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元親と光秀
  月の姿が見えない夜。海面にゆらめく星を肴に、元親は酒を呑んでいた。潮の香りに包まれながら、一人岩場で過ごしている。気掛かりがあるとか、感傷に浸っているとか、そういうものではなく唯外で呑みたかった、というだけらしい。
 船乗りには歓迎されない凪の海面に散る星は、月のいない今宵こそと自らの存在を示している。
「いい、月夜ですね」
 背後から声がかかり、ゆらりと空気が動く。声の主を見ないまま、元親は応えた。
「俺には、月は見えねぇけどな」
「だからこそ、ですよ」
 喉の奥でかすかに笑う音がする。元親は首を動かし、声の主を見た。
「珍しいな、光秀」
 目を細めた明智光秀が、元親の横に立つ。
「近くまで、来たものですから」
 大きく横に体をかしげて元親を見る姿は、人ならざるものにしか見えない。流れた髪が岩に落ちるのを、銀糸の雨が集まっているようだと、元親は思った。
「そんな、みょうちきりんなカッコしてねぇで座れよ」
 体をかしげたまま膝を折り、隣に座った光秀に呆れと感心を込めた目を向ける。
「器用だなぁ」
「それほどでも、ありませんよ」
 白い、というより血色が悪いというほうが合いそうな光秀を見て、死神と称されているのを思い出す。月の無い夜でも淡く光るように存在を現す彼は、そう見えてもおかしくはないのかもしれない。
「――――何か、ありましたか」
 気にされるほど、長く見つめていたらしい。
「ああ、オマエが死神って呼ばれてんのを思い出したんでな」
「死神に、見えましたか」
「そうやってると、見えなくもねぇ」
「では、鬼と死神が居るこの場所は、地獄――――なのでしょうね」
「違ぇねえ」
 豪快に笑う元親に、眩しそうな顔で光秀が笑む。
「しかし、またずいぶんと陰気くささが増したなぁ」
「そうですか?」
「おお。織田信長んとこにいたら、陰気くさくなっちまうもんなのか――――いや、最初から陰気くさかったな」
 そうだったそうだったと呟きながら酒を呑む元親に、気を悪くしたふうでもなく、失礼な人ですねと返す。
 二人の視線は、海に動く。岩に当たる部分は、わずかに白くあわ立っているが、そこを見なければ静止しているようにしか見えない海。沈黙をしている姿に、時も刻むのを止めている錯覚が起こる。
「――――静か、ですね」
「今夜は、特にな」
「流石の海も、鬼と死神に見つめられると、おとなしくなるのでしょうか」
「俺が暴れるのに力を貸すために、休んでんだろ」
「――――クックッ。面白い方ですね、貴方は」
「西海の鬼にいちいちビビっておとなしくなるなんざ――――あぁ、そんだけ海も俺を認めてるって事だな」
「海も、ですか」
「かわいい野郎どもみてぇに、俺の名前を呼べないかわりに波でなんかこう、してんだろ」
「――――安心させているだけで、海が、噛み付いてきても知りませんよ」
「そんくらいの気概が無ぇと、つまんねぇだろ」
 ニィッと笑って見せる。
「――――此処を攻めるには、海も斬らなくてはいけないようですねぇ」
「なんだ、攻めてくんのか」
「信長公は、京にいらっしゃいますからねぇ」
「ふうん」
 ぐびりと喉を鳴らして酒を呑む元親を、面白そうに見つめる。
「興味、無さそうですね」
「あるにはあるが、今は関係ねぇだろう」
「これでも、織田軍の武将なんですが」
「他の奴が来ていたら、殺りあってんだろうがな」
 元親の言葉に目を丸くした後、光秀が体を折って笑いだす。
「クックックッ――――はっ、あはっ、ハッハハ」
「何だよ、気持ち悪ぃな」
「フフッ――――あぁすみません、貴方があまりにも――――クックックックックッ」
 笑いのおさまる様子の無い光秀に、怪訝な顔を向ける。
「何か、そんなに面白いことを言ったかよ」
 笑いすぎな感がある光秀に、問うてみた。
「ああ、いえ何も――――大丈夫ですよ。――――――ふぅ、ああ…………貴方は本当に、いい男ですねぇ」
「? 何を今さら」
「そうでした――そうでしたね。貴方は、いい男ですよ。それを今、再確認した所です」
 首を傾げながら、問うのを止めた元親に微笑みかける。
「一口、いただけますか」
「遠慮すんな」
 徳利を渡すと、勢いよく光秀がそれを煽る。
「――おいおい」
 口から溢れて流れた酒を拭いながら、徳利を返す光秀。徳利は、ずいぶんと軽くなっていた。
「遠慮をするな、と言ったでしょう」
「や、それは別にかまわねぇんだけどよ」
「心配をしてくれているんですね。優しい人ですねぇ、貴方は」
「ぶっ倒れられちゃあ、困るからな」
 クスクス笑いながら、首を傾ける光秀を怪訝な顔をしながら見る。
「変な奴だな」
「死神が普通だなんて、それこそ可笑しいと思いませんか」
「そりゃま、そうだけどよ」
「同様に、鬼である貴方も、相当かわっていますよ」
「――――褒めてんのか、けなしてんのか」
「褒めているんですよ。――――こんな気持ちにさせるのは、貴方くらいですからね」
「どんな気持ちか知んねぇが、まぁ褒められてるってんなら、悪い気はしねぇな」
 軽くなった徳利に口をつける元親を不自然な格好で眺める光秀が、陽炎のように動く。
「――――そういう動き方をされると、この世のモンじゃねぇように感じるな」
「それは、褒めているんですか、けなしているんですか」
 立ち上がった光秀が、元親にされた質問を返す。
「不思議だってだけだよ」
「おや、褒めているとは言ってくれないんですね」
 残念そうに、だらりと腕を落としたかと思うと、それを揺らして残像を残し、光秀の姿が遠くに移る。
「帰るのか」
 答えるかわりに、光秀が笑む。
「信長が攻めてくるってんなら、てめえ相手でも容赦はしねぇからな」
「――――だから、貴方が好きなんですよ」
「はぁ?」
 間抜けた顔で立ち上がり、体を光秀に向ける。
「最後の瞬間に弾ける魂と表情以外を求める相手は、初めてです」
「何をわけのわかんねぇことを…………」
 次の瞬間、光秀の鎌が元親の首にかかった。
「避けられたはずですよ」
「必要ないと、思ったからな」
 徳利に蓋をし、光秀に投げる。
「餞別だ」
「――――貴方は、本当にいい男ですねぇ」
 徳利を受け取り、熱っぽく呟くと光秀は鎌を下ろす。
「次に会うのは、戦場か」
「死神と鬼なのですから、地獄――でしょうか」
「魔王も居ることだしな」
 光秀は、ゆっくりと唇を横に広げる。
「あの人を奪うのは、私ですよ」
 光秀の姿が、闇に飲まれて消える。光秀の居た空間を眺めていた元親が、腰に手をあて鼻を鳴らす。
「――――嵐が、来そうだな」
 呟く彼に、わずかな海風が絡み付いた。


 翌朝、元親の耳だけでなく、天下に大きな知らせが鳴り響いた。
――――織田信長、明智光秀の謀反により絶命



2009/07/31



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