木々に囲まれた森の中に、ぽっかりと空いた広場がある。そこに、幾人かの男が立っていた。 はらはらと、大なべを背にした男が眉を下げ、内またで小水を我慢しているように足を擦りあわせ、口元に手を添えて目の前の光景を見守っている。「そんなに心配そうな顔をしなくとも、大丈夫ですよ金吾さん。刃物は禁止なのですから」「でも……」 金吾と呼ばれた不安そうな男の横で、さらりと絹のような髪を揺らした僧侶が、ほほ笑んだ。「まあ、彼らほどの力量があれば、たとえ木刀であったとしても、相手の命を奪うことなど容易いでしょうけれど……フフフフフ」 僧侶天海の笑みに、金吾がビクリと震える。 薄暗い天海の笑みとは裏腹に、空は抜けるように青々と爽やかであった。 天海が、その手に持った錫杖を振り上げ、しゃらりと音を鳴らす。 それが、始まりの合図だった。「いざ、参る!」 最初に動いたのは、紅蓮の鎧を見に纏う、真田幸村だった。 腰を低く落とし足を開いた彼は、長い棒を両手に握りしめ、大地を蹴った。「おぉおおぉおおおっ!」 得物の尻を背で交差させた格好で、腕を体に添わせて走る。空気の抵抗を最小限にとどめた突進に、正面から迎え撃つため駆け出したのは、徳川家康だった。「来い、真田! 信玄公との鍛錬を繰り返した腕を、ワシに見せてくれ」「徳川殿ぉおぉおおっ」 手首を回した幸村は、長棒で下から上へと薙ぎ払う。それを顔の横に腕を立て、特製の手甲で受け止めた家康が、腕を回し棒を腕に絡めると、深く腰を落とし腰をひねり、棒ごと幸村の体を引き寄せながら、拳を繰り出した。「ぬぅうんっ」 懐に入り込まれた幸村は、迷いなく棒から手を離し、迫る拳に肘をおろし膝を上げる。肘と膝で脇腹に拳が叩き込まれる前に止めた幸村に、家康がニヤリとした。「さすがだな」 それに笑み返す間を与えず、頭を振り額を打ち付けてきた家康に、幸村も同じように首を振って応戦する。 ゴッ―― 鈍い音がして、二人の額が打ち合った。 その横で「っと。あっぶねぇ」 緊張感の無いつぶやきを、森の緑を染め抜いた忍装束を纏う猿飛佐助が漏らした。 ふわ、と地面に身を投げ出すように前に倒れた石田三成が、恐るべき速さで狙いを定めた佐助に迫る。彼の手にあった木刀が体をかすめる前に、佐助がおどけた調子で飛び上がり、その切っ先に足を乗せしゃがみ、三成の顔を覗き込んだ。「おっかないねぇ。さすがは、凶王ってところかな」「貴様ぁ……」「そんな怖い顔しなさんなって」 苛立ちを隠そうともしない三成に、物見遊山の様相で笑いかけた佐助が宙に舞う。乗っていた切っ先を蹴って飛んだはずなのに、手指に何の負荷も感じなかったことに、三成は苛立ちを獰猛な笑みに変えた。「――成程。貴様は、重さが無いらしいな」「そんなふうに言われると、忍冥利につきるねぇ」 地に降り立った佐助が、眼前で印を組む。くるりと回転すれば、その姿は三人となった。「そんじゃま、忍び参っちゃおっかな」 つぶやいた言葉を置き去りに、佐助の姿が風となる。見えぬ風の軌道を読んだ三成が、木刀を立てて受け止めた。 その後方で「おぉおおおっ! 小生には近づけないだろう」 ごうんごうんと空気をかき混ぜ唸らせながら、手枷に付いた鉄球を振り回す黒田官兵衛に、蒼き竜が軽く肩をすくめる。「ははははは! どうだぁ。近づけないだろう」「竜を、見くびるんじゃねぇよ」 つぶやいた蒼き独眼の竜、伊達政宗は高々と跳躍し、官兵衛が作る空気の渦の上へ入る。「Prepare to die!」「ぬおっ」 渦の中心、官兵衛の頭上で木刀を構えた政宗が、落下の重さを剣技に加える。回転しながら見上げ、驚愕に咆えた官兵衛は、遠心力に身を委ねて迫る竜の爪を避けつつ、地面に転がった。「おぉおおっ……いてて。