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登場:真田主従・元親・ザビー
鬼退治?
 ザザザザザッ――――
 背丈ほどの草を鳴らして、影が走る。息はあがり、必死に振る手は手首より先に力が入らない。顎を上げて空気を求めながら、走る。目的の場所は無い。目的は、ある。
 逃げること。
 追いかけてくる恐怖から逃げることが、彼の目的だった。
 足があがらず転倒する。身体中を上下させ、荒い呼吸を繰り返す。背後から何かが追ってくる様子は無い。しかし彼は、這いながら前に進む。
「ひっ――――はひっ、はっ」
 恐怖に捉われた思考は、冷静な判断をしてくれそうにない。
「なっ、何なんだ、何なんだよおぉ!」
 上ずった声で叫ぶ男が見たものは、まさしく鬼であった――――

 自分が、そのように言われていることなど露知らず、男を恐怖に落とした本人は彼の忍と共に茶を楽しんでいる。赤い鎧を身に纏い、敵陣に攻め込む姿は炎を思わせ、彼の姿を見て戦意を失う者もあるという武人――真田幸村。好物である団子を口にしながらご機嫌な様子で居る彼は、戦場での面影など欠けらもない。素直そうな顔に、団子をほおばる姿は幼さを残した柔和な雰囲気を持っている。
「まぁったく。旦那が出ていく必要なんて無かったでしょ」
「しかし、困っておる者が居たのだ。卑劣な輩は、放っておく訳にはいかん」
「はいはい。旦那は真面目だねぇ」
 彼らが居るのは、甲斐では無い。旅装束の彼らは、西にいた。西海に鬼と噂される武人が居るとかねてより聞いていた幸村に、会わせてみようと信玄が思いつき、偵察と称して幸村を旅立たせた。それに彼の忍を同道させ、諸国の情勢を調べつつ、有事の際の連絡を取る手段とした。
 そんな道中で、たまたま立ち寄った村が賊に怯えていると知り、すがり頼まれ討伐を行った事が、あの男が恐怖に落ちた理由であった。単身の幸村に油断をした者が斬られ、彼の強さに気付き小細工をしかけた事が幸村に怒りを植えた。炎の獣と化した幸村は瞬く間に賊を成敗し、礼をしたいと言う村人に貰ったものが、今食べている団子であった。
「しっかし、良かったの旦那。村でちゃあんとお礼してもらってたら、旅の疲れも取れたでしょうに」
「早々に目的を済ませ、お館様の元へ戻らねばならぬからな」
「ああ、そうねぇ」
 団子の串をふりながら答える忍に、笑顔を向ける。
「それに、俺だけが遇される訳にはいかん。討伐は、佐助の力もあったればこそ早く済んだのだからな」
 信玄などには「某」と自分を呼ぶ幸村だったが、気やすい彼の忍――猿飛佐助には「俺」と言う。幸村の言葉に、佐助は呆れと喜びをない交ぜにした顔で頬を掻いた。
「まぁったく。真面目なんだから」
「さて、腹もくちくなった。そろそろ進もう」
 立ち上がった主の言葉に、はいよと佐助が姿を消す。服に付いた埃を払い、幸村は歩きだした。

 幸村が進む間に、逃げていた男から発された彼の話は、幸村の進む速度より早く進み、広がっていく。彼が真田幸村だと名乗ったというのに、恐怖からかそれを聞き逃したか忘れたかした男の話は、赤鬼が炎を纏って賊を壊滅させた、という内容となっていた。当然、佐助がその噂を拾って持っており、幸村も大きな町へ入る前に、聞いた。
「鬼に会いに来たのに、鬼って呼ばれるなんてねぇ」
 面白そうに言う佐助に、幸村は考えこむ。
「どうしちゃったの、旦那」
