庭先に出れば、昨夜の激しい風雨に回された木の葉が落ちていた。「昨夜は、すごい風だったねぇ」 庭に降りていた真田幸村は、のんびりとしたその声に振り向いた。「おお、佐助。無事だったか」「なにそれ」「昨夜、戻って来たのだろう。あの風では難儀したのではないかと、思ってな」 にっこりとする主に、彼の忍である猿飛佐助は腰に手を当てた。「あのくらいの風で吹き飛ばされるほど、ヤワじゃないぜ」「だが、佐助は軽いからな」「身軽と軽いは、違うって」 そんなのんきな会話を交わしている二人がいる所は、彼らの慣れ親しんだ土地ではなかった。彼らの生国である甲斐よりもずっと南。浪速と呼ばれるところにある徳川の屋敷に、二人はいた。 徳川家康が天下人となり間もない今は、くすぶる不穏な郎党が面倒事を引き起こす。大局としては徳川の天下となったが、細かな所では落ち着きはまだ無かった。天子様のおわす京の都が、このような折に乱れるのは過去の歴史を紐解いてみれば用意に想像がつく。そのため、彼らは中心地が乱れるのを沈める助力をせよと、甲斐の君主である武田信玄より下知を受けていた。「たしかに、猿飛は大嵐に飛んで行ってしまいそうだな。その忍装束もまるで木の葉のようだし」 力強く生気に満ちた声がして、天下人となったはずだが平然と民の中に交じり、同じ床に座り飯を食うことを止めることの無い徳川家康が、顔を現した。「俺様、そんなに脆弱じゃないぜ? そりゃあ、柳のようにしなやかだけどさ。柳はけっこう強いだろ」 佐助が片目をつぶってみせれば「なるほど。信玄公という大木にささえられた柳の枝葉であれば、少々の嵐……いや、大嵐だったとしても、吹き飛ばされてしまう事は無いだろうな」 深く強く、家康が頷いた。「真田。信玄公は、息災だろうか」「お館様なれば、健やかに治政を行われており申す。おそらく、今頃の時節なれば、里に下りて民の野良仕事や川の具合などを検分なされておるかと」「うん。ワシも、信玄公のように、この目でしっかりと民の暮らしを見つめ、人々の上に立つ……いや、絆の輪の中心となり、子どもが未来に目を輝かせる世の中を創っていこうと思っている。――真田。誰よりも傍で信玄公の姿を見てきたオマエだ。ワシが道を誤りそうになったときは、厳しく正してくれ」「まだまだ未熟な某なれど、そのように願われれば否やはござらぬ。家康殿。拙者こそ、貴殿に学ばねばならぬことが多々あるかと存じまするが、よろしくお頼み申す」 きりりと眉をそびやかす幸村と、瞳に力強い信念を湛える家康を見つめ、佐助はやれやれと鼻から息を吐いた。「さて、と。旦那。甲斐よりは温かいけど、まだちょっと肌寒いし部屋に戻って茶でも飲もうよ」「うむ、そうだな。佐助は、寒いのは苦手であったな」「ほう、そうなのか」「旦那みたいに、無駄に暑苦しくしているわけじゃないからねぇ。てか、俺様が普通で、旦那が妙なんだよ」「ははは。真田は、寒さに強そうだな」「家康殿は、肌寒いと感じられておられるのか」「ああ、少し、肌寒いな。……そんなことを言えば、情けないと独眼竜に笑われてしまいそうだが」「政宗殿は、奥州の方ゆえ寒さには強そうにござるな」「くぅる、とか言っているから熱いのは苦手なんじゃない」「暑さ寒さも、彼岸までってね」 三人の会話に、突然割って入った陽気な声に、皆が笑みを向けた。「ああ、慶次じゃないか」「三人そろって、何の話だい? 春って事で、恋の話だったりして」 満開の桜を思わせる前田慶次の発言に、幸村のみが頬に朱を差す。「こ、恋などと、そのように軽々しく口にするべき言葉ではござらぬっ」「そうムキになりなさんなって。猫も杓子も、春と言えば恋の季節ってね。天下も表向きは泰平になったんだし、槍を振り回すよりも筆を執って恋歌の一つでも詠んでみたらいいじゃないか」「キッキィ」 慶次の言葉に、彼の肩に乗っている小猿の夢吉が、同意をするように声を上げた。「慶次は、ほんとうに恋の話が好きだな」「そりゃあね。まつねえちゃんや利みたいに、恋しく仲良く過ごしていけば、家康の言う絆も、うんと深まっていくってもんさ! ――あ、せっかくだしさ。忙しくないんなら、恋歌の詠みあわせでも、してみないかい?」「うん、それは面白そうだな。ワシはこれから、公家の方々とも交流をせねばならなくなる。そうなれば、歌詠みは欠かせぬからな。その練習をさせてもらえるのであれば、たすかる。真田も、もちろん参加をするだろう」 話を振られ、幸村はわずかに唇を尖らせた。「某は、そのような作法は苦手ゆえ辞退させていただきまする」「そう、硬いことを言うなって。気軽な感じで参加をすればいいだろう」 慶次が少し首を傾げれば、高く結い上げられた豊かな髪が流れた。