じっと、その猫は真田幸村を見上げていた。 剣道場の帰り。空腹だったので握り飯を用意してもらい、食べながらの帰り道だった。 ふと目を向ければ、草の生えた家と家の狭い間にある空き地に、光るものがあることに気付いた。 足を止め、目を凝らし(ああ――) 黒猫だ、と認識したと同時に、右目に大きな裂傷があることも知った。「これは、いかん」 手を伸ばした幸村から逃れようともせず、黒猫はおとなしく抱き上げられた。「すぐに、傷の手当てをしよう」 袴の裾をからげて走った幸村は、人貸を行っている甲斐屋の裏戸を叩き、家人が明けたと同時に飛び込みながら「佐助! 佐助ぇえ!」 大声で呼ばわれば、ひょいと顔を出した幸村の兄や佐助が、彼が何かを抱えているのを見て、あきれた顔になった。「何。旦那ぁ――また何か拾ってきたんじゃないだろうね」 駆け寄った幸村は「すぐに、手当てをしてくれ!」 黒猫を佐助につき出す。しばらく猫を眺めた佐助は「旦那、この傷はもう手当は出来ないよ」「何故だ」「うんと昔の傷だから」「なんと!」 くるり、と猫の顔を自分に向けて見つめる幸村に「さ。猫を離して上がりなよ」 にゃあ、と猫が口を開き「佐助。この猫、飼うぞ」「ええっ」 ぽつりとつぶやいた幸村は、自分の思いつきに満足そうに頷いて「今から、我が猫だ」 宣言すれば、猫が再び声を上げた。きらきらと顔を輝かせた幸村が、どのように言っても聞く耳を持たなくなることを知っていながら「もっと、綺麗な猫を飼えばいいでしょうが」「艶々として綺麗な毛並ではないか」「顔に、傷があるでしょう」「勇ましくて、良いではないか」「あのねぇ……」「名前を、決めねばなるまいな」 にこにことする幸村が、じっと猫を見つめて「政宗殿」 するりと、こぼれるように名を告げた。「にゃあ」 口になじんだ気のした名前に、猫が答える。満足そうに目を細めた幸村は「政宗殿」 大切そうに呼びかけて、猫の鼻に自分の鼻を押し付けた。 猫が前足を伸ばし、幸村の頬に触れる。ふふ、とくすぐったそうに笑った主の顔を、佐助は苦い顔をして見つめていた。 政宗と名付けられた猫は、幸村以外の者が触ろうとすれば、するりと伸ばされた手をあざ笑うかのように避ける。幼少より幸村の世話を行ってきた佐助の手も例外では無く「かわいくねぇの。誰が、エサの用意をしていると思ってんのさ」「はは――まあ、良いではないか」 ぼやく佐助の横で幸村が手を差し出せば、政宗は音も無く歩み寄り、指先を舐め、かしかしと甘く噛む。 ふん、と呆れたように鼻を鳴らした佐助は「それじゃ、俺様ちょっと出てくるから」「うむ。気を付けてな」 幸村に挨拶をし、小さく政宗に舌を出してから去った。 人貸しを行っている甲斐屋の人間は、一を聞いて十を知り、よく働くと評判だった。どこそこの店で人手が足りないとなれば、それに添った人を派遣する。甲斐屋から派遣されたものは、間違いが無いと信頼も厚かった。そのため、人手が足りぬこともよくあり、主である真田幸村の世話役、佐助も出なくばならなくなることも、ままあった。「政宗殿」 膝に乗せ、耳をくすぐり顎を撫でる。気持ちよさげに目を細める政宗に、幸村の目も細まった。「政宗殿」 うとうととしはじめた政宗の背を、撫でる。撫でながら、妙な懐かしさを覚えることに、幸村は疑問と心地よさを浮かべた。「政宗殿」 何度口に上せても飽きることの無い名前を呼び、撫でる。寝入ってしまった姿に、心が安らかになるのは何ゆえなのだろう。「政宗殿」 愛おしさが沸き立つのは、何ゆえなのだろう。 ぷる、と耳を震わせた政宗を、体を折って包み込む。「政宗殿」 これ以上ないほどの愛しみを持って、その名を積むいだ。 細い月が空にある。 ふと、何かの気配を感じて目を開けた幸村は、自分を見つめる瞳に気付いた。その光が片方しか無いことに「政宗殿」 呼び、手を伸ばしかけて止めた。 猫にしては、影が大きい。「真田、幸村」 ぞく、と胸が震えた。「な、に――」 伸ばしかけて止まったままの手首を、掴まれる。ゆっくりと覆いかぶさってきた人影に、幸村は何の抵抗もせずに息をのんだ。「幸村」 胸が、絞られる。「幸村」 三度(みたび)、呼ばれた。「ま、さむね……どの」 掠れた声で呼べば、目の前の男は唇をゆがめた。「How I've missed 幸村」 苦しげに、熱くささやいた唇が自分のそれに重なる。「ふ――ッ」 形容しがたいものが胸に湧き上がり、目から溢れた。