絆、絆と言いながら、自分の絆はどうするつもりだ? アンタ。 恋し恋しと五月蝿いセミの声が、熱を残して漂っているような蒸し暑い夜。ぼんやりと月を眺めている徳川家康の寝所に、伊達政宗がふらりと現れた。「よぉ」 口の片側だけを持ち上げた政宗の挨拶に、にこりと家康が目を細める。「ああ。なんだ、眠れないのか?」 眠れないのは、アンタだろう? 胸の裡で語り掛け、政宗は家康の横に座した。「こう蒸し暑いんじゃあ、ゆっくり眠れやしねぇ」 大気に毒づく政宗に、家康は月に顔を戻す。しらしらと輝く月光を受ける家康の横顔は、泣いているように見えた。 政宗も、月に目を向ける。 昼間、連絡があった。長曾我部元親が、石田三成と同盟を組んだ、と。 あの時の家康の動揺を思い出し、政宗はそれと知られぬように嘆息する。 絆、か。 口の中で呟き、目を細めた政宗の脳裏に失われた笑みが次々に浮かぶ。政宗が天下を取ると信じ、文字通り命を懸けて支えてくれた男たち。そして、その男たちを取り囲む無数の人々。直接、戦に出ずとも領内の、政宗を戦へと見送る者の思いは細い糸となり、真っ直ぐに伸びて政宗に絡んでいる。それらをすべて身に纏い、泰平へと駆けている自分は、なるほど家康の言う『絆』を大切にしている、となるのだろう。 そして俺は、その『絆』を、ここに到達するまでに無数に失った。 そして、失うのと同じように、相手の『絆』を竜の爪にかけ、断ち切ってきた。 家康。アンタは――。 武器を捨て、不殺の拳を強く握り、天下を目指す。 そっと、政宗は家康の膝上に乗せられている手を見た。 開いてる、な。 心中で呟いた政宗は、自分の唇がほころんでいることに、苦笑した。家康が、それに気付く。「? 楽しそうだな」 笑みが地顔であるかのように、穏やかさを崩さぬ家康の鼻先に、拳を突き出す。首をかしげた家康に、その手を開いて見せた。「たなごころ、だ」「たなごころ?」 手を下ろした政宗が、月に目を戻す。家康を太陽と比喩する者たちが、月に例える男を思い出し、記憶の中の彼を見つめた。「石田、三成」 つぶやけば、家康の気配がわずかに強張った。気付かぬ風を装い、政宗は月に向かって手を伸ばす。「たなごころ」 大きく手を広げ、指ごしに見える月は掴めそうで「Ha」 拳を握った政宗は、自分を鼻で笑った。「たなごころ」 家康がつぶやく。顔を向ければ、自分の手のひらをじっとみつめ、ゆっくりと月に向かって手を伸ばした。「たなごころ、か」「Ah、そうだ。たなごころ、だ」 政宗も、再び月に向かって手を伸ばした。その手を動かし、家康の手を握る。きょとんとした家康に、歯を見せて悪童の顔となった政宗が立ち上がり、家康の腕を引き立ち上がらせた。「政宗?」 わけがわからぬまま、うながされて立ち上がった家康の手を握り締め、鍛え抜かれた分厚い胸を軽く叩いた。「武器を捨てても、拳を握っていちゃあ、こうして手を繋ぐことも、出来やしねぇんじゃねぇか? 家康」 見る間に大きく目を見開く家康の手を離し、政宗は腰に手をあて皮肉げに首をかしげた。「You put a heart on the palm and bump it. What is left on the opened hand afterwards? I catch what」「えっ」「じゃあな、家康。おやすみ」「あ、待ってくれ。今、なんて言ったんだ」 伸ばされた家康の手が、政宗の袖を掴んだ。立ち止まり、肩越しに振り向き、政宗がニヤリとする。「そうやって言いながら掴むにしても、開いてなきゃあ、どうしようもねぇよな」「えっ」「武器を捨てて、絆で天下をどうこうするって言うんなら、そうしようとしているアンタが、絆を掴むために、拳を開いておかなきゃいけないんじゃねぇか」 はっとした家康が、政宗の袖から手を放した。「ワシは……」 目を泳がせ、途方に暮れた顔を笑みで隠し、強がりを押し通そうとする家康に、手のひらを見せる。「こうやって、手の内をさらけ出せる相手が、ここに一人ぐらい居ても、いいと思うんだがな」 石田三成を、赦そうと思ったわけではない。彼との決着は必ずつけると、政宗は思っている。それと同じように、家康にとって三成は、失いがたい『絆』であることも、認識していた。政宗の見えぬはずの右目に、赤い影が浮かび走る。眼帯がチリリと焦げたような熱を発し、すぐに錯覚だと心を鎮めた。「独眼竜。ワシは、ワシは」「絆で俺と繋がりたいんだろう? だったら、通り名で呼ぶのはCoolじゃねぇな」「っ! あ、ああ。そうだな。――政宗」 ぎこちなく、家康が名を呼んだ。にやりとした政宗が、促すように手のひらを動かす。そこに、家康が開いた手を打ち当てた。 小気味良い音が、夜気に響く。「たなごころ」 家康が微笑み「ああ、たなごころ、だ」 政宗が笑い返す。 互いの手を握り締め、二人は吹き出し、腹を抱えて笑い転げた。「あはは、ははははは」「ふっ、く、くく、ははは」 ひとしきり笑い終え、余韻を唇に漂わせた政宗が「じゃあな。Have a good dream」 ひらりと手を振って去っていく。「ああ、おやすみ。政宗」 去り行く政宗は、満足げに唇をゆがませていた。 たなごころ。手の心。――アンタはそこに何を乗せ握り締めて、相手の心にぶち当てるんだ?「生半なモンじゃあ、あの石田には、届きそうには見えなかったぜ」 政宗の呟きは月光に溶け、宙を舞う。 開いた拳で何を求め、何を掴む――?2013/08/14