に目をまるくし、すぐにニヤリとしてから神妙な顔になる。
「――――やっぱ、女がライバルだなんて、嫌だよなぁ」
 寂しげに顔を背け、肩を落として何かを堪えるように胸元を掴む政宗に、はっとして駆け寄り、手を振り回しながら幸村が言う。
「ま、政宗殿! 某らいばるというものは、よくわからぬが…………政宗殿との手合わせは楽しゅうござる。お、女子だから厭うなど、致しませぬ故…………その、なんと申せば良いのかわからぬが」
 政宗の肩が、小刻みに震えている。
「信じて、くれんのか」
 何かに耐えて絞りだすような声も、震えていた。
「信じるもなにも――――。身体の弱い男児を母体である女子の格好をさせて生命力を強めるということもござる。いかな理由かは存じませぬが、その逆もあって然り。何より、政宗殿がそのように申されるのであれば――――もしや、お館様へ直接の用向きというのは…………」
 こくり、と政宗がうなずく。
「奥州でも、知ってんのは小十郎だけだ。だから俺は、あいつに頭が上がらねぇ――――。頼るも信頼も、全て小十郎にのみ」
 ちらり、と政宗の目が幸村を見る。
「長く深い秘密を抱え、打ち明けられるは片倉殿のみとは、さぞや辛いことでござろう」
 何度も深くうなずきながら、幸村が苦しげに目を細める。しかしその顔はすぐに、明るくなった。
「されど、お館様であれば、よき道を示してくださる! ご安心めされよ。某も、他言いたさぬ」
 胸を張り、満面の笑みの幸村に、こみあげたものを堪えるようにクッと身体をひねり反らす政宗が、奥歯を噛み締めながら声を絞りだす。
「それだけ近くにいて、頼るもんが一人しか居ないってぇのを抜きにしても俺は…………」
 吐き出しかけたものを押さえ込むように、政宗は身体を堅くする。
「政宗殿――――」
 いたわるように、幸村が顔を覗き込むが眼帯と髪が、表情を隠している。
「小十郎に――――懸想、してるっ」
 深く大きな塊を吐き出すような、短く硬い政宗の声に幸村は我知らず拳を握った。
「政宗殿と片倉殿は、恋仲でござったのか」
 それに緩く首をふり、政宗は続けた。
「小十郎が、俺をどう思っているのかは、わからねぇ――――多分、俺が奥州筆頭だから、ああして…………」
「そんな! あの忠義はそれだけではござらぬと、お見受けいたしまするぞ」
「もう、これ以上は――――耐えられねぇ…………だからっ」
「だから、お館様に相談なされたのでござるな。――――某にも、こうしてお話いただけるとは。政宗殿――――政宗殿のお気持ち、嬉しゅうございまするぞ」
 感極まったように、政宗は身を縮めた。
「政宗様」
「おお、片倉殿」
「捜し回りましたぞ、政宗様。信玄公との会談を打ち切り、どこに行かれたかと思えば――――」
「片倉殿! 政宗殿は、ひどく悩んでおられるのだ。時には片倉殿と離れて考えてみたいことも、ござろう。そのように頭ごなしに諫めるような物言いは、いかがなものか」
 責める口調の幸村に、小十郎は近寄る足を止めて政宗を見る。政宗は、顔を沈ませ手で覆い、何かを必死に堪えている。
「――――政宗様、いかがなさいました」
 手を伸ばす小十郎の前に立ちふさがり、幸村はギッと強く見据えて言った。
「片倉殿は、政宗殿をどのように思われておるのか、お聞かせ願いたい」
「真田?」
「片倉殿は、政宗殿が奥州筆頭でなくとも、今のようにお仕えなされるか」
「――――おいおい、いったい、なんなんだ」
「お答えくだされ!」
 くはっ、と幸村の背後で大量の空気が吐き出される音がする。続いて、高らかな笑い声がした。
「オーゥケェイ、真田幸村。あんた、最高だ」
 ニヤリとした政宗が、幸村の肩を叩きながらクックッと喉を震わせる。
「ま、政宗殿――――?」
 盛大なため息をついて、小十郎が眉根を寄せた。
「政宗様、おたわむれも大概になさいませ」
「は? え――――」
「ジョークだよ、ジョーク…………ったく、俺が女なわけ、ねぇだろうが」
「なっ…………、しかし、あのように辛そうに…………」
「おおかた、コロリと騙されていることに、笑いが込み上げてくるのを堪えておいでだったのでしょう」
「You're right」
「困ったお方だ…………。真田、すっかり政宗様に騙されていたようだな」
「怒るなよ? 今日は嘘をついても許される唯一の日なんだからな」
 ぽかんとしている幸村の肩をもう一度叩き、政宗は歩きだす。
「西洋の文化だから、あんたが知らないのも当然だろうがな」
「政宗殿っ」
「アァン?」
「本当に、嘘、なのでござるな」
「女のほうが、良かったか?」
 大きく首を横に振る幸村に、政宗は拳をむけ、ゆっくりとそれを開いてみせる。
「手加減しねぇで、すむだろう。安心したか」
「いずれまた、全力で遣り合いましょうぞ」
 伸ばした手を天に向けて、政宗が背を向ける。小十郎が軽い挨拶をして後を追った。それを見送り、幸村は拳を握る。
「旦那、すっかりだまされたねぇ」
 声がして、庭木の上から佐助が降りてくる。一部始終を見ていたらしい忍に、幸村は呟いた。
「本当に、政宗殿は嘘を申されたのだろうか…………」
「もしほんとに女だったとして、旦那は本気でやりあえる自信、無いでしょう」
「――――うむ。政宗殿には、女子であろうとなかろうと、片倉殿の忠義は変わらぬと申したが、いざ戦場で刃を交えることを思えば、いささか疑問に思えるのだ。本当に、女子である政宗殿に、某が全力で挑めるかどうか…………」
「んじゃあさ、いっそのこと娶ってしまうとか、どうよ」
「なっ――――」
「冗談だって、冗談」
「佐助」
「はぁい」
「探ってくれぬか」
「何をさ」
「本当に、政宗殿が男であるのかどうかを、だ」
「やれやれ――――だまされちゃいけないところで信じちゃって、信じていいところを疑うなんて、困った旦那だよ。大丈夫、どこをどうしたって、竜の旦那は男だから」
「――――そうか。良かった。…………では、政宗殿の、お館様への用件というのは何だったのでござろう」
「さあ、ねえ。退屈だったんじゃないのぉ? それより旦那、そろそろオヤツの時間にしない」
「そういえば、小腹が空いてきた。佐助、共に茶をいたさぬか」
「よろこんで」
 おどけた調子の佐助が先を歩き、幸村が続く。ふと振り向き、政宗が去った方角を見て、ほっとした顔で「嘘でよかった」とつぶやく彼は、美味なる団子に舌鼓を打ちに向かった。


2010/04/01


メニュー日記拍手
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送