さすが、竜の名を持つだけのことはあるな」「大道芸のような事しか出来ねぇんなら、さっさと爪の餌食になって、転がっていたほうが良いんじゃねぇか」「竜の爪は、小生の鉄球でポキリと折り曲げてやるさ」 ニヤリとした官兵衛に、政宗が腰を落とし、顔の横に木刀を構えた。「皆、楽しそうだなぁ!」「よそ見をしていると、怪我するぜ」「おっとぉ」 低く響く声が間近に聞こえ、祭りを楽しむ前田慶次が身長ほどもある大刀を鞘ごと立てる。木刀が打ち当たり、衝撃が指を伝い腕にまで達するのに「うへぇ。おっかねぇ」 ぺろりと舌を出した。「さすがは、竜の右目だね。斬撃が重いったらないよ」「そんなふうに、いつまで余裕を噛ましているつもりだ。前田」「余裕をかましているつもりは、無いんだけどね。折角の喧嘩を、楽しみたいだけ……っ、とぉ」 大刀を支えに、自分の体を空に放り投げ、竜の右目、片倉小十郎の剣をかわした慶次は、そのまま飛び上がった体の回転を利用し大刀を振り上げ「あらよっとぉ!」 小十郎の脳天めがけて振り下ろした。「甘ぇな」 ふっ、と小十郎の体がぶれて、慶次が目を丸くする。どしんと音を立てて大刀の切っ先が大地にめり込み、中空で寸の間、動きが止まった慶次のみぞおちめがけて、小十郎の木刀が繰り出された。そこに「ッキィ」 高い声がして、怯えた顔の小猿が顔を出す。「っ! く」 腕の筋肉を軋ませた小十郎が、小猿に切っ先が当たる寸前で刃を止めて、慶次、小十郎、小猿の夢吉は、同時に安堵の息を吐いた。「ダメじゃないか夢吉。金吾のところで、待ってろって言っただろ」「キッキィ」「前田の事が、心配になったんだろう」 小十郎の言に「心配してくれるのは嬉しいけどさ、夢吉が怪我をするかもしれないって方が、俺はずっと心配だよ。……そうだ。ちょっと、我慢してくれよ」 夢吉を握った慶次が、きょろりと周囲を見回して笑みを浮かべ、大きく振りかぶって夢吉を投げた。「元親! 夢吉を頼むよ」「おっ、まかせとけぇ!」 投げられた夢吉は、綺麗に体を丸め、クルクルと回転しながら西海の鬼、長曾我部元親の手の中に納まった。「無敵無敵ぃいいっ! この無敵を相手によそ見をするとは油断大敵ぃいいっ」 自称無敵、直江兼続の剣劇を、右に左に軽く体を動かし躱した元親が「無敵なのは、よくわかったから。怪我をしねぇうちに、早々に眠っておきな!」 ずん、と体重をかけた蹴りを繰り出せば、まともに腹に受けた兼続が見事に後方に吹っ飛んだ。「無敵なのにやられたぁあぁああああっ!」 尾を引く声を聴きながら、元親は夢吉に笑いかけ、金吾の傍へ寄る。「コイツの面倒を、よろしく頼むぜ」「あ、うん。わかった」 頷いた金吾に歯を見せて笑った元親が、木製の碇を肩に乗せ、仕合う男たちの間に駆け戻る。「あらよっとぉ!」 小十郎と仕合っていたはずの慶次の大刀は、三成の横に振り下ろされていた。「その程度の動きで、私を打ち倒せると思ったか!」 三成が体の重さを消し、瞬く間に慶次の眼前に迫る。「うっ、わ――っ、とぉおお」 無理やりに首を捩じり、顎の下から伸びてきた三成の木刀を躱した慶次は、倒れざまに三成に蹴りを繰り出す。「くっ」 その体勢から攻撃をされるとは、思わなかったらしい。飛び退った三成の肩を、慶次の足先が掠めた。「へっへぇ! 喧嘩なら、負けないぜ」 尻もちをついた慶次が、鼻の下を得意げに指で擦る。それに薄氷の笑みを浮かべた三成が、上体を大地と平行に折り曲げて居合の構えを取った。「おぉおおおぉおおおおっ!」 その横で、無数の棒が迫っていると思えるほどに、素早い突きを繰り出す幸村の相手は、家康から官兵衛に代わっていた。「キリがねぇなっ!」 鉄球を抱えてそれらをすべて受け止める官兵衛の体が、幸村の剣劇の重さに押されて少しずつ後退していく。それを打破すべく、官兵衛は鉄球を左右に振った。「ぬぉっ」 球体に棒の先が滑り、弾かれる。「なんという馬鹿力……っ!」「小生をなめるなぁあっ!」 