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甲斐2
   子どもが数人、集まってはしゃいでいる。はしゃいでいる、というよりは囃し立てているという方が合うかもしれない。普段なら、気にも止めず――止めたとしても、笑むくらいで通り過ぎるのに、その日は何故か立ち止まった。
「親なしぃ!」
 そんな言葉が、聞こえたからだ。
 近寄ると、彼の姿に気付いた子どもが、あっと声をあげる。
「幸村様だ!」
「ぐれんの侍だ!」
 わぁわぁと指をさし、まとわりついてくる。折に触れ里を歩く幸村は、大人たちの話す彼の武勇伝と共に子どもたちに浸透していた。彼は、里に出ると目立つからと世話役のような忍――猿飛佐助に言われ、特長である赤い鎧と鉢巻を外し平服で歩いていても、しっぽのような後ろ髪、幼さの残る整った顔つき、見るものが見ればわかる体つきに、誰しもが「あれが若き虎」だと気付き、風聞の彼の武勇伝を語り合った。
 大人たちが語る武勇伝は、子どもたちに幸村への憧れを、幸村の持つ雰囲気が親しみを与え、他の侍にはしないような、出来ないような気安い行動をとらせる。幸村も、身分がどうのと気にする性質では無かったし、子どものような無邪気さも残しているので、他の武家が無礼なと怒るようなことをされても、一向にかまう気配を見せない。
「なぁなぁ、幸村様! また戦で、いっぱい手柄たてたんだろ」
「おれも、戦でいっぱい手柄たてるっ!」
「ばぁか。おまえみたいなヒョロヒョロしたのが、戦えるかよっ」
「おいらに、槍の使い方教えてくれよ」
「おれもっ、おれもっ」
「先にクワの使い方覚えろよなっ」
「おまえだって、下手くそのくせにぃ」
 幸村を囲んで騒ぐ子どもたちの輪に入らず、うつむき、唇をきゅっと結んで横目で見てくる子どもが居る。それを気にしている幸村に気付いた子どもが言った。
「なんだよ、親なしはあっちいけよ」
 拳を握り、走り去る背中を見つめ、幸村はまとわりついてくる子どもたちに聞いた。
「親なし、とは彼は孤児か」
 口々に答える。
「こないだ、しんじまったんだ」
「あいつのとうちゃん、斬られたんだよな」
「かあちゃんは、昔にどっかいったんだって」
「畑、おいらのかぁちゃんと、とうちゃんが手伝ってやってんだぜ」
「おれのとうちゃんだって、手伝ってやってる」
「でも、あいつのとうちゃん生きてるときから、あいつは親なしなんだよ」
「なぜ親なしと呼んでいるのか教えてくれぬか」
「あいつ、あんなの、とうちゃんじゃねぇって言っていたもんな」
「な!」
「言ってた言ってた」
「だからだよ」
「とうちゃんじゃねぇなら、あいつは親なしだもんな」
「なぁ、それよりさぁ、槍の使い方、教えてくれよぅ」
「幸村様ぁ、遊ぼうよぅ」
 なぁなぁ、と催促してくる子どもたちに囲まれながら、幸村は見えるはずのない去った子どもの背中に視線を向けた。

 戻った幸村は、槍を手にしていつものように修練に励む。だが、どうにも集中出来ない。それを見越してか、現れた信玄が拳で語らず、腕組みをしたまま彼に声をかけた。
「幸村よ」
「はっ! お、お館様」
 あわてて槍を収め頭を下げる。
「何を、迷うておる」
「某、迷いなどございませぬ」
「ならば、何故槍先が曇る」
「そ、それは…………」
 顎をひき、視線を泳がせる幸村を見つめ、庭に降りて傍に寄る。
「何を、気に掛けておる。言うてみよ」
 しばらく迷ったあと、幸村は顔を上げ、里での事を語った。
「某、わからぬのでございます」
「何が、わからぬ」
「――――それは……」
「斬られた父を、生前より実父ではないと言う子どもの心か」
「――――」
「その子をからかう子どもらの事か」
「――――わかりませぬ」
「わからぬ事が、わからぬか」
 ため息と共に微笑んで、信玄はくしゃりと幸村を撫でた。
「大いに、悩め。幸村よ」
 幸村は、無言で視線を地面に落とした。