「政宗殿――ッ!」 涙をこらえるために歯を食いしばり、腕を伸ばして抱きしめる。「政宗殿」 自分の中に湧き上がった感情が、何かわからぬままに政宗だと判じた男を抱きしめ、おえつを漏らす。ただ、ひどく会いたかった――狂おしいほどに欲しいという衝動だけが、幸村を襲った。「幸村」 耳朶に、声と共に舌が差し込まれる。ひくん、と反応した幸村は初めてであるはずのそれを、ひどく懐かしいと感じた。「幸村」「は、ぁ――政宗殿」 肌が、じわりと熱くなる。首筋に触れる政宗の黒髪にくすぐられ、幸村は彼の髪を掻き上げた。 虚となった右目に、首を起して唇を寄せる。 心臓が、甘く震えた。「政宗殿」「幸村」 呼び合いながら、顔中に唇を寄せ合い、静かに甘え、求め合う。「ぁ、ん」 政宗の手のひらが、幸村の着物の合わせ目から滑り込み、胸を滑って尖りを捕らえた。「は、ぁ――」 熱い息が、漏れる。それを奪うように、唇で塞がれた。「んっ、ふ、ふ……ぅん、ふ、ぁ、あぁ」 尖りを捏ねられ、下肢に熱が凝っていく。もどかしさに床を足で掻きながら、口内を愛撫する舌に舌をからめ、求めた。「は、ぁ、あ――政宗殿……早う、ぁあ、早う」 何百年も待ち焦がれていたような気持のままに、幸村が彼を求めた。「俺も、欲しくてたまらねぇ」 膨らみすぎて出口に見合わぬ感情が、掠れた吐息と共にあふれ出る。ぴくんと跳ねた幸村の腰に腕を回し、下帯を解き、中心に指を絡めた。「はっ、ぁ、ああ、う、んっ、まさ、むねどのぉ」 鼻にかかった甘い声。それに喉を鳴らした政宗は、自分を求める証を、口に含んだ。「はっ、ぁ、ああ、ぁあうっ」 恥じらう事も無く声を上げる幸村は、自分がこれほどまでに相手を求め、乱れている理由もわからずに、本能のような愛おしさに従い、身をくねらせる。「政宗殿ぉ、あ、ああ、もう、ぁあ、早う……早う……」 幸村の牡を咥えていた顔を上げ、わななく太ももを抱え上げた政宗は、目の前に来た双丘の奥に咲く花に舌を伸ばし、花弁をなぞった。「はっ、ぁあ、ぁ、ああ」 ざり、と猫の舌が柔らかな幸村の内壁を乱す。「ぁ、んぁあ、早う、ぁあ、政宗殿――、早う」 自分が何を求めているのかわからぬまま、幸村は政宗を急かす。彼が求めるものを知っているらしい政宗は「怪我、させらんねぇだろ」 低くつぶやき、菊花に自分の牡の先をあてがい、幸村の牡を掴んだ。「ふっ……」「はっ、ぁ、ああっ」 双方を擦る政宗に、幸村が腕を伸ばす。腕を掴んだその手が下がり、片方が政宗の牡につながっていると知って「ッ、おい――」「はっ、ぁ、あっ、政宗殿ぉ」 政宗の牡を掴み、擦り始めた。「ふっ――破廉恥だなんだって、うるせぇ姿が嘘みてぇだな」 昔から幸村を知っているような口ぶりに「政宗殿がッ、ぁ、はぁ、悪うござる、ぅうんっ」 何度もやりとりをしてきたように、答えた。「はぁ、出すぞ……ッ、ク」「ぁ、はっ、ぁあっ、ぁあああっ!」 自分の射精と同時に、幸村の牡をひねるように擦りあげ、促す。背を逸らせて放つ彼の姿に、残滓が残らぬよう擦りあげながら唇を舐め「たまんねぇ」 小さくつぶやくと「えっ――ひ、ぁああっ」 腰を進め、自らの液で濡らした秘孔に牡を突き入れた。「く、ぅう」 初めての体の締め付けに、政宗の眉が苦しげに歪む。「かはっ、ぁ、あ、はぁあ、あ」 体の中心を貫かれ、息苦しさにあえぎながら涙を流す幸村は(嗚呼――) 恍惚とした笑みを乗せた唇から「政宗殿ぉ」 安堵の息を漏らした。「は、ぁあ……やっと、ぁ、再び……ひとつ、に」 息苦しさにあえぎながら、幸せそうに笑う彼に「ああ、やっと……だ」 唇を重ね、互いの肌身を確かめ合う。 はるか昔に、こうしていたような懐かしさを抱きしめて、幸村は政宗の熱を受け止め、声を上げ続けた。 いつもならば起き出てくるはずの時間に、幸村の姿が無い。 不思議に思った兄や、佐助は彼の寝所を見に行った。「旦那――まだ、寝てんの?」 ひょいと障子を開けて覗いた佐助は、おや、と眉を持ち上げてから、目じりを下げる。「幸せそうな顔しちゃって。どんな夢、見てんだろ」 ふふ、と笑んだ佐助は、もう少し、寝かせておいてあげようかな、とつぶやいて音をたてぬように去った。それを、薄目を開けて見送った黒猫は、眠る幸村の頬に鼻先を寄せ、唇を舐める。「ん……まさむねどのぉ」 むにゃ、と妙な具合に柔らかく呼ばれ、満足したような息を吐いた猫は、幸村の肩に顎を乗せて瞳を閉じた。2012/9/19