「そろそろ、旦那もそういうことを覚えたほうが良いかもねェ」 にやにやと佐助が頭の後ろで腕を組む。「そうだな。信玄公も、何首か歌を詠まれている事だし、真田もすればいいじゃないか」「それならば、恋歌とせずとも、別の題材を持って詠めば良いかと」 拗ねたようになっていく幸村を、からかう目になった三人と一匹が追い詰める。「大将だって、恋歌を詠むんだぜ」「そうそう、聞いたことがある。なんだったかな……ええと、うちなびく 水かげ草の露のまも 契はつきぬ星合のそら……だったかな」「なんだ。慶次――信玄公の詠まれた恋歌まで、知っているのか」「へへっ。恋の歌なら、俺に任せろってね。なあ、幸村。敬愛する相手も恋歌を詠んでいるんだからさ、破廉恥だなんだって言わずに、やってみたらいいじゃないか。このまま、恋も知らずにいるなんて、もったいないよ。恋をして結ばれて、子を成して……そうやって絆を深めて繋げて、未来を作っていくもんだろ。それとも、真田家は幸村の代で終わりにするのかい?」 にっこりとした慶次から、幸村が顔ごと目を逸らした。「恋が破廉恥と言うておるのでは、ござらぬ」「じゃあ、何が破廉恥なのさ」 幸村の発言に、家康と慶次が首を傾げる。佐助は、軽く頬を掻いて苦笑した。「旦那は、バカがつくほど生真面目だからさ」 理由を知っているらしい佐助は、それ以上何も言わない。ますます意味が分からないと首をかしげる二人に、幸村が拳を握りポツリと言った。「恋が破廉恥なのではなく、そのようなことを人前で軽々しく口にすることが、破廉恥と存ずる」 首まで赤くしてしまった幸村に目を丸くし、次いで家康と慶次は弾かれたように笑いだした。「な、何を笑われる!」「あはははは、だって……だって、幸村、すっごい……真面目っ、真面目すぎ…………っ、ははははは」「ああ、すごいな――真田は。ワシらのころになれば、大小は有れど、そういうことに興味を持ち話題にするものだが…………ははっ、恐れ入る」 むうっ、と唇を噛みしめた幸村の肩を、ぽんと佐助が軽く叩く。「旦那は、これから戦やなんやのことしか無かった頭を、すこぅし柔らかくするために前田の風来坊と遊んだほうが、いいかもねぇ」「俺は、そのようなことをするために甲斐を出たのではないぞ、佐助」「ま、そうだけどさ。年上にばっかり囲まれて、気安く同年代の誰かと過ごすなんてこと、出来なかったでしょ。戦ばかりで出来なかったことを、いろいろと経験していけば、いいんじゃない?」「佐助も、人の事が言えぬでは無いか」「まあまあ、お二人さん。せっかくの戦の無い世を、みんなで楽しめばいいじゃないか」「俺様は、あんまり遊んでられないんだよ。色々と、忙しいからね。遊んでいる時間があるなら、のんびりしたいなぁ」「某とて、治安を守るために鍛錬を積み、いついかなるときにも対応できるよう、備えておかねばなりませぬゆえ」「そう、硬いことを言うな。真田も、猿飛も、共に泰平の春を楽しもうじゃないか。――そうだ。せっかくだから、元親も誘ってみるか。船があれば、ここまではすぐに来られる」「元親も、ああ見えて奥手だからなぁ……人とはすぐに打ち解ける癖に、気安すぎて女の子に無意識に期待を持たせるようなことをしちゃうから、そのへんをなんとかしないと、元親が気付かないうちに泣いている子は、少なくないんじゃないか」「ああ、そうだな。元親は良い男だが、少々気安すぎるきらいがあるからなぁ」「長曾我部殿は、女子(おなご)を泣かせるようなことを致すのでござるか? そのような御仁には、見えませなんだが」 きょとんとする幸村に、家康が苦笑する。「真田も、似たようなものだろうなぁ」「うんうん。きっと、さりげなく誘われても思いっきり気付かずにいて、陰で泣いてる女の子がいそうだよねぇ」 かわいそうに、と腕を組んで慶次と夢吉が頷くのに、幸村が慌てた。「な……某は、女子(おなご)を泣かせるようなことは、いたしておりませぬ」「だから、無意識にって言っただろ。そういうことを防ぐためにも、恋心の機微を知るために、恋歌の歌詠みをしたほうがいいって」 ぽん、と慶次に肩を叩かれ、釈然としない顔で幸村が頷いた。「よぉっし。そうと決まれば――せっかくだし、美人の姉さんがいる店で詠むほうが、雰囲気も出るだろうからさ、よさそうな店に案内するよ」 慶次が張り切って、幸村の気が変わらぬうちにと彼の背を押し歩き出す。それに、家康が楽しそうに続き、佐助が呆れたような笑みを浮かべて仕方が無さそうな態度で従う。「春たてば消ゆる氷の 残りなく 君が心はわれにとけなむ」 楽しそうな慶次の朗々と詠みあげる声が、泰平の春空に響き渡った。2013/03/21