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双竜2
 サァサァと、細やかな音を立てて雨が降る。雨戸を閉めるほどではなく、かといって外に出ようとも思わない程度の雨。それに濡れる庭の横を通り抜け、小十郎は主の下へ向かっていた。
 別段、何か用事があるわけではない。行かなくても、問題はない。だが、ここ最近は雨が続き――彼の畑や百姓にとっては恵みの――時折道場で竹刀を振るってはいるものの、主が退屈をしてはいまいかと、そう思っただけのこと。
「あっ……片倉様」
 政宗の部屋の前で呼び止められ、見ると侍女が酒と肴の乗った膳を持っている。
「申し訳ございません」
 一瞥した彼に、少し怯えたように頭を下げる若い侍女。その姿に苦笑して、応える。
「ああ、いい。何だ」
「あの、政宗様が――」
「政宗様が、どうした」
「酒をと仰られたのでお持ちしたら、もうすぐ片倉様が来られるだろうから、渡しておくように、と」
 小十郎の目が、柔らかく細められる。
「わかった、受け取ろう。ご苦労だったな」
 言うと、侍女は素早く頭を下げて走り去ってしまった。その背中を見送ってから、政宗の部屋に向く。
「政宗様」
「Ya、入れ」
 やりとりが聞こえていたのだろう。静かに襖をあけると、窓をあけ、空を眺める背中が見えた。退屈にいらついている様子などは、感じられない。そっと襖を閉めて、先に一人で呑んでいたらしい政宗が無言で差しだした盃に、侍女に渡された酒を注ごうとし、手が止まる。
「何だ。見慣れてんだろ」
 彼は、眼帯をしていなかった。長い前髪に隠されてはいるものの、僅かに覗いている深い闇に、小十郎は手が止まってしまったのだ。
「だから、侍女を外で待たせていたのですね」
「――そろそろ、様子を見に来る頃だと思ったからな」
 音のないため息をつき、盃に酒を注ぐ。すると、政宗は小十郎の手から酒を奪い、注ぐ素振りを見せた。
「盃を、持っておりません」
「肴の器を見てみろよ」
 塩の盛られた器が、二枚重なっていた。
「たまには、良いだろ」
「――いただきます」
 小十郎の盃に酒を満たし、片方の口角だけを持ち上げ、酒を煽る。それを見てから、小十郎も口をつけた。
「よく降るな」
 窓の外に目を向ける政宗に、つられたように小十郎も見る。
「ええ、よく降ります」
 細く小さな水の針が、優しく天から落ちてくる。無言で眺めながら、政宗は手酌で酒を注ぎ、舌の上で転がす。時折、思い出したように小十郎にも注ぎ、恭しく受ける彼も、ゆっくりと酒を味わった。

 どの位、雨にけぶる景色を眺め、無言の時を過ごしたのだろう。気付くと酒が、なくなっていた。
「ああ、いい」
 肩膝を上げた小十郎を、片手で制す。
「酒は、もういい――――小十郎」
 無言で、応える。
「雨は竜が降らせるらしいな」
「そのような話があるとは、存じておりますが定かかどうかは確かめておりません」
「Ha! 確かにな。俺も、この目で見ちゃいねぇ――だがな小十郎」
「は!」
「俺は、雨を降らせて見せる――天下に」
 静かに、政宗が言う。その目は――光ある目は遠くを見据えていた。
「だから、お前は右目で収まらず、竜玉にもなれ。竜が手に持つ、力になれ」
 顔を向けて、小十郎に言う。瞳を合わせ、小十郎は無言で深く、頭を下げた。
「――――しかし、よく降るな。百姓にとっちゃ恵みなんだろうが、こう降られるとカビが生えてくんじゃねぇかと思うぜ」
 フンッと短いため息をつき、頬杖をついて再び外に目を向ける政宗。
「まぁ、だからこうして眼帯無しで窓、開けてられんだけどよ」
「政宗様、お言葉ですが――百姓にとっての恵みは、我らにとっても恵み。百姓がおらねば、食うに困ります。政宗様は、そのような雨を天下に降らせるおつもりなのでしょう」
「――――まぁ、そうだけどよ。でもな、小十郎……」
「いけません」
「おいおい、俺はまだ何も――」
「よからぬ事を、考えておいででしょう。――――例えば、真田幸村を呼び出し、一戦交えよう、とか」
 確信を持って顔を伺うと、引きつった笑みを浮かべている。やはり、と軽く頭を振り呟く。
「全く、仕方の無いお方だ」
「なんだよ、俺はまだ、そうだなんて言ってないぜ」
「お顔が、認めていらっしゃいます」
 口を開き、何かを言おうとして止める。柔らかな笑みを浮かべ、肩をすくめた政宗が言った。
「――――てめぇにゃ、かなわねぇな」
 無言で、小十郎が頭を下げる。
 空は静かに、いつまで続くともしれない音を、大地に奏でていた。


−了−
2009/07/21



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