「――――うむ。俺が鬼ならば、長曾我部元親殿は一体どのような御人であろうか」
「旦那みたいに、戦場と普段じゃ全然雰囲気の違う、実はかわいらしーい姫若子だったら、どうするぅ?」
「な、長曾我部殿は姫若子であったのか」
「いやいや、冗談だって」
「佐助の情報だからな、それもあり得るやもしれん」
「いや、だからぁ…………」
 ふいに佐助の顔が引き締まり、姿が消える。幸村は視線を周囲に配り、わずかに身構える。
 しばらくして――――
「アイヲクダサーイ!」
 両手を広げ、砂ぼこりを上げながら、巨躯からは想像つかないほどの速度で道を突き進んでくる異人の姿が見えた。
「なっ…………」
 あまりに変わった風体に、幸村が絶句する。
「ソコノすてきなオニーサーン! ワタシを受ケ止めるのデース!」
 両手を広げて叫ぶ相手に戸惑う幸村の前を、異人が通り過ぎる。彼の背中には、南蛮式のカラクリがついており、そこから炎が吹き出していた。
「アナタ、愛がたりないヨーォオオオオオウゥ!」
 そのまま真っ直ぐ突き進んで行った異人の姿が見えなくなり、少しの間を空けて向かおうとしていた町で大きな爆発が起こった。
「な、何なのだ、あれは」
「こっちでは異国の人間が変わった信仰を普及してるって噂を耳にしたけど、それじゃない?」
 幸村の横に現れ、手を額にかざしながら爆発の煙を見つめる佐助の言葉に、幸村が腕を組む。
「異国の坊主であったか。なるほど、そういえば頭を少し剃っておったな」
「河童みたいな頭だったねぇ」
「うむ。世の中には、様々な者が居るな!」
 歩き始めた幸村に、佐助があわてて声をかける。
「ちょ、旦那! 真っ直ぐ行くの、止めようよ」
 不思議そうな顔で振り向く幸村の前に、佐助が回り込む。
「なぁんか、嫌な予感がするんだよね。さっきの」
 町に目を向ける佐助につられ、幸村も見る。爆発の煙は消えていた。
「迂回してこうよ」
 しばらく考えてから、幸村が頷く。
「興味はあるが、佐助がそう言うのであれば、迂回しよう」
「目的の前に、へんなことに巻き込まれたく無いしねぇ」
 言い終えた佐助の顔が引きつる。
「旦那っ! 走って」
 手を引かれ、驚きながらも走りだす幸村の背後から、砂ぼこりが向かってきた。
「あぁもう、厄介なのは御免だっての」
 走る二人に砂ぼこりはゴウゴウという音を立てながら近づいてくる。驚くほどの早さのそれは、先ほどの異人だった。
「アナタに愛ヲー!」
「河童坊主の愛なんて、いらないっての」
「佐助、あれは一体…………」
「わかんないけど、面倒なことになるってのだけはわかるから、関わらないでよっ」
 急に佐助が止まり、いきなりで速度を落としきれない幸村を、手を引いて止めた。
「アアッ! ヤットうけとめる気になったのデスネー! って、チガウNOooooooo!」
 横に避けた佐助と幸村を、悲鳴を上げながら異人が横切り、そのまま姿が見えなくなる。
「佐助、あれは……助けた方が良かったのでは無いか?」
「冗談! あんなのに、俺様関わりたくなんて無いからねっ」
 二人の遥か後方で、爆発による煙が上がった。


 結局、町に入った二人は休息するため宿に入る。幸村が部屋に通されてから、佐助が現れた。
「はぁあ。やぁっと休めるよ。何だかんだで歩き通しだったもんねぇ。旦那も、疲れたでしょ」
「俺よりも、佐助の方が不自由だったのではないか」
「ん〜、俺様慣れてるからねぇ。つっても、全然疲れてないって訳じゃないけど。ま、目的地は目の前だし、船に乗るから体休めて万全でいなきゃね。旦那、船は初めてでしょ」
