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>元親
 岩肌に背を預け、薄く瞼を閉じながら時折口元に盃……と言うよりは椀と言ったほうがしっくりくるものを運ぶ元親の元へ、文字通り転がりこんできた男が居た。
「んぁ? 一体どうし――」
 言い掛けた彼の肩を掴み、ガクガクと揺さぶりながら、恐怖に引きつった顔で男が口を開く。
「こっ、こここここ」
「…………てめぇは何時から鶏になっちまったんだ」
「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆ」
「……………温泉でも、湧いてたか」
 ぶんぶんと大きく首を振る相手に、怪訝な顔をして首を傾げる。すると、もう一人叫びながら男が現れた。
「こ、恋怨幽霊が出たぁああああ!」
「こいうらゆーれぇええ?」
 言って、先ほどから元親の肩を掴んでいる者を見ると、ぶんぶんと今度は縦に首を振る。手にした椀を置き、軽く手を叩いて男に肩を放すよう促し座り直した元親の前に、男二人がきちんと正座をする。
「で?」
「と、とうとうこのあたりにも出たンすよっ」
「噂じゃ、向こうの方にしか出なかったのに!」
「兄貴、どうしよう」
「取りつかれちまったら…………」
 兄貴、と元親を呼ぶ男たちは、明らかに彼より年上なのだが、元親の元に集まるもの達は彼のことを尊敬と親しみを込めて“兄貴”と呼んでいた。元親自身もそれを望み、多くのもの達の一人一人に声をかけ、笑いかけ、多くの上に立つものが些末と取り合わないような事柄であろうと真剣に向き合う。だからこそ、皆安心と期待を持って、どのような事柄でも彼の耳に届けてきた。それほど大切にしている者が、目の前で怯えている。それを放置出来る訳がない。
「よし、みんなを集めな。他にも見た奴が居ねぇか、話を聞こうじゃねぇか」
 すっくと立ち上がった元親に、男たちは、期待を込めた眼差しで「ヘイ!」と腹の底から返事をした。
 元親の下に集まった面々が言うには、恋怨幽霊とは神と人がまだ共に生活をしていた時代、ある娘が二人の男に求められ、どちらも選べず海に小舟を出して旅立った。その後を追って二人の男も小舟で海へ出たまま、帰らなかった、という話に出てくる人物が海上に現れるというものだった。最初は、小舟を出した海岸の沖合いに出るというものだったのだが、その出没範囲は広がり、とうとう元親らの生活圏にまで現れるようになった、というのである。
「で、具体的にソイツは何をしてくるんだ?」
 元親の問いに、皆が顔を見合わせる。ざわざわとさざめきが起きるも、具体的に何がどうなのかと言う者は一人も居ない。
「なんだなんだ。なぁんもしねぇで出てくるだけの幽霊なのかよ」
 拍子抜けした顔で元親が言うと、モゴモゴと口を動かしたり尖らせたりする者が居る。
「長兵、どうだ。新太は? 権七郎」
 一人一人、目についた者の名前を言っていくが誰も何も言わずに目を背ける。それでも根気よく名前を呼び続けると、すっくと立ち上がった者が居た。
「又左」
 又左と呼ばれた男――というより少年が、きゅっと唇を引き結び元親を真剣な眼差しで見つめる。元親も、彼に負けないくらい真摯な顔で頷いてみせる。
「得体の知れねぇもんは、うすら寒くていけねぇんです」
 彼の言葉に数人が頷いて、先ほど名前を呼ばれても何も言わなかった面々が立ち上がり、口を開く。
「何より、女子どもが恐がっていけねぇ」
「そういうテメェが一番ビビってんじゃねぇのかよ」
「いつか悪さをするかもしれねぇし」
「なんとかしてくだせぇ、兄貴」
「兄貴」
