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真田主従
  土産に団子を買い、幸村は土手を歩いていた。空は重い色をした雲が覆い、夕刻前だというのに暗い。その下を歩く幸村の足取りは晴れ模様で、軽い。その足がふと、止まった。首をかしげて辺りを見回す。やがて一点に目をむけ、そっと近寄り草むらを覗き込むと驚いた顔をして何かを拾い上げ、屋敷に向かって全力疾走をした。
 遠くから砂塵がどんどん近づいてくるのに気付いた佐助は、首をかしげる。砂塵の中に見える赤い色に、向かってくる者が誰かを認識しながら何事だろうかと思いつつ開門し、彼がそのまま失速せずに中に入ってこれるようにした。
「佐助っ! さすけぇえ!!」
「はいはーい、俺様ここだよ」
 大声で叫びながら入ってきた主人である幸村に、軽い返事を返して姿を見せるとぱぁっと幸村が笑顔になる。
「どうしちゃったの、そんなにあわてて。びっくりする位美味い団子でも見つけた?」
「おおっ! 出来立てをお館様と佐助にもと思い、沢山買って来たでござる」
 ひょいと団子を持ち上げれば、佐助がソレを受け取る。
「ありがたいねぇ。――で、旦那。ソレ、どしたの」
 佐助が指し、はっとして胸に抱えているものを思い出す。
「ああっ、そうでござった! どうすれば良いのでござろう」
 幸村が、そっと見せたそれは小さな毛の塊で――
「とりあえず、洗ってやったらどうかな」
 ひどく汚れた子猫だった。

