ソファの上に寝転んで、日よけにタオルを目に乗せて、猿飛佐助はリビングで横になっていた。大学の友人らに「海に行こう」と誘われたけれど、弁丸の世話があるからと断った。こんな暑い日に、わざわざ暑い場所に行く気がしれない。 水着美女は、少し気になるけれど。 しばらくそのまま横になっていると、インターフォンが鳴り響いた。少ししてから、幼い声で「たのもー、たのもー」 と、聞こえてくる。 この声は、徳川の竹千代だな、と思いつつ佐助は起きる気になれず、そのまま横になっていた。すると、小さな足音がタッタッタッと階段を駆け下りて来て、玄関にまっすぐ進んでいく。ドアを開ける音を聞きながら、まずはインターフォンで誰が来たかを確認してからって言っていたのに、と心中で叱りつつ、相手が誰かはっきりとしているので、まあいいかと佐助は寝転び続けた。 暑すぎて、指一本動かすこともおっくうだ。 玄関先で、何やらやりとりをしているらしい。少ししてから、忍ばせているくせに忍べていない、小さな足音が二つ、近づいてきた。「おお。たしかに、眠っているな」 潜めた竹千代の声がする。「佐助は、疲れておる故、静かにせねばなりませぬ」 弁丸も、こそこそと返した。 タオル越しに視線を感じる。飛び起きて驚かそうかと思ってみたが面倒で、そのまま眠ったふりをすることにした。「佐助は、暑さに弱いのでござる」「そうか。元親は、学友と海に出かけて行ったぞ」 竹千代の兄のような世話役、長曾我部元親は海が好きだ。冬でもサーフボードをかかえて、海に行く。そんな彼は、いつでも潮の香りがほんのりと漂っていて、隆々とした筋肉に覆われた姿は、夏を体現しているように見えた。 平たく言えば、暑苦しいんだけど。 思い出すだけで暑さが増した気がして、佐助はもっと涼やかな人の姿でも、と、対照的な毛利元就を思い出す。涼やかな切れ長の瞳。めったなことでは動じない、抑揚の無い澄んで細い、けれど鋭く耳に刺さる声。華奢な体躯。 俺様と同じで、夏は苦手そうだよなぁ。 図書館にこもって、本を読んでそうだなと思いながら、佐助は子どもの視線を浴び続ける。竹千代か、弁丸か。どちらかの立ち位置が、丁度、顔のあたりに影を作ってくれている。「このまま眠っていて、大丈夫なのか」 ひそひそと、竹千代。「日陰を、作ったほうがよいやもしれませぬな」 うむ、と弁丸。トタトタと足音が玄関に移動して、ガゴンガゴンと音が聞こえる。玄関の傘立から、傘を引き抜こうとしている音か。彼らは何をしようとしているのだろう。 小さな軽い足音が、何か――おそらく、傘を引きずり戻ってくる。ぱん、と開く音がして、やはり傘かと思いながら、彼らは何をする気だろうと、佐助は心中で首をかしげた。 ぱん、ぱん、と傘が開く音がして、ごそごそと傘同士がすれ合う音がする。「ひとつは、ここにしておこう」 竹千代の声がしたかと思えば、顔の横に膝が触れて、顔の上にお腹が乗って、ソファの背と頭の間に、傘の柄が差しこまれた。「うん、これでいい」「それでは、このお館様の傘は、お腹の所にござるな」 ソファの背と脇腹の間に、傘の柄が差しこまれた。「弁丸の傘は、隙間に乗せておきまする」 佐助の瞼の裏にあった赤味が、完全に消えた。 傘で、日陰を作ってくれたのか。 子どもなりに、佐助の事を心配してくれたらしい。胸の奥がくすぐったくなった佐助は、音が漏れぬように忍び笑った。「これで、安心でござるな」 満足そうな、弁丸の声がする。「ああ。これで、太陽にやられてしまわないだろう」 自信ありげな声の竹千代に「竹千代殿。のどが、渇いてはおられませぬか。麦茶など、いかがでござろう」「それは、ありがたいな」 椅子を引きずる音が、台所へと向かっている。弁丸の身長では、上にある冷蔵庫の扉を開けて麦茶を取り出すのに届かない。「手伝おうか」「大丈夫にござる。お客人は、座って待っていてくだされ」 いっちょまえに、竹千代をもてなす気でいるのかと、佐助はなんだかおかしくなった。その光景を見たい気もするが、せっかく日陰を作ってくれた気持ちを早々に無にするのも、気が引ける。 ピンポーン、とインターフォンが鳴り響き、椅子を引きずる音が止まった。「Hello! May I come in?」 続いて聞こえた声に「梵天丸殿でござるっ」 嬉しそうに声を弾ませて、弁丸の足音が玄関に向かった。 