ぐお、と唸りを上げて迫る鉄球を、幸村は地面を転がり避ける。それに不敵な笑みを浮かべた官兵衛の体が飛んで、幸村の腹をめがけ全体重を乗せた肘鉄を繰り出した。「ぬぅうっ」 横に転がり避けた幸村の脇腹に、官兵衛の肘がかする。地面に肘を打ち付けた官兵衛が「ぐぉっ」 肘から走った衝撃に官兵衛が呻く間に起き上がった幸村が、構えなおす。「覚悟を決められよ!」 幸村の手にした棒が唸りを上げて官兵衛に迫り、官兵衛は鎖の穴でそれを受け止め捻り、幸村を投げ飛ばした。「どぅわぁああっ」「っ、真田!」「情けねぇな、真田幸村ぁ」 飛ばされた幸村の落ちた場所は、家康と政宗が互いの拳と切っ先を打ち合わさんとしている間だった。とっさに踏みとどまった二人の攻撃を、幸運にも受けずに終えた幸村は、ほっと胸をなでおろす。「危ないところでござった」「俺以外の誰かに、負けるなんざぁ許さねぇぜ。真田幸村」「無論、最後に立っておるのは、某にござる」 きりりと眉をそびやかした幸村に、政宗が口笛を鳴らした。「はは。それでこそ、真田だ! ワシも、負ける気は無いがな」 改めて家康が構え直し、政宗は唇を舐めると覇気を全身にみなぎらせた。「はいはいっと。ちょいとゴメンよぉ」 軽い声がして、佐助が家康の頭上を飛び越える。それを追う風を感じ、とっさに腕を交差させた家康の上に、元親の振り下ろした木製の碇が打ち落とされた。「っ、とぉ。悪ぃな家康!」 まったく謝罪の気配の無い声に「ああ。気にするな、元親!」 さわやかに家康が答える「やっこさん、すばしっこくていけねぇや」「背中が、がら空きだな」「おっと!」 碇を持ち上げた元親が、それをそのまま背中に下し、突きを受け止める。「背後を襲うたぁ、らしくねぇんじゃねぇか」 肩越しに振り向いた元親の笑みに、獰猛な笑みを浮かべた小十郎が木刀を振って腰に戻す。「乱戦になりゃあ、背後も何も関係ねぇだろう」「そりゃそうだ」 ゆったりと小十郎に体を向けた元親の筋肉が、闘気を含んで一回り大きくなる。それに、小十郎が楽しそうに目を細めた。「竜の右目は、暴れ竜を諌めるってぇ聞いていたが……そんな顔をすることも、あるんだなぁ」「こういう顔も出来なきゃあ、伊達の軍勢を指揮できるはずもねぇだろう」「なるほどな」 獰猛な笑みを交し合い、小十郎の体が左右にぶれて元親に迫り、元親は碇を蹴り上げ残像ごと薙ぎ払うように、腰を落として前に進んだ。 広場のあちらこちらで、激しい打ち合いが繰り広げられている。それを怯えた顔で眺める金吾の頬に、そっと夢吉が手を乗せた。「はぁあ……すごいねぇ。夢吉くんは、こういうのを見慣れているの?」「キィイ」「ウフフ――前田慶次の傍に居れば、剣呑なことも目の当たりにするでしょうねェ」 天海が、じつに楽しそうに声を弾ませた。「ねぇ、天海様」「はい、なんでしょう金吾さん」「結局、これって何のために、皆は戦っているの?」 金吾の問いに、笑みをたたえた天海が、しばらく動きを止める。作り物になってしまったように、動かなくなった天海を見つめる金吾が、沈黙に耐えきれなくなる寸前に、天海が笑ったまま首をかしげた。「何のためなんでしょうねぇ?」 答えを得られぬ金吾は、唇をとがらせて戦う彼らに目を戻す。「せっかく、太平の世になったのに。喧嘩が好きなのかなぁ」「たまには、運動も必要だと言う事でしょう。金吾さんも、少しは体力を付けなければいけませんね。あの中に、混ざってきては如何ですか」「えっ、えぇえぇええっ! いいっ、いいよぉ……」「フフフ――冗談ですよ、冗談。さて、金吾さん。彼らが疲れてお腹をすかせた時に振る舞うための鍋を、そろそろ用意いたしましょうか」「あ――ああ、うん。そうだね、天海様。うんと、美味しい鍋を作らなくっちゃ!」 晴天の泰平の世で、燻る魂を消化させる剣呑な宴が催されていた。2013/04/08