「アニキ」
 腕を組み、思案するような元親に、期待と不安の眼差しが注がれる。しばらくして――
「よぉし、わかった!」
 膝を叩き、元親が立ち上がる。
「俺たちの庭に入って来たんなら、挨拶ぐれぇするのが筋ってもんだ! ちょっくらソイツに会いに行ってみるか」
「うぉおおおおおおお!」
 元親の言葉に、皆が顔を輝かせ、誰からともなく恒例のアニキコールが沸き起こる。ひとしきりコールをうけ、満足げな笑みを浮かべた元親が次に発した言葉に、人が入った虫が鳴く秋の草むらのごとく、ピタリと声が止む。
「で、付いてくる奴ァ誰だ」
 一斉に口を閉ざし、俯く。
「おいおい、まさか海の男ともあろう者が、幽霊ぐれぇにビビって船に乗らねぇとか言うんじゃねぇよな」
 返事がない。
「おいおい…………」
 ボリボリと後頭部を掻く。これは一人で船出をするしかないかと思った矢先、一人の男が立ち上がる。
「オレぁ行きますぜ! 幽霊なんかにビビってちゃ、鬼と呼ばれるアニキについてなんて行けねぇや」
 グッと拳を握る男の言葉に、口の端を引き上げる。
「この世で一番強い男は誰だ?」
「アニキ!」
すかさず全員が答える。
「この世で一番イケてる男は?」
「アニキ!!」
「この世で一番海の似合う男は?」
「アニキ!!」
「テメェら、鬼の名前を言ってみろ!」
「モ・ト・チ・カァアアアア!」
 うぉおおおおおおおという唸りと共に、再びアニキコールが沸き起こる。
「オレも行きやすぜ」
「オレだって!」
「うぉおお! 地獄にだってお供しやすッ!」
 コールの合間に聞こえる声に、元親が頷く。よぉし、早速準備に取り掛かれ、と誰かが言い、我も我もと先ほどまであんなに行きたがらなかった面々が、幽霊への挨拶参りの準備を始めた。
「よし、出るってぇ場所を中心に、深夜の航海と洒落込むぜ!」
「うぉおおおおおおお!!」
 結局、ほとんどの者が同行する事となった

 海は凪で、月は静かに水面に映る自分を眺めている。不気味な位穏やかな夜の海を、元親らを乗せた船はゆっくりと進んでいた。船を出してからどのくらいの時間が経ったのか。退屈しはじめた者が、夜釣りを楽しみ始めたり、博打を始めたりと、幽霊云々は思考の彼方へ行ってしまっていた。元親自身も、海へ目を凝らし続けるのにも飽き、あまりにも平坦な時間に欠伸を噛み殺す。挨拶に行くと言っても、確実に会える場所があるわけではない。これは意外に骨が折れる問題かもしれないと思い始めていた。最初から、元親はこれを必ず解決しなければいけない問題だとは思っていない。しかし、夢でも見たんじゃないかと言うのは簡単すぎて、自分に訴えてきた者に対して失礼な気がした。それに、噂というものは何かしら出どころがあるはずで、これほど広まるということは、幽霊では無かったとしても見間違うような何かがあるということだ。元親はそう思い、船を出すことを決めた。
「アニキ」
 呼ばれ、見ると手に瓢箪を持った又左がそれを差し出している。
「お、すまねぇな」
 受け取り、口をつける。
「すんません、アニキ……こんな、つまんねぇ事にアニキの手を煩わせちまって」
 うなだれる彼の背中を叩き、笑って見せる。
「おいおい、んなシケた面すんな。見ろ。月は綺麗だし、夜釣りは好調みてぇだし、たまにはこういうのも悪くねぇ」
「アニキ…………」
「情けねぇ顔してんじゃねぇよ」
 ぐしゃぐしゃと又左の頭を乱暴にかき回す。照れくさそうに笑った。和やかな雰囲気に、少し休むかと声をかけ、彼の酌で呑みはじめるとイカが釣れたと持ってくる者が居る。それならオレはこれを釣ったからと魚を手にする者がくれば、捌くのは任せろと小刀を手にした者が言い、いつしか宴会の様相になる。たまにはこんな夜も悪くない、とすっかり気持ちをくつろがせた元親の耳に、緊張した声が届いた。
