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「こじゅうろう」
 あの人が怖くない事を、私は知っている――

 左の頬に傷痕があって、怖い顔のあの人に、怖いから近づいちゃいけないって言われたけど、私は知っているんだ。怖くないって事を。みんなが怖いって言ってるあの人を怖くないって私だけが知っているみたいで、なんだか嬉しくなる。だから、誰にも教えてあげない。だから、内緒で会いに行く。
 草鞋を手に持って、走る。ちょっとでも早く、会いたいから。
 朝の一番早い時間に、あの人はいつも、畑に居る。初めて会ったのも、朝の一番早い時間。その日私は兄と喧嘩をして、眠れなくて――所々眠ったけれど、ちゃんと眠れなくて、朝日が昇り始めた時間。みんなが起きるよりも早くに、寝床から飛び出した。喧嘩した兄と少しの時間も一緒に居たく無かったし、なんだかモヤモヤしていてじっとしていられなかったから。
 家を出たところで行くあてなんて無かったから、私はただただ畑の間を歩き続けた。歩いて歩いて、ふと見ると畑に人が居た。その畑は、誰も触っちゃいけないし、入っちゃいけないって言われていた畑で、そこに人が居て何かをしていて、私はとっさに泥棒だと思った。誰の畑か知らないけれど、大事に大事に育てられているように見えたから、守らなくちゃって思った。
「こら―!」
 大きな声を出すと、畑に居た人は顔を上げる。
「ここは、入っちゃいけない畑だぞ―!」
 私の声に、その人は笑って畦道に歩いてきた。
「俺は、入っていいんだ」
 首をかしげると、しゃがんで目線をあわせてくる。
「子どもが、こんな早くに一人で、どうした」
 ゆっくりと話しかけてくれる。どう言ったら良いのかわからなくて目を逸らすと、頭の手拭いを外して私の横に座り、飲むかと竹筒を差し出してくれた。喉は乾いていなかったけれど、私はそれを受け取り、飲んだ。微笑んだ彼は立ち上がり、また畑に行く。私はそれを眺めて、作業を終えた彼が戻ってくるまで眺めて、座っていた。
「じゃあな」
 去りぎわに頭を撫でてくれた手は、温かくて大きくて、この畑の野菜になりたいと思った。

 それから毎日、私は会いに行った。怖いからだめって、会いに行っていることがばれた時に怒られたけれど、毎朝あの人に会わないと嫌だったから。畑仕事が休みになるくらいの雨の日も、会いに行った。来ていないかなと思いながら。
「おう、おはよう」
 着くと、今日は休みだと言いながら大きな握り飯をくれて、一緒に食べた。私に会いに来てくれたんだと思って、嬉しかった。
 どうして朝早くに来るのか、頬の傷痕はどうしたのか、どこの誰なのか、色々気になったけれど、聞いたら会えなくなる気がして、ただ一緒に過ごせる時間を大切にしたくて、それだけで幸せで、だから、知りたい気持ちを我慢した。無言は苦じゃ無かったし、喋らなくても一緒にいるって気がすることは、すごく特別な気がした。だから、聞かなかった。
 草履を手に、裸足で着いた私に笑いかけて、今日も大きな手で優しく頭を撫でてくれた。
「おはよう」
「おはよう」
 朝一番の挨拶は、この人とする事に私は決めていたから、たまに誰かに会っても頭を下げるだけで声は出さない。朝一番に声を出すのは、この人にって決めていたから、この瞬間は何よりも特別。
 いつものように畑に入って作業する姿を見つめる。幸せなのに、野菜が嫉ましくなる時間。あんなに優しく大切にされて、私もそうなれればいいのに。
 作業を終えて戻ってきて、私は竹筒を差し出した。ご苦労様って気持ちを込めて差し出す。これも、とても特別なこと。この人とする事は、全部ぜんぶ、特別な事。
「ありがとな」
 そう言われると、とても誇らしくなる。
 もうすぐ、帰る時間。私は家の手伝いの時間。この人は、帰って何をしているんだろう。何処に帰るんだろう――――
 去りぎわ、なんだかいつもと様子が違う。困ったような顔で私の頭を撫でて、しゃがんで目線を合わせてくれる。
「明日っから、しばらく来れねぇ。いつまでかは分かんねぇが…………すまねぇな」
 嫌だ! そう言いたかったのに、私は黙って頷いた。困らせたくなかったから。本当に申し訳なさそうな顔で言うから。
「じゃあ、またな」
 頷いた。去る背中を見送って、家に向かって走った。涙が出てきた。それを吹き飛ばしたかった。
 家について、顔を洗って畑で手伝いをしていたら、戦に行く人たちが通った。その中に、立派な格好のあの人が居る。蒼い鎧を着た綺麗な人に「こじゅうろう」と呼ばれて。
 私は無言で見送った。気付いて欲しいと思いながら。
「政宗様よ」
 誰かが言う。
 ああ、あの人はお殿様の大切な人で、だから朝一番に畑に来ていたんだ。お殿様が起きるよりも早く、お城に戻るために。お殿様が、あの人の大切な人なんだ。
 鼻の奥がツンとしてきて、でも目を逸らしたくなくて、私は拳を握りしめた。涙をこらえるために、睨むように二人を見つめた。
 ふと、政宗様が私を見て「こじゅうろう」を見た。「こじゅうろう」は、いつもの笑顔で小さく私に手を振った。私も小さく振り返しながら、見送る。戦から帰ってきた時に、「こじゅうろう」の大切な畑が荒れていないように、「こじゅうろう」の大切なものを私が守ろうと思いながら――――

2009/07/15



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