 信玄が去った後、再び槍を握ることが出来ず、幸村は部屋に籠もった。じっと、折り目正しく座して、瞼を閉じている。空気が動き、締め切っている部屋に緑の風が舞い込む気配に、彼は目を開けた。目の前に、しゃがんだ彼の忍の姿。
「――――佐助」
「どうしたの、旦那ぁ。御飯も食べないでさぁ」
「うむ」
「気の抜けた返事しちゃってぇ。心ここにあらずって感じだけど、何かあった?」
 問いに、少し迷うそぶりの幸村が唇を噛む。
「まとまってなくていいからさ、話してごらんよ」
 佐助の言葉に、ぽつりぽつりと話しはじめる。
「昼に、里で子どもらを見たのだ。子どもらは、一人の子どもを――からかって居た。親なしと、言われて――――子どもの父は、斬られたのだそうだ――――――だが、その子が親なしと、そう呼ばれているのは、父が生きて居られるときより、父を父ではないと、言っていたらしい」
 膝の上で拳を握る幸村を、柔らかく佐助が見つめる。言葉を探す彼を、急かすことなく待った。
「わからぬのだ」
「――何が」
「それが、わからぬ」
 再び、口を閉じる幸村。言葉を待つ佐助。
「――――お館様は、大いに悩めと仰られた。しかし、某は何に悩むべきなのかが、わからぬ。わからぬ事が、わからぬ。何故気になるのか、わからぬのだ」
 俯く彼の姿は、しかられた子犬のようで戦場での面影など、微塵も感じられない。優しいため息をこぼし、佐助が立ち上がる。
「わかんないなら、確かめに行ったらいいんじゃない」
「確かめる……」
「わかんない事を、探しに行ってみれば? こうしてても、堂々巡りでしょ。何刻くらい、そうしてたのさ」
「――わからぬ」
「御飯忘れて考えこんで、何にも進まないなら行動してみなよ」
「行動……」
「じっとしてても、始まんないでしょ。なんでもいいから、やってみろってね。戦場でも、旦那そうやってきただろ」
 なんかあったら手助けするしさ、と片目を器用につぶって見せる佐助。それを見上げる幸村の顔に、笑顔が広がって行く。
「う、うむ――――そうだな、うむ! 悩んでも出ぬのなら、動いてみれば良いのだ」
「そうそう。そうと決まったら、しっかり御飯食べて、ゆっくり眠って! 思い悩んで体壊して、戦に行けないとか、なんないでよう」
「うむ、すまぬな、佐助。助かった」
 頭を下げる主に、どういたしまして、と佐助が優雅にお辞儀した。

 翌日、幸村はさっそく里へ出た。朝靄けぶる田畑に、すでに仕事を始めた百姓の姿がある。その中のひとりに、声をかけた。
「仕事中に、すまぬ。尋ねたい事があるのだ」
 声をかけられた男は、怪訝な顔をしながら振り返り、声の主が幸村と知るや笑顔を浮かべた。
「真田様! こんな時間にこんなとこへ、なんでまた」
「尋ねたい事が、あってな」
「おれでわかるような事なら、なんでも聞いてくれ」
「助かる。――――実は、親なしと呼ばれていた子どもを見てな、その子が父を父ではないと言っておったと聞き、気になったのだ」
「あぁ、そりゃカズ坊だなぁ」
「カズ坊、と言う名なのか」
「父親が、まぁだらしの無ぇ男でなぁ、そんで嫌がって父親じゃねぇって意地はってたんだが――――死んじまってなぁ、そっから余計に頑固っつうか意地をはるっつうか、いっつも歯を食い縛ってるような顔になっちまった」
「何故、そのように……」
「さあてなぁ。どうしようもねぇ父親でも、父親だったんじゃねぇですかい? 笑わなくなっちまって、かわりばんこで畑見てるが、そんくらいしか出来なくてなぁ。真田様、あいつがまた、笑えるようになりませんかねぇ」
「――――うむ」
 哀しげな顔で頷く幸村に、男がことさら明るい声をかける。
「そうだ、真田様! よかったら、うちで茶でもどうですかい? かぁちゃんは、器量は悪ぃが飯は旨い」
「ん、あぁいやすまぬ。せっかくの誘いなのだが、辞退させていただきとうござる」
 申し訳ないと頭を下げる幸村に男があわてて手を振りながら、気にしないでくださいと言う。それにもう一度頭を下げて、幸村は田畑の脇の林へ入った。
「佐助、佐助は居るか」
 すぐに、彼の前に佐助が現れる。
「聞いていたか」
「聞いてたよ」
「どう思う」
「どうって?」
「ひどい父親だったが、やはり必要だったということ、なのだろうが――――」
「腑に落ちないって顔だね」
「うむ。よく、わからぬ」
「俺様も、わかんない」
「佐助でも、わからぬことがあるのか」
 意外そうな顔に、おどけた仕草で応える。
「俺様だって、なんでも知っているわけじゃあ、ないからねぇ」
「むう、そうか」
 腕をくみ、俯く幸村を面白そうに佐助が眺める。
「やはり、本人に聞いてみるのが一番か」
「そうだねぇ――――って、ちょっと旦那?」
「ん?」
「本人に聞くって、カズって子どもに聞くつもり?」
「他に、誰がいる」
「それは、ちょーっと、やめたほうがいいんじゃないかなぁ」
「何故だ」
「なんて聞くつもりなのさ。父親嫌いだから父親じゃないって言っていたけど、やっぱり死んじゃうと悲しい? とでも言うわけ?」
「いや、それは――――」
「じゃあ、他になんて聞くのさ」
「ぬ、う…………」
「もうちょい、様子みてからにしたほうが、いんじゃないかな」
 佐助の言葉に、幸村は無言で頷く。
「佐助」
「うん?」
「助かる」
「どういたしまして」
 ふう、とため息をついて、幸村は木に背中を預け、空を仰いだ。
「難しいな」
 同意も否定もせず、佐助は静かに微笑んだ。