「アニキ! あれっ……」
 一人が気づき、立ち上がって指さす方向へ目を向ける。ほかのものも続き、船のヘリに走りよる。目を凝らすと、霧が出始めた。
「チッ」
 悪くなる視界に舌打ちをするが、霧が凝り固まった場所があることに気づき、元親は小舟を用意するよう促した。
「俺一人で行く。テメェらは、この船を守れ。いいな」
「そんな、アニキ」
「オレも一緒に――」
「大丈夫だ。ちょっくら様子を見てくるだけだからよ。それとも、この鬼がどうにかなるとでも思ってんのか」
 元親の問いに、皆首を振り小舟の用意をする。それに乗り込み、元親は一人ごちた。
「得体の知れねぇとこに、連れてけるかよ」
 皆を守るのは自分だと自負している。様子見だからといって、見たことも無い現象へ彼らを送る気も、連れて行く気も無い。心配すんなと言い置いて船を漕ぎ出すと、飛び移ってきた者が居た。
「おわっ……っぶねぇな」
「へへ。アニキ、お供しやす」
 乗ってきたのは又左で、動きが軽いことを自慢しているだけあり、普通のものでは躊躇するような行動を平気で行う。
「一旦引き返してオイラを置いてこうなんて思わねぇでくださいよっ。そんなことして逃がしちゃたまんねぇッス」
 無邪気に笑う彼に、笑顔でため息をつく。
「仕方ねぇ。んじゃ、いっちょ幽霊の顔でも拝みにいくとするか」
「へいっ! アニキ」
 言うが早いか、又左が漕ぎ始める。元親はまっすぐ、霧の凝り固まった場所へ眼を向けた。
 ゆっくりと、小舟が霧に包まれていく。視界が白く染まり、一寸先すらも見えない。まっすぐに進んでいるのかどうかさえもわからなくなる。
――こりゃ、来て正解だったかもな
 こんな状態の場所があれば、船が迷うことになる。原因が解明される、とまではいかなくとも何がしかの収穫はあるはずだ。そう思い、しっかりと目を凝らしていると、ふいに霧が晴れた。否、正確には霧の塊の中心に出た、といったほうがいいだろう。雲のように霧が壁になっているその場所は、けっこうな広さがあり夜空もきれいに見える。又左の姿もしっかり見える。が、外の姿が何も見えない。
「どういう事でぇ、これは……」
「アニキ! あれっ!!」
 つぶやく元親に、鋭い又左の声が被る。又左の指す方を見ると、ゆらゆらと何かが海面を漂っている。遠目に人のように見えるそれに、元親は腕組みをした。
「よし、行くぞ」
「へっ、へいっ!」
「ンだ? ビビったか」
「ちっ、違いやすっ。武者震いでさ」
 声の裏返った彼に言うと、強気な返答が返ってくる。それにニヤリと笑って頷くと、小舟が漂うモノの方へ進みだした。
 近づくにつれ、漂っていたものは、柔らかそうな薄絹を纏った女だということがわかる。空を見上げた格好で、海面に浮いている。元親らが近寄っても、振り向きもしない。うんと近くまで小舟を寄せてから、浮いてる女に声をかける。
「おい」
 女が、ゆっくりと元親に顔を向ける。今にも涙をこぼしそうな瞳をまっすぐ見つめ、言う。
「アンタ、こんなところで何をやってんだ」
 目を伏せ、唇を薄く開くも、女は何も言わない。
「しゃべれないのか、聞こえないのか。どっちだ」
 女が首を振る。
「じゃあ、なんだ。この霧はアンタがしてんだろ。これで迷って沈む船が出るかもしれねぇからな。この鬼の目の届く範囲で、そんなことになっちゃあ困るんだ」
 女が首をかしげ、つぶやいた。
「……鬼?」
「おうよ。俺は長曾我部元親。アンタは」
「菟原処女」
