空が近く真っ白になっている。ところどころ灰色に変わりだして、風が強くなりはじめ、海の香りが鼻に届くようになって、小早川秀秋。通称金吾は眉を下げた。その心中を察したように、隣に立っていた今の空模様のような色味の僧侶が、口を開く。「野営食事会は、これでは開くことが出来ませんねぇ」「天海様。なんだかちょっと、うれしそう」 元からまるい頬をしているので、ちょっと唇をとがらせて見せるだけで、金吾はとても不機嫌な顔になれる。「おや、そうですか」 心外そうに首を傾けた天海の長く白い髪が、さらりと肩から流れて風にゆらめいた。「いつも、このような口調なんですがねぇ」 目を糸のように細めた天海が、空を仰いだ。「降るのも、時間の問題ですねぇ」「もう少し、待っていてくれたらいいのになぁ」「こればかりは、人の力の及ぶところでは、ありませんからねぇ」「残念」「これからずっと雨、というわけではないのですし。楽しみが先延ばしにされたぶんだけ、より開催の時の喜びも、大きくなるというものですよ、金吾さん」「うぅ」 諭す天海に、つまらなさそうに唸った金吾は、うらめしそうに灰色が濃くなっていく空を見上げる。 ぽっ――「あっ」 金吾の鼻先に、水の塊が触れた。 ぽっ、ぽぽっ、ぽ――ざぁああ――「わぁっ」「金吾さん。中に」「うんっ」 急激に勢いよく降り出した雨から逃れ、座敷に戻る。しばらくすれば、ほかほかと湯気の立つお茶と、蒸したばかりの饅頭が運ばれてきた。それを食べながら、金吾は雨にけぶる庭を、恨めしそうに眺める。「止みそうにないねぇ、天海様ぁ」 しみじみと落胆を込める金吾に、そうですねぇと天海が相槌を打った。「風も強いですし、これでは船は出そうにないですねぇ」「元親さんのところに、行けそうにないねぇ」 今日の野営食事会は、長曾我部元親領地の砂浜でたき火を熾し、獲れたて釣りたての魚介類を豪快に調理し賞味するというものだった。「潮汁、楽しみにしていたのになぁ」「作る方ですか? 食べる方ですか」「両方だよ」 落胆のため息と共に言葉を吐き出した金吾が、吐いた息の分に空いた部分を埋めるように、蒸饅頭をほおばった。「まぐまぐ。こういう天気だと、蒸饅頭の味もなんだか違って感じるよ」「おや。風雅ですねぇ。晴れの日と、どのように違って感じるのですか」「ううんと」 わし、と二つ目の蒸饅頭と掴んで持ち上げた金吾が、それを二つに割り開く。黒々とした餡子が、誘う香りを湯気とともに立ち上らせた。「晴れの日は、蒸饅頭もぴかぴか元気で、雨の日はなんだか、しっとりした感じ、かな」「たとえて言うなら、どのような比喩になるのでしょうか」「う〜ん。晴れの日の蒸饅頭は、元親さんとか家康さんみたいで、雨の日の蒸饅頭は、毛利様や三成くんみたい」「では、雨の日の蒸饅頭は、おきらいですか」「嫌いじゃないよ」「ですが、毛利元就や石田三成のようであると、おっしゃられましたよ」 割った蒸饅頭の片割れを、一度に口に入れた金吾が咀嚼しながら首をかしげる。嚥下しお茶でのどを潤してから、残った片割れを見つめた。「毛利様や三成くんを、嫌っているわけじゃないよ」 問うように、意外そうに天海が片方の眉を持ち上げた。「そりゃあ、ひどいことをするよ。僕の事、ふんづけたり叩いたりするし、目がとんがってて怖いし。でも、嫌いじゃないんだ」 自分でも、その言葉が以外であるかのように、金吾は頷きたしかめた。「うん、嫌いじゃない」「それはまた、どうしてでしょう。酷いことをされるのですから、嫌いになって当然でしょう」「ううんと」 眉根を寄せ、眉間に深い深いシワを作りながら、金吾は懸命に勘がる。