いずれは伊達カンパニーを継ぐからと、幼いころより英語を教えられている梵天丸は、日本語と英語を交えて会話する。どっちが母国語かわからなくなるんじゃないかと、佐助は少し小生意気な彼の事を心配していた。 何やらぼそぼそと話をした後に、二つの足音が近づいてきた。「ああ、梵天丸」「よぉ、竹千代」「片倉殿がお忙しい故、遊びに来られたそうにござる」「猿んとこなら、アイツも心配しねぇだろうし。どうせ、家にいるだろうとは思っていたんだが。これは、どういう状況なんだ? 傘から、足が生えてやがる」 上半身を傘で覆われた佐助に、梵天丸が呆れているらしい。「佐助が、太陽に負けてしまわぬように、日陰を作ったのでござる」 得意げに、弁丸が答えた。胸を反らす姿が瞼にありありと浮かび、佐助は奥歯を噛みしめ、笑いを堪えた。「竹千代殿も、手伝ってくれ申した」「いや。ワシは何もしていない」 この幼さでその遠慮深さは感心するが、少し可愛げがないな。と、佐助が思った矢先に「More than that。のどが渇いちまった。なんか、もらえねぇか」 梵天丸が要求して、これはこれで可愛げがないなと、佐助は鼻から息を漏らした。「おお。そうであった。竹千代殿に、麦茶を出そうと思うておったのでござる」 弁丸が再び、椅子を引きずり始めた。引きずる音が止まり、冷蔵庫を開ける音がして、がちゃがちゃと食器がぶつかり合う音も聞こえた。ちゃんと取り出せるかと、佐助はハラハラしながら音を聞く。「よ、と。梵天丸殿。これを」「Ah」 どうやら、ちゃんと取り出せたらしい。ほっとした佐助の耳に、冷蔵庫を閉める音と、弁丸が椅子から下りる音が届いた。そしてまた、椅子を引きずる音が聞こえて、かちゃかちゃと食器の擦れる音がする。「竹千代殿。ふたつ、コップを受け取ってくだされ」「わかった」 人数分のグラスを出していたらしい。 三つの小さな足音が、佐助の傍に集まってくる。ソファ前のローテーブルで、お茶をするらしい。どうぞと注ぐ音が聞こえ、そろって麦茶を飲んでいる気配が伝わってくる。「ぷはっ」「ああ、うまいな」「ふう」 一気に飲み干したらしい。また、注ぐ音がした。「佐助が眠っておりまする故、菓子のありかが、わかりもうさぬ。もうしわけござらん」「ああ、気にするな、弁丸。おやつをもらいにきたわけじゃない」 どこまでも控えめな竹千代に「Ah? わかんねぇなら、探せばいいじゃねぇか」 梵天丸が、言葉をかぶせた。「それは、なりませぬ! 勝手にそのようなことをすれば、佐助は……」 言葉を途切れさせた弁丸に「そんなに怖いのか?」 竹千代が問い「HA! 情けねぇ」 梵天丸が鼻で笑った。「梵天丸殿は、片倉殿に怒られるのは、怖くはござらぬのか」「うっ」「某は、佐助に怒られるのは、嫌にござる。佐助が、鬼のように見えまする」 そんなふうに思っていたのかと、佐助は叱られ怯える弁丸を思い出した。「なれど、普段はとっても優しゅうござる。佐助の作る御飯は、とってもとっても、おいしゅうござる」「ワシも、前にいただいたが、美味しかったな」「Ah、たしかに旨かった」 それに弁丸は得意になったらしい。「佐助の作る菓子も、美味にござるぞっ」 自慢げな声に、佐助は面映ゆさに唇をもじもじと動かした。「ケーキも、クッキーも、団子も、なんでも佐助は作れるのでござるっ」 なんでもではないけど、と心中で返しながら、子どもからすればそう見えてしまうのだろうと自己で納得する。佐助は今朝、暇だったので作り冷蔵庫に入れておいたババロアを、いつ出そうかと考えた。 どのタイミングで起きれば、自然に思われるだろう。「佐助が起きれば、きっとお二人に馳走すると思いまする。今朝、なにやら作っておりましたゆえ」「食いたいんなら、起せばいいじゃねぇか」 梵天丸が言って「疲れているのなら、起したらかわいそうじゃないか」 竹千代が止めた。 いったい、元親はどんなふうに竹千代に接して、いろいろなことを教えているのだろうと佐助は元親を思い浮かべる。どちらかというと粗野で、けれど人の心情に聡い快活な彼も、豪快さに隠れているだけで、竹千代のように遠慮がちな性格なのだろうか。となれば、梵天丸の養育をしている片倉小十郎は、大人の気遣いや振る舞いの奥に、無遠慮な部分を持ち合わせているということか。 子どもは、世話をする人間の鏡だと言う。