 ぬるま湯に大人しく、というよりも抵抗する気力の無い子猫は、ノミや目やにをキレイに取られ、佐助の器用に動く手で体を拭かれている。その横で、感心した目で幸村が見守っていた。
「しかし、よく気付いたねぇ。こんな小さいの」
 指先に水をつけて口元に持っていくと、子猫が嘗める。それを繰り返し、そっと水の入った平皿の横に子猫を下ろすと自力で飲み始めた。足に力が入らないのか、顎を皿のフチに乗せた格好で懸命に水を嘗める姿に笑みを浮かべる幸村。
「ささいなことでも見つけるのは、佐助のほうが得意でござろう」
「そりゃま、俺様はお仕事だから」
――そうじゃなくて
「呼ばれた気がしたのだ」
 声に出さない言葉が聞こえたのか、ぽつりと幸村が言う。子猫に手を伸ばし、そっと耳を摘まんでこねると小さく鳴いた。それに微笑む幸村に、軽く肩をすくめて佐助が笑む。
「甲斐の虎んトコにトラネコが拾われてくるなんて、旦那は本当に呼ばれたのかもしんないね」
 佐助のつぶやきは、とても小さく幸村の耳には届かない。しかし子猫は何かを察したのか、佐助に顔を向け小さく声を上げた。
「ん。こやつ、佐助が気になるのか」
「俺様が水をあげたからじゃない」
 適当なことを言う佐助に、ふうんと答えた幸村が傍らに置いていた焼き魚を手にする。身をほぐし、指で摘まんで子猫の口元へ持っていった。
「食えるか――ッ痛!」
 目の前に差し出されたものの匂いを嗅いだ子猫が目の色を変え幸村の指ごと魚に食らい付く。いきなりのことに驚きと痛みで思わず手を持ち上げた幸村の指には、しっかりと子猫の牙が突き刺さり、釣り上げたかのような格好になった。子猫を指にぶら下げたまま、口を四角くして目で佐助に訴える。一瞬驚いた顔をした佐助はすぐに破顔し、そっと子猫の牙を抜いた。
「小さくても、立派な牙を持ってんだなぁ」
 頭を撫でると、子猫が喉を鳴らす。痛そうに指先を見つめる幸村がため息をついた。
「――何か、気に入らぬことでもしたのだろうか」
「お腹すきすぎて、がっついちゃっただけだと思うけど。旦那、掌に乗せてやってみなよ」
「う、うむ」
 魚の身をほぐし、掌に乗せて恐る恐る子猫に近づける。今度は、舌を使い身を掬いながら食べ始めた。あっという間に平らげ、名残惜しそうに掌を嘗める。
「おお、足りぬのか。ホラよし、たんと食え」
 嬉しそうに片手で魚の身をほぐし、子猫に与える。
「うまいか。そうか、そうか」
 必死になって食べる子猫に笑みを向ける幸村に微笑み、佐助が言う。
「んじゃ、俺様は旦那のお土産いただこうかな」
 幸村がはっとして顔を上げる。
「しまった! お館様にお届けしておらぬ!!」
「あぁ、大丈夫。そのへん俺様抜かりないから」
 言いながら、幸村に見せるように広げた団子の包みは、彼が買って来たときよりもずっと少ない。ほっとした顔の幸村が、関心したように言う。
「流石でござるな」
「当然でしょ」
 串を手にして口に運ぶ。
「うまいか?」
「旦那の見立てた団子が、美味しくない訳が無いでしょ」
「そうか、うまいか」
 満足げに頷く幸村の口調が、子猫に対するものと同じで佐助は苦笑する。
「お前も、美味いか」
 必死に食べる子猫は、幸村がほぐし身を乗せようとしているのに避けようとせず、頭上にそれを被る。
「あわてずとも、逃げんぞ」
「旦那そっくり」
「なっ?!」
 子猫の頭に乗った身を取る指が止まる。
「いっつも、お館様に逸るなって怒られてるっしょ」
 一緒いっしょと笑う佐助に、むうと不機嫌な顔をしてみるも反論する言葉が見つからないのか顔を背ける。その様子に喉の奥で笑う佐助。再び子猫の頭についた身を取りはじめる幸村の耳に、突然起こった音が届く。 ――ザァッ
 音が世界を包む。振り出した雨は先触れもなく、突然の激しさを持って現れた。どちらともなく、閉じられた障子の向こうへ視線を向ける。
「すっごい雨」
 障子の向こうが見えているかのような佐助の言葉に、幸村は子猫に視線を戻す。
「あの時――」
「うん?」
「あの時、某があの土手を通らねば……気付いていなければ…………」
「その子、死んじゃってたかもね」
 軽く言う佐助。満足したらしい子猫は、幸村の掌に顔を突っ込んだまま眠っている。そっと抱きかかえ、膝の上に乗せる幸村。
「このように――」
「うん?」
「このように小さな命も――――」
 言葉は途中で途切れ、消える。言葉の名残も雨音がさらってから、佐助がぽつりと言った。
「そうだねぇ」  同意とも、考えを伝える前の言葉とも取れる言葉。二人の視線を受けて、子猫はすやすやと眠っている。沈黙を流す雨音を聞くともなしに聞いていると、佐助がふわりと立ち上がった。
「さて、と」
 顔を上げた幸村に笑いかける。
「俺様、そろそろ戻るわ。旦那もそろそろ休みなよ。団子、ごっそーさん」
 言葉終わるか終わらないかのうちに、佐助の姿が消える。残された幸村は、そっと子猫の頭に手を被せ、微笑んだ。

 日が昇る前――この世で一番暗い夜明け前。幸村の部屋からかすかな物音が聞こえる。佐助はそっと近づいて、襖を引っ掻く子猫の傍にしゃがんだ。
「ずいぶんと、早起きだねぇ」
 指先で喉をくすぐると、子猫が目を細める。が、すぐに指から離れ、襖を引っ掻きながら訴えるように佐助に向かって声を上げた。
「ん?」
 ちらりと幸村を見ると、ぐっすりと眠っている。子猫に視線を戻し、肩をすくめて笑って見せながら、ため息をつく。
「しっかり、生きろよ」
 そっと障子を開けると、子猫は矢の様に走り出し、あっという間に姿を消す。しばらく外を眺めてから幸村を見、襖をしめようとして手を止めた。子猫がやっと通れるくらいの隙間から見える空は、まだ重さの残る雲の切れ間に日の色が見え始めている。障子から離れた佐助は、唇に薄い笑みを乗せ子猫よりも早く部屋から姿を消した。
 部屋には、眠る幸村が一人。
 一番暗い闇を裂いて、日の光が部屋に注ぎ込む――――


―了―
2009/07/12



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