「初めてでござる」
「楽しみ?」
「うむ、まぁ……そうだな。しかし、長曾我部殿がどのような御人であるのか、そちらのほうが楽しみだな! 鬼と呼ばれるからには、強いのであろう」
 笑みを浮かべる幸村に、肩を竦めて佐助が座る。
「強いんだったら、なおさら休めて万全でいなきゃねぇ。明日は船を探さなきゃなんないから、早く寝ちゃってパッパと会って、帰ろうよ」
「こうしている間にも、何者かが甲斐を狙っているやもしれんしな」
「そうそう。んじゃま、俺様先に失礼しちゃうよ」
 伸びをしてから座したまま目を閉じる佐助に、就寝の挨拶をして幸村は横になった。

 翌朝、身支度を整えた幸村は、細かい海路やヤバイ所は地元の漁師の方が詳しいからと佐助に言われ、夜が明ける前に宿を出て近くの村へ移動した。漁師を見つけて、さてどう話をしようかと佐助が思案してる間に、幸村は直球で長曾我部元親の所に行きたいと話を切り出す。訝しみ、幸村の全身を眺めた後で漁師は「海賊の居る場所なんて、知らん」と言いながら海に出た。その後も、幸村は同じように他の漁師に声をかけ、そろって同じ反応を返される。最後の漁師が海に出てしまったのを見送り、幸村はため息をついた。
「海賊は、海ではやはり嫌がられるのでござろうな」
 木陰に入り、呟く幸村の頭上から呆れた声が返事をする。
「知っていても、あんな聞き方じゃあ怪しまれて当然でしょ」
「何故だ」
「あのね旦那。もし旦那が誰か匿ってて、その人を探しているんだっていう素性の知れない人が来たら、居場所教える?」
「教える訳が無かろう」
「そういう事。素直なのは悪いとは思わないんだけど、旦那はちょっと直球すぎんだよねぇ」
「では、どうすれば――――」
 幸村の横に、忍姿ではない佐助が現れる。
「ま、話するにしたって漁師たちが帰ってきてからになるし、軽く情報集めながらどうするか考えようよ」
「う、む…………そうだな」
 頷く幸村と共に歩きながら、次は俺様が交渉するからと伝えて佐助が落ち込む彼の肩を叩く。
「気分転換に、甘いものでも食べようよ。またこっちじゃ食文化も違うだろうし、せっかくだから贅沢しちゃってさ」
「しかし……」
「こっちが金払いがいいってわかれば、目的地までの舟代だってケチらないって思う奴が話聞いてくれるかもしんないしぃ」
 ねっと佐助が片目をつぶれば、そういう事ならと幸村は顔を上げる。
「実は、気になっていた店があるのだ――――」
 そう言った幸村が向かったのは、きちんとした――とは言っても庶民感覚の範囲内ではあるが――店構えの甘味処で、貼紙に大きく「ところてん」と書かれていた。
 心なしかウキウキとした足取りの幸村が先に入り、大きな声で「ところてんを二つ」
と注文すると、腰の辺りに色香を乗せた歩き方で、茶を運んできた娘と呼ぶには少しためらう位の女が「はぁいぃ」と間延びした声を出した。
「ふたぁつ、ね」
 去りぎわ、幸村に流し目をするが気付いていない様子で彼は頷く。少しムッとした顔になった娘に首を傾げた幸村が、佐助を見る。
「何か、気に障るような事をしたのであろうか」
 クックッと笑いながら手を振り、佐助が答える。
「いんや、大丈夫大丈夫。旦那はそれで、いいんじゃない」
「何が可笑しい」
「別に」
 そう言いながらも笑い続ける佐助に更に首を傾げた幸村の前に「おまちどぉ」と娘が黒蜜のかかったところてんを出す。 「おお、すまぬ」