唸りながら、一生懸命に考え続ける。そんな彼を天海は静かに見つめ、雨が邪魔をする音を遮るように、一定の音を奏で続けた。 そうしてようやく「だって、あの二人は僕を嫌ったり馬鹿にしたりしているわけじゃ、ないんだもの。ああ、えっと、馬鹿にされてるのは、あるかもしれないけど」 まふっと蒸饅頭にかじりつき、考えながら噛みしめる。「毛利様は、よく使えないとかなんだとか言ってるけど、でもなんだかんだで、僕を頼りにしてくれている所が、あると思うんだよね。そりゃあ、蹴られたり、ふんづけられたりしたときは、逃げ出したくなるし会いたくないって思うよ。思うけど、ううん」 そこで金吾は、首をかしげた。「三成くんも、すぐに怒るから怖いけど。でも、あれって僕のことを信用してくれてたりするから、だから怒るんだろうし。できないって言ってるのに怒られるのは、怖いけど、でも、僕を嫌っていて怒っているんじゃなくて、えぇと」 そこでまた、金吾は首をかしげる。「つまり。金吾さんは、お二人に自分は好かれていると、そう思うから嫌いでは無いということですか」「うう、ん」 疑問と肯定をないまぜにした返事をして、金吾は残りの蒸饅頭も胃袋の中に収めた。 雨は、止むことなど無いような顔をして、庭木を叩き地面を濡らしている。「晴れの日の饅頭も美味しいけど、雨の日も饅頭も、美味しいんだよ。天海様」 真剣な顔で、金吾が無理やりに話をまとめた。にっこりと受け止めた天海が、懐から書状を取り出し、差し出す。「きっと、雨の日も金吾さんは美味しいものを手にすることが、出来るのでしょうねェ」 きょとんとしながら手紙を受けとり、一丈(約3メートル)はあろうかという長さの文を広げ読みながら、金吾はすっくと立ち上がった。「天海様。この文はいつ届いたの」 それは、毛利元就からの手紙だった。「今朝方ですよ。このぶんだと雨は必定と思いながら、門の所で空を眺めていた時に、届いたものです」 天海が門の所で空を見上げてから、金吾が朝食を終えて門前に出るまでに、受け取ったのだと答えた。「何が、書かれているのですか」「元親さんのところの野営食事会に、毛利様も誘われていたんだって。それで、雨が降りそうだから中止になるだろうけど、改良した日輪なら出航できるし、毛利様のところの知略の粋を見せてあげたいから、行く予定だよって。それで、行ったらもてなされるだろうけど、どうせ僕も呼ばれているだろうし、僕の作る潮汁のほうが、元親さんたちの作るものより美味しいから、ついでに乗せて行ってくれるって。濡れたのを乗せるのは嫌だから、迎えの馬車を送るから用意をしておけって」 長い説明を終えた金吾が、手紙を胸に抱いて感激を表す。「良かったですねぇ。金吾さん」「うん。天海様も、用意して!」「おや。私も同道してよろしいのですか」「もともと、天海様も一緒に行く予定だったんだもん。ほら、早く早く。お迎えに遅れたら、毛利様、すっごく不機嫌になっちゃうから」 残りの蒸饅頭も一気に平らげた金吾が、調理に必要なものを入れた竹籠を手にして笑う。「天海様の、言うとおりだね」 何がと問うかわりに、天海は首をかしげた。「きっと僕は、雨の日も美味しいものを手にできるって。天海様の予言通りだ。うふふ。まぐまぐするぞぉおっ」 はりきる金吾を更に喜ばせようとするかのように、見計らったかのような頃合いで、迎えが来たとの知らせが届く。「早く早く、天海様」「おやおや、うふふ。そんなに急いでは、転んでしまいますよ。金吾さん」 二人の去った座敷には、しずしずとした雨音だけが穏やかに佇んでいた。2013/06/19