 それから毎日のように、幸村は里でカズ坊と呼ばれる子どもの話を聞いたが、だいたいが同じような――父親を批判するが、最後は「あれでも父親だった」というような事を言う。幸村がやってくるので、里の子どもたちは彼と遊ぼうと、いつもより親の手伝いを真面目にすると、そんな話もされた。幸村とて、子どもたちと遊ぶ事は嫌ではない。自分と遊ぶ事を楽しみにしてもらえていることは嬉しかったし、子どもたちの様子も知れて、良かった。
 カズ坊は、いつも少し離れた所に居た。毎回、必ず来るのに輪に入らない。幸村らの様子を伺うが、仲間になりたそうな顔をするでもなく、視界に入る範囲で一人、遊んでいる。気になりながらも、かける言葉が思いつかずに幸村も彼の姿を眺めるに止まっていた。
「――――どうすれば、良いのか」
 部屋で呟くと、傍らの忍が応える。
「意地っ張り、なんだろうけどちょっと、度が過ぎてるというか、可愛げがないっていうか――――まぁ、根性はありそうだけどねぇ」
「ふうむ」
 どちらも、会話というより独り言のような口調で、空間に声をかける。
「何故、ああも頑ななのか」
「きっかけが、みつかんないのかねぇ」
「子どもたちは、のけ者にしようとしている訳では無いのだが…………」
「不器用なのか、遠慮してんのか」
「ふむぅ」
 同じタイミングで息を吐き、佐助は頭の後ろで腕をくみ、幸村は首をひねった。
「どうすれば、良いのか」
 何か、無いのだろうか。そう思いながら、茶に手を伸ばし口をつけ、空になっていることに気付く。
「あ、お茶、いる?」
「ん、あぁいや…………そうだ!」
「ん? なに何」
「明日、団子でも持っていってみよう。さすれば近くに来るやもしれぬ」
「ああ〜、なんか動物手なずけようとしているみたいだけど、まぁ妥当なやり方かもねぇ」
「佐助」
「用意、しとくよ」
「すまぬ」
 笑顔で言う彼に、佐助も笑顔を向け姿を消した。
佐助の用意した団子の包みを手に、里へ向かおうとする幸村の目に、歩いてくる信玄の姿が映る。
「! お館様」
 嬉しそうに小走りで傍にくる幸村に、信玄も破顔する。腰を落とし、肩を引いて絶妙のタイミングで幸村の顔に拳をめり込ませた。
「ごぶほわぁっ!」
 宙を舞う幸村の手から、団子の包みが地面に落ちてしまわないよう、佐助が現れ包みを奪う。キリキリと回りながら飛んだ幸村は、地面に滑り込んだが、すぐさま飛び起き地を蹴って、信玄の下へ跳ねる。
「お、や、か、た、さ、むわぁっ!」
「ゆぅきむらぁあっ!」
 互いの拳がめり込み合う。笑みを交わし、激しい拳の応酬が始まった。
「やれやれ」
 佐助が肩をすくめ、それがおわるのを待つ。
「うむ、いい顔をしておる! 悩みは晴れたか」
「未だ、わからぬことがわかりませぬが、晴れるよう邁進してございます!」
「そうだ、幸村! 悩みながらでも、信ずる道を進め!」
「お館様!」
「幸村!」
 ガシッと腕を重ねる二人に、のんびりとした声を佐助がかける。
「まぁったく、お館様も大げさなんだから――――ほら、旦那。あんまり遅くなると、晩ご飯食べられなくなっちゃうよ」
 団子の包みを見せながら言う佐助に、両手を差し出す。
「おお、そうだな。佐助、すまぬ」
「いいってことよ。それより、早く里に行った行った」
 包みを受け取り、信玄に頭を下げて走り去る幸村を見つめ、佐助が肩を解すような仕草をした。
「さぁて、上手くいくかなぁっと」
 風になった佐助も見送り、信玄は深く頷く。
「良い友を持ったな、幸村よ」
 昼下がりの日差しのような眼差しで、信玄は里を見つめた。