 うれしそうに笑み、黒蜜ところてんを見る姿に唇を尖らせた娘に「こう見えて、まだ幼いから」と佐助が言うと、つまらなそうな顔で「そうみたいね」とため息をついた彼女が応え、佐助の前にも黒蜜ところてんを置いて去った。
「見た目に涼やかで、綺麗でござるな」
 上機嫌で口に運ぶ幸村に頷き、佐助も食す。
「うん、黒蜜のところてんって意外だったけど。――――旦那、この後の事なんだけどさ、昼頃にもう一度行ってみるとして、それまでに色々と情報を…………」
 二人の席に、男が真っ直ぐやってくる。目の端にそれを捉えた佐助は、会話を止めて茶に手を伸ばした。
「船を探しているってのは、アンタらだろ」
 話しかけてきた男を、ざっと見て値踏みする。中肉中背よりは少し痩せており、しかし痩せすぎというほどでも無い。どちらかといえば柔和な顔をしている。身のこなしからは、ただの庶民としか思えない。が、わざとなのかもしれない。
「旦那――――」
 小声で注意を促しかけた佐助の前に、幸村が男に声をかける。
「船を出してもらえるのか」
 しっかりと男が頷く。
「詳しくは、ここではちょっと…………」
 言葉を濁し、さっと辺りに目配りをした男に、今度は幸村が頷いて残りの黒蜜ところてんを口に放り込むと立ち上がり、佐助を見た。やれやれと口の中でのつぶやき、机に金を置く。 「お勘定、置いとくよ」
「あいぃ。また来とくれなぁ」
 奥から娘の声がして、彼女が出てくるより先に、男と幸村たちは店を後にした。

 幸村たちが男に連れて行かれたのは、小ぶりの奇妙な作りの建物であった。屋根が丸い。窓は嵌め込み形になっており、絵の描かれている障子紙が貼られていた。そこにある絵を目に止めて、佐助が頬をひきつらせる。河童のような頭をした、腹の出た南蛮人の背中に羽が生えている。格好は違えど障子にある絵は皆その姿が描かれており、佐助は肘で幸村を軽くつついた。
「旦那、かなり厄介なのに足を踏み入れちゃったっぽいね」
「――――面妖なものが描かれておるな」
 男に聞こえないように小声で言いながら、室内を見回す。奥から女が現れて、二人に茶を出して部屋の端に控えた。女も、どう見ても一般的な庶民にしか見えない。一体ここは何なのかと悩む二人の前に、小山のように大きく黒い影が、狭そうに正面の台座の上に現れた。
「よいショっと。はー、ヤハリいつもいるトコロが一番落ち着きマスね。ココは狭いですが、仕方アリマセーン」
 二人の前に現れたのは、町に入る前に見た奇妙な南蛮人で、佐助は軽い目眩を覚えた。
「あぁもう、面倒はごめんだってのに――――」
「マタ会えましたネ! コレも愛のお導きデスヨ」
「イエス、ザビー」
 にっこりと南蛮人がほほえむと、二人を連れて来た男が言う。
「さっさと話をシチャッテ、広いトコロに戻りたいノデ簡単に言いマスヨ。鬼退治、シテクダサーイ」
 手を広げて言った後、今度は胸の前で手を組んで、南蛮人が首をかしげて体を屈め、幸 村に憐れっぽい視線を向けた。
「ワタシ、ザビー教のザビーネ。ザビー教は愛に溢れているノヨ。デモ愛を信じない人も居るのデス」
 うるうるっと瞳を揺らし、ザビーが言う。
「大切な信者に乱暴する鬼を退治シテクダサーイ」
「その鬼というのはもしや、長曾我部殿の事では」
「アナタ、噂の赤鬼ネ! 鬼には鬼ネ! 山賊をヤッチャッタ強い赤鬼なら、きっと勝てるヨ」
 ビシッと幸村に指を突き付けて微笑むザビーを見ながら、佐助がこっそり気持ち悪そうな顔をした。
