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天つ風
  元就様の機嫌を損ねることのないように。
 そう言われて侍女として働き始めたけれど、ここはとても息がつまりそう。静々と動かなきゃいけない。能面のような顔でいなきゃいけない。――――私には、向いていないかもしれない。そうは思っても、辞めるわけにはいかない。同年代の誰かと仲良くなれば、まだ楽しみがあるのかもしれないけれど、入ったばかりの私には誰も彼もが取っ付きにくく感じてしまって仕方が無い。
「あ〜あぁ」
 伸びをして、息を吐く。すごく肩が凝っている気がする。他のお屋敷も、こんなかんじなのかしら。
 薄い空に緑が映えて、とても綺麗。休憩中に庭先に出て散歩をするのが唯一の息抜きだなんて、私この先やっていけるのか心配になってくる。
「つまんない」
 呟くと、つまらなさが実感としてのしかかってきた。それを振り払いたくて、早足で大股に歩く。こんな姿見咎められそうだけれど、ちょっと位いいよね。
「っ……」
 ずんずん進んだ先の渡殿に人影が見えて立ち止まる。柔らかそうな肩までの長さの髪の、人形のような人が空を見上げている。横顔が淋しそうで――哀しそうで、神様か仏様が人を哀れんでいる顔って、こんな感じなのかもしれない――――目が離せなくて動けないでいる私の方へ、その方は顔を動かした。たったそれだけの動きが、舞の一部を見ているようで息を呑んでしまう。
「誰だ」
 涼やかなのに、有無を言わさない強い声。私は胸の前で両手を握って、硬直してしまった。――――纏う空気が、私とは違う世界の方なのだと伝えてくる。
 体重が無いような所作で、つっと私の方へ進んでくる。
「見ない顔だな。何故、ここに居る」
 答えなきゃいけないのに、圧倒されて声が出ない。私の様子に首をかしげ、目を細めて問い掛けてくる。
「声が、出せぬのか」
 首を振ると、眉根を寄せられた。声が出せないと言われれば、そうなんだけど多分違う意味合いになる。なんとか喋らなきゃと思っていると、興味を無くした顔をして背を向けられた。――――去ってしまう。
「あのっ」
 去りかけた背中が止まる。あわてて言葉を重ねた。――――もう少しだけでも、傍に居てほしい。そんなことを、とっさに思ってしまったから。
「ここに勤めるようになって、まだ間もなくて慣れなくて、つまらなくて休憩中に歩いていたらここに来て、そうしたら貴方が居て、それで――――」
 それで、の先が出てこない。彼は、ゆったりとした動きで私に向き直った。
「何故、つまらぬ」
「だって、みんな能面みたいな顔で仕事しているし、とっつきにくい感じだし、元就様の機嫌を損ねないようにって、そればっかりだし――――」
 言ってから、しまったと思う。目の前の方は、どう見ても高貴な感じで元就様の側近とか、そういう方なのかもしれない。怒られるかなと思ったら、器用に片方の眉を上げて、興味深そうな顔をされた。
「元就の、機嫌を損ねないようにと、そう言われたか」
 元就様を呼び捨てにして、やっぱり関係者なんだ。物腰とか口調からして、かなり位の高い方なんだわ。武士っぽくないから、公家筋か陰陽師なのかもしれない。
「それで、つまらぬから歩いてみて、何か見つけたか」
「見つけた、というか――――息がつまるから、空を見たり庭を見たりして気分転換をしているんです。風とか気持ちがいいし、毎日違っていたりするから」
「ほう」
 一歩、近づかれる。
「なかなか、趣な事を言うな」
 言葉をつむいだ唇が、僅かに笑みを乗せている。心臓が捕まれた気がした。
「面白い。――――覚えておこう」
 あるかなしかの笑みを浮かべたまま、音もなく去っていく背中に、私の魂は連れ添って行った。

 あの方は、どなたなんだろう。働いていたら、また会えるかもしれない。
 それが励みになって、私は働く事が楽しみになった。能面みたいな顔をするのも、ちょっと笑える。それでもやっぱり休憩中の散歩が一番の楽しみで、また会えないかと期待をしながら庭先を歩いた。
 雨の日も風の日も、歩いた。
――――趣な事を言う。
 あの方の言葉がよみがえる。淡い笑みが思い出されて面映ゆい。想いが大きくなっていく気がする。それがまた、心地いい。
 そんな日々を過ごしていると、元就様へ茶を出すようにと言われた。どうして私がと問うと、元就様のご指名だからと言われた。
 覚えておこうと言った、あの方の笑みが浮かぶ。元就様に、あの方が何か言って、それで私が呼ばれた――――のなら、嬉しいのだけれど。
 目上の方々が、うるさいくらいに粗相の無いようにと言ってきて、喜びと期待の度合いが全て緊張に塗り替えられる。
 元就様のお部屋の前まで付き添った方がほとほとと障子を叩いて開くのを、平伏して待つ。くれぐれも気を付けよ、と耳元で最後の念押しをされ一人になった。
 鼓動がうるさくて、耳鳴りがしてきた。いつまでも平伏していちゃいけないのに、緊張で体が動かない。
「どうした」
 涼やかな声がする。聞き覚えのある声に、耳鳴りが止んだ。
「入り、茶を出さぬか」
 緊張とは違う色で胸が鳴る。やはり、あの方がここに――でも、私が持たされているのは一人分で、だとすると、これはどういう事なのか。
 顔を上げた私の目に、声音と同じように涼やかな笑みを湛えた方が居る。他には、誰の姿も見えない。そんな、それじゃあ――この方が――――
「――――元就様」
 声が震えて擦れている。
「どうした。風雨の折も庭先に出て、何を感じたか聞かせてもらうつもりだったのだが――――声が、出せぬのか」
 あの時と同じ言葉。風雨の折も庭先に、と仰るのは私の姿を見てくださっていたから。そう思って、いいんだろうか。
「能面のようで、皆つまらぬ。我の相手を、するがいい」
 ああ、私は――――なんて恋をしてしまったんだろう。
 元就様の微笑に吸い込まれるように、私は障子のなかへ足を入れた。
 ずっと、これからずっと、私はここで、貴方の傍で――――

2009/09/08



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