 幸村の姿を見つけた子どもたちが、すぐに集まってくる。彼が団子を持っていると知ると、喚声が上がった。次々と小さな手が伸びてきて団子の数が減っていく。
「食べないのか?」
 やはり今日も、少し離れた所に居るカズ坊に声をかける。無言でにらんでくる彼に、笑顔で幸村が近づき団子を差し出す。
「うまいぞ」
 しゃがんで目線を合わせると、団子と幸村を見比べ、きつく口を引き結んだかと思うと、団子を掴みクルリと回って走りだした。
「あっ…………」
 目を丸くした幸村に、林へ消える背中が映る。はっとして、慌てて彼を追い掛けた。
 彼の後を真っ直ぐ追って、林へ入ってみるも既に姿は見えなくなっている。やみくもに探すにしても、広い。どちらに進むか迷う幸村に、佐助がひょこりと現れて道を示した。頷き、駆け出すとすぐにカズ坊の姿が見える。そのまま傍に寄ろうとし、彼の様子に立ち止まる。彼は、泣いていた。
 なんと声をかけていいのか、どうしていいのかわからずに、幸村はただ、静かに泣くカズ坊を見つめる。声をあげずに泣く子どもを、幸村は見たことが無かった。カズ坊の姿がひどく苦しく映り、自然幸村の顔も歪む。言いようのない憤りが、腹の底に燻りだした。
 ふいにガサ、と草が分かれる音がして、カズ坊と幸村が同じ場所に目を向ける。音は近づき、荒い呼吸とともにイノシシの姿が現れた。獣は真っ直ぐカズ坊を見据え、頭を低くし地を幾度か引っ掻く。
「いかん!」
 叫ぶ幸村がカズ坊に向かう方が、イノシシの駆け出しよりも僅かに早く、彼が子どもを飛び込むように抱えて地に転がった後、カズ坊が居た場所をイノシシが通過する。
「旦那!」
 佐助の声がして、頭上から槍が落ちてくる。目を見開いたまま硬直しているカズ坊を下ろし、安心させるように微笑んだ後、ゆっくりと二人に向いたイノシシに対峙する。
「いざ!」  槍を構える幸村に、イノシシが突進してくる。
「ヒッ」  幸村の背後でカズ坊が息を飲み、その音に遅れてイノシシが息を止めた。重い音をさせて倒れ、痙攣するイノシシに一礼すると、カズ坊に向く。
「怪我は、無いか」
 心配そうに覗くと、カズ坊はゆっくり怯えたままの顔を横に降る。
「そうか、良かった」
 ぽん、と彼がたまに信玄にされるように、佐助にされるようにカズ坊の頭に手を乗せると、子どもの顔はみるみるゆがみ、しゃくり上げながら幸村にしがみついてきた。
「っ…………」
 一瞬の戸惑いの後、そっと子どもを抱き締める。カズ坊の声は大きくなり、泣き疲れて眠るまで、幸村は子どもの涙を受けとめた。

 泣き疲れたカズ坊を抱き上げ、里に戻る幸村を見送り、佐助がイノシシの横に立つ。
「甘える場所があるっていうのは、贅沢な事だよねぇ」
 言いながら、イノシシに穿たれた槍の後を眺め、そこに、そっと手のひらを乗せる。
「ごくろうさん」
 慰めるように数回叩くと、イノシシを担ぎ上げ、姿を消した。


 いつもの朝の、いつもの風景。槍を振るう幸村に信玄の拳がめり込むのを合図に、互いが熱く呼び合いながら拳を交わし合う。傍には笑顔で呆れた顔の佐助が居る。
「ゆぅきぃむぅらぁああああ!」
「んぬぅおぅやぁかぁたぁあさぁむわぁああ!」
 やがて、ばたりと庭に倒れた幸村に、満足そうに微笑んだ信玄が頷き、去っていく。
「あーあぁ。毎回毎回、飽きないねぇ」
 しゃがんで覗く佐助に、大の字のまま幸村が笑う。
「某は、幸せ者にござる」
「? あの子と、なんか話したの」
「うむ」
 晴れやかに答える幸村に、目を細める。
「どんな話、したの?」
「教えぬ!」
「――なんで」
「男同士の約束ゆえ、言えぬ!」
 歯を剥き出して笑う幸村の顔に手を伸ばし、ピシッとデコピンをするが、幸村はますます笑顔になる。
「某は、幸せ者にござるなぁあ!」
 体中から声を発した幸村に、幸せそうなため息を、佐助がかけた。


空は、抜けるような快晴――――



―了―
2009/07/26



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