「アル村で山賊が退治サレタヨ! 生き残った山賊が赤鬼にヤラレタと言っていたノヨ! アナタ槍を二つ持って、赤い鎧で鉢巻もシテル! 山賊の言っていた赤鬼と同じヨ!」  天を仰いで大声を出すザビーを、幸村らを連れてきた男と茶を出した女が陶酔したような顔で歌を歌いだした。
「ザビーザビザビザビザビー♪」
 それに合わせて、ザビーが大袈裟な仕草で訴えてくる。
「愛ヲ知らない海賊に酷いコトされる罪の無い人たち助けて欲しいのヨゥ」
「ザビザビザビザビー♪」
「デモ、ワタシたちか弱い。海賊の鬼に怯えて暮らすばかりネ」
「ザビーザビザビザビザビー♪」
「そこに、救いが現れたヨー」
「ザビーザビザビザビザービー♪」
「悪いヤツラをヤッチャッタ強い赤鬼ネ!」
「ザビザビザビザービーザビー♪」
「アナタこそ、ワタシたちの救世主ヨ!」
「ザビーザビザビザビザビー♪」
 歌が盛り上がり、ザビーの声や動きが益々芝居じみてくる。
「赤鬼は船を探していて、ワタシたちは鬼退治してほしい! ちょーどイイおハナシ! か弱いザビーたちを守って欲し――――痛イッ!」
 体を大きく広げたザビーが、ガツンと頭を天井にぶつける。標準的な大きさの建物だが、巨漢なザビーには狭いらしく、ぶつぶつと文句を言いながら体を丸める。
「アア、モウ…………とにかく、アナタに船をアゲルから鬼退治シテクダサーイ」
「おお、長曾我部殿の元へ連れていって頂けるのでござるな!」
「シッカリ退治して、ワタシたちか弱い人々を助けてチョーダイ」
「心得た」
「ちょ、旦那っ…………て、まぁいいか。船は出して貰えるんだし」
「アナタたち愛溢れてるヨ! 素晴らしいネ! 早速用意するから、サッサと鬼退治ヤッチャッテ」
「…………なんか、だいぶムカつくけど」
 胡散臭げにザビーを見る佐助と、ワクワクとした顔の幸村は、ザビザビと歌っていた男に連れられて、鬼ヶ島へと旅立つ事になった。
 用意された船に乗り、白い手拭いを振りながら「サヨウナラァ」と船を見送るザビーに引きつった笑みを向けて、佐助が言う。
「変なのに声かけられちゃったけど、まあ船は手に入ったね」
「変わった御人ではあったが、民を思う気持ちは素晴らしいでござるな!」
「え、旦那本気で言ってる?」
「何か、おかしな所でもあるのか?」
「――――あぁ、うん。いいや――――それよりさ、島に着いたらおとなしくしといてよ。いきなり突っ込むなんて、しないでよね」
「何故だ。我らは人民を苦しめている長祖我部殿を倒す為に参るので御座ろう」
「あーあ、言うと思った。あのね旦那、なんでも人の言葉を鵜呑みにしないほうがいいと思うよ」
「――――気になる事が、あるのでござるな」
「そりゃあもう、気になりまくりだよ。とにかく、おとなしくしといてよ。大将だって、倒してこいとか言ったわけじゃないんだし」
「うむ、心得た」
 本当かなぁとつぶやきながらも、それ以上は何も言わず船の向かう先を見つめると、わずかに島の姿が水平線に見えていた。
 佐助が島を見つめた少し後に、その島からも幸村たちの船の姿は確認出来た。船に掲げられている旗印を見た見張りの男は、大急ぎで報告をしに走る。
「アニキ! アニキィ」
「あぁん? どうした彦次郎」
「ザビー教の船が、また遣ってきやした」
「はぁ……懲りねぇヤツラだな」
 アニキと呼ばれた男は、盃を置きながら立ち上がり、軽く首を回すと楽しそうに口を横に開いた。
「よぅし、テメェら。学習しねぇザビー教のヤツラに、しっかりと鬼の怖さを刻んでやろうじゃねぇか」