「うない、おとめ……。変わった名だな。で、なんでアンタはこんなところに居るんだ」
 ふっと顔を背け、菟原処女の瞳が遠くを見つめる。
「ウワサでは、アンタは二人の男に言い寄られて逃げたって話じゃねぇか。それがなんで、こんなところに居るんだよ」
 彼女は首を振り、顔を両手で覆う。
「どっちも嫌いだったのか? それとも、好きな奴が他に居たのか」
「いいえ、いいえ」
「じゃあ、何だ」
「私のために、争いが起きました。私のために、あの方は大切な水鳥を、射抜くことになりました」
「はぁ?」
「愛してはいけない方なのに――」
「――あのさ、俺はさっぱりわかんねぇんだけど」
ボリボリと首を掻いて、少し考える。
「あぁ、何だ。二人の男に求婚されて、片方のことが好きだったけど、そっちは選んじゃいけねぇ相手だったってことか」
 わずかに、菟原処女が首を縦に動かす。
「ふうん? まぁ、そういうの、わかんなくも無ぇけどよ」
「――貴方も、そのような想いを?」
「あぁ、いやそういうんじゃなくてな。家とかなんか、釣合いとか同盟とか面倒くせぇのがあったりすんのがって話だよ」
 顔をしかめながら全身で苦手を表す元親に、菟原処女が首をかしげる。
「まぁ、何だ。アンタの立場がどうだったとか、細けぇコトは知らないし、アンタのことも、男のことも俺ぁ分かンねぇけどよ」
 鼻の頭を掻いて、言いにくそうにする元親の顔を、彼女が見つめる。
「死んじまったら、立場とか関係無ぇだろうし。アンタの事おっかけてソイツもおっ死んじまったんならさ――こんなとこまで来てそんな顔してるより、戻って待つか、探すかしたらいいんじゃねぇか? 男がアンタ探しているかもしんねぇしよ」
 はっとした顔をして、目を背ける。迷う表情に、元親が背中を押した。
「死んじまってまで、そいつのことが気になって仕方無ぇなら――死ぬ覚悟があるくれぇなら、ぶつかってみろよ」
 彼女は、うつむいたままで何も言わない。
「アンタらの話、噂話程度では聞いたから合っているかどうかわかんねぇけどよ。そこまでホレ込まれてんなら、死んでも男はアンタを探しているとおもうぜ? 一度決めたお宝は、逃がしたくねぇしな」
「――おたから?」
「ソイツらにとっちゃ、アンタはお宝なんだろ。命かけてもいいくれぇのお宝なら、俺なら地獄に行っても掴み取るぜ」
 自信満々に胸を張り、少し首をかしげて不敵に笑ってみせる元親に、彼女は初めて小さく笑みを浮かべた。
「おたから――」
 つぶやき、両手を胸に当てて目を伏せる。
「そういう顔してるほうが、アンタ、ずっといいな」
 からかう口調の元親に、もう一度笑みを浮かべた菟原処女の体がゆっくりと溶けて行く。それと共に霧も晴れていき、ウソのように視界が晴れて元親らが乗ってきた船も見えた。
「――よく、わかんねぇんスけど、成仏、したんスかね」
「さあな、どっかで男と落ち合ってんのかもな。ま、とにかくだ。解決したみてぇだし、帰って祝杯でもするか」
「ヘイッ! ――しかし、女がお宝とは、アニキも言いやすね」
「あん?」
「アネゴってことになるんスよね」
「何がだよ」
「アニキのお宝っス! どんな女なんスかねぇ」
ニヤニヤ笑う又左に、得意げな顔で元親が言う。
「そりゃあ、天女も嫉妬するぐれぇの女に決まってんだろ」
 その後、又左の誇張した話からどんどん尾ひれ背びれがついていき、元親は幽霊も惚れるくらいのイケてる男として、皆の尊敬の眼差しが更に強まったとかいないとか――――。


おわ、る?
2009/07/12



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