だとすれば、弁丸はどうなのだろう。「しかし。猿はこれで大丈夫なのか」「と、申されますと?」「暑さ対策に、日陰を作るってなぁ、いいと思うけどな。それだけで大丈夫なのかって、言ってんだよ。ネッチューショーとかいうのに、寝ている間にかかって死んじまうジィさんとか、いるらしいぜ」「ねっ、寝ている間にっ」 あわてた弁丸の声がしたかと思えば、傘が揺り動かされて瞼の裏に赤みが差した。顔を覆っていたタオルが剥がされて、三つの視線を感じる。 俺様は若いから、大丈夫だとは思うんだけど。ていうか、ヤバイと思ったら事故対策出来るから。なんて心の中で言ってみても、子どもたちには伝わらない。「顔色は、悪くなさそうだな」 と、竹千代の声。「だが、用心をしておいた方が良い」 とは、梵天丸。「さっ、佐助ぇ」 情けない声を上げたのは、弁丸だ。 ここで目を開けて、大丈夫だよと言えばいいのだろうが、それでは面白くない。もうしばらく、子どもたちが何をしでかすのか様子を見てみることに、佐助は決めた。「ネッチューショーってのは、冷やせばいいらしいぞ」「冷やす?」「体んナカが熱くなりすぎて、死んじまうらしい」「ならば、冷やそう! 弁丸。氷はあるか」「ございまするっ」 椅子を引きずる音が聞こえて、冷蔵庫―おそらくは、冷凍庫を開ける音がした。「氷、たくさんありまする」「よし、それで佐助殿を冷やそう」「さっき、猿が顔にかけてたタオルで、氷をくるんでやれば、いいんじゃねぇか」「そうでござるなっ」 子どもたちが何やらごそごそとしはじめる。 足音が近づいてきて、顔面いっぱいに硬いものが押し当てられた。少しの間を置いてから、ひんやりとしてくる。タオルに氷をくるんで、乗せられたらしい。「これで、佐助は安心でござるな」「まだ、他にタオルはあるか」「まだ冷やすのか? 梵天丸」「Ah。テレビで観たが、冷やすのは一か所じゃ、駄目らしい」「氷、まだまだありまするっ」 ばたばたと足音が離れて、再び冷凍庫が開く音がして、足音が戻ってきたかと思うと、今度は股間が冷やされた。「頭と、脇と、足の間を冷やすらしいからな」「わかりもうした」「これでいいか、梵天丸」 両脇の上にも氷を包んだタオルが乗せられて、なんだか妙なことになってしまったぞ、と佐助は冷やされながら考える。 さて、どうしようか。 三つの視線が注がれている。梵天丸と、竹千代と、弁丸。 しばらくじっとしてから、佐助は両腕を持ち上げて「ああーっ」 起き抜けの声まねをして、身を起こした。「佐助っ」「猿」「佐助殿っ」 同時に、三つの声がかけられた。「ああー。なんだか、頭が痛かったのが、スッキリしちゃったなー。ひんやりして、気持ち良かったなー」 言いながら、ちらりと横目で子どもたちを見れば、強弱の差はあれど、安堵の表情を浮かべていた。子どもたちの中で、氷を用意している間に佐助は熱中症患者になってしまっていたのだろう。「あれ? 氷? 三人が、用意してくれたんだ。ありがとね」 今気づいた顔をして、にっこり笑ってみせれば、梵天丸は照れを隠して唇を尖らせ、怒ったような顔をする。竹千代は控えめに、嬉しそうに微笑んだ。そして弁丸は「佐助ぇ」 ぎゅっと佐助にしがみつき、顔を覗き込んで目を潤ませている。「あはは。大丈夫だよ。三人のおかげで、すっかり元気になっちゃったなー。お礼に、美味しいものをご馳走しようかなー」 きらり、と子どもたちの目が光った。それに微笑み立ち上がり、佐助は冷蔵庫の奥に冷やしておいたババロアを取り出した。「じゃーん! 俺様特製、フルーツババロア」「おおっ! 美味しそうにござるぅうっ」「キラキラしていて、綺麗だな」「Fruitが、閉じ込められてやがる」 三人の感歎の声を聞きながら切り分けて、テーブルに並べた。「さあ、どうぞ」「いただきます」 三つの小さな手が揃えられ、異口同音に挨拶をした口にババロアが吸い込まれていくのを眺める。「うまいな、佐助!」「美味しいな!」「Yummy!」「やわらかいものだけど、ちゃんと噛んで食べるんだよ」 頷きつつ、夢中で食べる三人を眺めながら、夕方になったら元親と小十郎に、この話をしてやろうと佐助は頬を緩めた。「帰る時に、竹千代と梵天丸には、お土産で持たせてあげるからね」 食べ終わったら昼寝をさせて、その後は何をして遊ぼうかと、佐助は三人の座敷童の頭を順番に撫でた。2013/08/10