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忍べる月
  彼女の瞳に映るのは、何物にも代えがたい方の姿――――
 彼女に気付いたのは、いつだったろうか。幼さの残る手で、不慣れな手つきで給仕をするのに気付き、新しい者かと他の侍女に問うとクスクスと笑いながら「ずいぶんと前から居りますよ」と言われた。それにしては、と目を向けると気付いた侍女が言う。
「このように政宗様や片倉様の傍に寄るのは初めてですので、緊張をしているのでしょう」
 そうか、と呟く自分の目が、自然に彼女を追っている事に、俺はまだ気付かないでいた。

 それから、時折彼女の姿が視界に入るようになった。なるほど他の侍女たちとの接し方を見ると、最近来たわけではなさそうだ。コロコロと笑う姿は、年頃の娘というより子どものように明け透けで、心地良い。
 俺に気付いた者が頭を下げ、あわてて彼女も恥ずかしそうに頭を下げるのを、片手を上げて返事をしながら笑んで見る。野花のようだと、思った。
 ある日、また似たような状態になった。楽しそうな彼女に、つい目を向けてしまっていると政宗様に肘でつつかれる。
「なんだ、小十郎。気になる奴でも居るのかよ」
「まっ……政宗様、何を――」
「HA、照れてんじゃ無ぇよ」
「照れてなど居りません」
「おっと――」
 政宗様が手を上げる。こちらに気付いた侍女たちが頭を下げる。恥ずかしそうにする彼女の様子が、いつもと違っている。顔を伏せながら上げた視線は、政宗様に向けられていた。
「行くぜ、小十郎」
「――――はっ」
 去りぎわ、もう一度彼女の姿を見る。真っすぐに、女の顔で政宗様の背中を見つめる姿が、あった。

 それからというもの、彼女の政宗様を見つめる姿を幾度も見ることになった。くったくのない笑顔が、女になる瞬間を見ることになった。
 政宗様は気付かない。
 彼女も、俺の視線に気付いていない。
 給仕する彼女に笑いかける政宗様と、恥じらいながら微笑む彼女の姿に、知らず知らず拳を握っていた。
「可愛らしゅうございますね」
 年嵩の侍女が、子を見る目で二人を見つめる。
「ああ――」
 短い返事を返しながら、拳を解いた。
 彼女と政宗様は、こうしてみるとあつらえたようにしっくりとしていて、言いようの無いものが胃の腑にわだかまっていく。
「人の心というものは、何事もままならぬものでございます」
 静かに、侍女が言う。
「――何の事だ」
 問うと静かに笑みを浮かべ、侍女が政宗様と彼女に目を向ける。
「本当に、ままならない事で――――」
 全てを見透かしているような侍女の姿に、俺は嘆息していた。

 政宗様は、気付かない。彼女も、気付かない。
 夜、彼女と政宗様の姿が、政宗様を見つめる彼女の姿が浮かんで寝付けない。
「どうしちまったんだ、俺は…………」
 軽く頭を振り、部屋を出て外を歩く。見張りの兵が「今宵はいい月ッスね」と声をかけてきた。なるほど、満月では無いが淡く輝く姿は美しい。降る光が、迷う心を透かしているようで、しかしそれが心地よく、先ほどとは違う心持ちで歩く。静かな中、自分の歩く音だけが耳に届く。
 気付くと結構歩いていたので、ぐるりと城のまわりを巡ってから部屋に戻ろうと、月に和みながら進む。角を曲がろうとして、見張りの兵ではない人影を見つけ、足を止めた。
 そっと、伺う。
 月の明かりに浮かぶ小さな影に息を呑んだ。
 彼女が、月を見つめている。
 手を握り合わせ、胸元に当てながら月を見上げる横顔は切なくはかなげで、抱き締めたい衝動に駆られた。
――――彼女に、あのような顔をさせているのは、政宗様だ。俺では無い。
 拳を握り、心を律する。
――――俺には、ならないのだろうか。
 胸が、締め付けられる。彼女を抱き締め、微笑む姿を傍に置けるのは…………。
 政宗様は気付かない。自分の事に関しては、驚くほどに疎くなられる。しかし、もし気付かれたのなら、どうするのだろう。彼女がもし、政宗様を想っている事に気付かれたのなら…………。
 彼女は、祈るように月を見つめる。
 もし彼女が、俺に気付いたのなら、どうするのだろうか。
 彼女が動き、去っていく。追いかけ、この腕に収める事が出来たなら――――
 去りかけた彼女が立ち止まり、もう一度月を見上げる。泣き出しそうな顔で。
 衝動に屈しそうな体を、押さえ付ける。
 月が、静かに光を降らせる。
 日ではなくて良かった。曖昧であることの出来る、忍べる月で、良かった。自分の今の顔を、誰にも見られずにすむ。彼女に、見られずにすむ――――
 彼女はうつむき、今度こそ本当に立ち去る。彼女が居た場所に、まだ彼女の想いが残っているように見えた。
 深く息を吸い、一気に吐き出して元来た道を戻る。
 部屋に、戻ろう。

――――また、何も変わらない朝が来る…………


2009/08/12



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