「ぅおおおおお! アニキー」
 アニキと呼ばれた男の言葉が聞こえた男たちが集まり、盛大なアニキ大合唱が起こる。その声に、アニキ――長曾我部元親――は眼帯をしていない右目を満足そうに細めた。


 慣れない船の揺れに、疲れた様子の幸村が海面を眺める。
「旦那ぁ、大丈夫?」
「うむ。なんというか、海は今までに嗅いだことの無い香りがするな」
 青い海面に、船が白波をたてている。
「どこまで、深いので御座ろうか」
「さぁ。沈んだ船がわからなくなったりするらしいからねぇ」
 ふうん、と海面を覗き込むように身を乗り出す幸村が、ドオンという大きな音とともに揺れた船から海に落ちそうになる。慌てて彼を甲板に引っ張り倒して何事かと辺りを見回した佐助の目に、こちらに向かう船が見えた。砲撃を受けたと認識しながら、舳先に人の姿を見つける。
「鬼の元へ来るにしちゃあ、ずいぶんと貧相な船じゃねぇか」
 腕を組み、揺れなど感じていないような様子で白い髪に海風を受けながら長曾我部元親が、幸村らの船へ信じられない速度で近づいてくる。
「旦那っ」
「あの御人、できるっ」
 元親の船が作る波が、幸村らの船に当たり揺れを作る。なんとか踏ん張り、舳先の元親を睨み付ける幸村へ、船員が叫んだ。
「あれが、ザビー様の邪魔をする鬼です!」
 瞬間、幸村と佐助の顔が引き締まる。
 船はぐんぐん近づいて、幸村らの船の横腹に舳先をぶつけてきた。
「うおっと」
 軽い声を出して佐助が平行を保ち、幸村も槍を床に突き立てて転倒を防ぐ。船に乗っていたザビー教の信者らが転がるのを目の端に捉え、幸村は元親の船へ跳躍した。
「うぉおおおおお!」
「わ、ちょっとちょっとォ」
 慌てて佐助が追い掛ける。
「そなたらは、早くこの場を立ち去れぃ!」
 元親の船に乗った幸村の叫びに、ザビー教の船は急いで舵を切る。目を細めて幸村を見る元親へ向けて槍を構えながら、幸村は腰を落とした。
「ちょっと旦那、帰りはどうすんのさ」
「この船で、帰る」
「――――オイオイ、この鬼を目の前にして、よくもまァ言えたもんだぜ。――――気に入ったァ!」
 ぶん、と獲物を降って担いだ元親と、槍を握りなおした幸村を見て、佐助がやれやれとため息をついた。
「うぉおおおおおアニキー!」
 船中から野太い男たちの歓声が上がる。それにニヤリと笑みながら、ゆっくりと元親は碇槍を構えて足を開いた。
「おぉおおっ」
 最初に仕掛けたのは幸村。甲板を蹴り、一気に直進をして突きを繰り出す。
「烈火ァ!」
「うおっと」
 避けながら元親が碇槍を振り下ろし、横に跳んだ幸村目がけて瞬時に軌道を変えて凪ぎ払う。
「っ!」
 巨大な武器の俊敏な動きに目を見開きながら、地を蹴り更に距離を取る。間一髪で避け、体制を整えた幸村が自分の体を軸に回転し、槍を振るう。それを見た元親も碇槍を回転させた。
「うぉおおおおお」
「ハアァッ!」
 ギャギッと互いの武器が擦れ合い、火花が散る。それとは別に、二人の鬪気が炎を上げた。
「ちょっと、あのデカさで早いなんて反則じゃない」
 互いに弾かれ、下がった幸村に佐助が言い、後退した元親には一層の声援がかかる。
「さすが、鬼と呼ばれるだけのことはある」
 唇に薄い笑みを乗せて呟く幸村に、佐助は肩をすくめた。
「任務は偵察だったはずなんだけどねぇ」
「あんた、なかなかやるじゃねぇか。妙な南蛮人んとこに置いとくのは惜しいな」
「某は、ザビー殿の部下ではござらん」
「あぁ? じゃあなんだ。海賊にゃあ見えねぇし、賞金稼ぎって訳でもないように見えるけどなっ」
 言葉尻で床を蹴り、今度は元親が幸村に迫る。身を屈めながら飛びすさり、伸びてきた碇槍をかわしざま足元を狙う。
「はぁっ!」
「っしゃ」
 体を回転させ、幸村の槍を交わして着地をせずに床を蹴り、碇槍を振り下ろして幸村の槍を片方床に縫い付けた。
「おぅらよっ」
「まだまだぁっ」
 碇槍をふるった反動で幸村に蹴りを入れるが、かわされ懐に潜りこまれる。 「チィッ!」
「ぉおおおお」
 下から拳を突き上げる幸村に、元親が肘を繰り出す。
「グッ」
「ガッ」
 互いに短い声を上げ、ぐらりとよろめいた。
「くっ…………何故、罪もない人々を苦しめるのでござる」
「はぁ? ワケわかんねぇ事言って、無茶しかけてんのはソッチだろうが」
「ザビー殿は、貴殿が信者に乱暴をするから退治をしてほしいと言ったのだ」
「乱暴はどっちだ。ヒトの可愛い弟分を誘惑して裏切るように仕向けたりしてよ」
「それは、自ら望んでしたのでは無いのでござるか」
「俺らがアニキを裏切るかよぅ!」
「そうだそうだ!」
 幸村の言葉に、船に居る男たちが言う。
「オレたちァ、一生アニキについていきやすぜ!」
「オレらの頭はアニキ以外にゃ、考えらんねぇ」
「うぉおおおおおアニキィイイ!」
 男たちの言葉に、幸村は疑問符を浮かべ、元親は笑みを浮かべた。
「テメェら……。うっし! この世で一番海が似合う男は誰だ」
「「アァニキィイイ!」」
「この世で一番イケてる男は」
「「アーニキーィイイ!」」
「この世で一番強ぇのは」
「「アァーニィーキィー!」」
「テメェら、鬼の名前を言ってみろ!」
「「モ・ト・チ・カァアアア!」」
 船に居る男たちが声を揃えてアニキと叫ぶ。それを全身に受けながら、得意気な顔で幸村を見る元親。疑問符をいくつも浮かべる幸村の肩に手を置きながら、佐助が言う。
「ちょっと、話をしてみたほうが良さそうだねぇ」
 そういうことになった。


 途中まで船で送って行くという元親の言葉に甘える事にし、幸村と佐助は船旅を楽しむ事になった。
 あの後佐助が元親に話し、冗談じゃねぇとザビー教について話す元親に同意する男たちを見て、幸村が謝罪し、彼の実直な姿に元親も男たちも笑顔でそれを受け入れた。
「何より、戦えねぇ奴らを逃がしたことが、気に入った」
 と、ザビー教の信者らに去るよう告げた幸村の姿に共感したらしい。すっかり仲間になったような態度の元親に、幸村も緊張を解き佐助は安堵のため息をこぼした。
「かたじけのうござった」
 船を降りる幸村が深々と頭を下げる。
「いいってことよ。お互い災難だったって事だし、結構楽しかったぜ」
「某もでござる。いつかまたぜひとも手合わせを願いとうござる」
「望む所よ」
 拳を突き合わせて笑う二人に柔らかな苦笑を浮かべ、佐助が言う。
「ほら旦那、さっさと大将んとこに戻るよ」
「うむ。では、長曾我部殿」
「おう、またな。幸村!」
 くるりと振り返り、元親が声を上げる。
「いくぜ、野郎ども!」
 おぉおおっと声が上がり、ゆっくりと船が進みだす。それをしばらく見送って、幸村も元親に背を向けた。
「佐助、戻るぞ。お館様にご報告せねば」
 楽しそうな響きの声に、佐助は笑顔を返事に変えた。


2009/08/30



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