ぼんやりと、真田幸村は体育館の裏で空を眺めていた。
正確には、体育館の壁に背をもたせ掛け座り込んで、空を眺めている。
「――政宗殿」
ぽつりとつぶやいた唇に、ゆっくりと持ち上げた手を添える。
(幸村――)
甘く、熱い声が耳に蘇った。
「っ――!」
あわてて手を降ろせば、指先が首にかけている六文銭に触れて揺らし、しゃらんと軽い音をさせた。
「某は……」
どうすればよいのかと、途方に暮れた声を出した心はけれど、決まっていた。
「政宗殿」
もう一度、つぶやく。
心は決まっているというのに、どうすればいいのかがわからなかった。
「某は……」
(素直に、言ってくれりゃあいい。そうすりゃあ――)
そうすれば、どうなってしまうのか。
ぶるりと身を震わせて、幸村は胸に溜まった息を吐き出した。
事の発端は、新入生の歓迎として野球部が妙な催しをすると決めたことだった。
伊達政宗を筆頭に、悪ふざけを思いつけばとことんまで行ってしまう面々が集まり、女子の制服を借りて着られる者が、マネージャーのふりをして新入部員にからかいと言うもてなしを施そうと、その予行として政宗が女生徒の制服を着たことが、それが長曾我部元親の目に止まったことが、幸村を悩ませる事態を引き起こすこととなった。
「初心な真田を、からかえば面白いんじゃねぇか」
その元親のひとことに、面白そうだと政宗が口の端を持ち上げ、器用にも女子の丸文字をまねることのできた元親が偽の恋文をしたため、幸村に渡したのだ。
「体育館の裏で、待っているって言っていたぜ。行かなきゃ、女子を一人あんなところにずっと立たせることになっちまう」
人気のない場所に立つ、うら若き女性を放置するなど言語道断。
幸村は、まんまと騙されることとなった。
放課後、人目を忍んで――何事にも敏感な幼馴染の猿飛佐助が、片倉小十郎に頼まれごとがあるからと、終業のチャイムとともに教室から出て行ったことは、だまされたと知らぬ幸村にとって、その時は幸いと思えた――体育館の裏に行けば、長身の、すらりとした女生徒がいた。
「某を呼ばれたは、そなたであろうか」
声をかければ、背を向けたまま頷かれた。ゆっくりと近づきながら、幸村は声をかける。
「手紙、拝読いたした。なれど某、そなたの想いには答えられませぬ。この心には、深く住まう方が……おり申す」
真摯に想いをつづってくれた相手に、あくまでも真っ直ぐに幸村は返答を告げる。
「この心を向けている相手が誰かは、口にはいたせませぬ。なれど、適当にすいた相手がおると誤魔化して断りを申しておるのでは、ござらぬ」
女生徒の肩が震えだした。泣いているのだろうか――
「申し訳、ござらぬ」
男が全力を持って守り愛しむべく女性を、不本意とはいえ泣かせてしまった。そのことに胸を痛めながら背後に立った幸村は
「なっ!」
唐突に振り向いた女生徒に腕を掴まれ、壁に背を押し付けられたかと思うと、唇を柔らかなもので塞がれていた。
「んっ、ぅう」
驚愕に見開いた目は、からかいを含んだ切れ長の瞳を捕らえた。掴まれた手首に触れる指は、細く長く節のしっかりとした男のものだった。
(これは、女性では無い!)
そう閃いたと同時に、口の中にぬめるものが差しこまれた。
「んっ、ふ……んんっ、ん」
歯を閉じて阻止しようとする前に、それは幸村の下にぐれて上あごをくすぐった。その頃には、その侵入物が相手の舌であることに気づき、笑いを浮かべる剣呑な瞳が、政宗であることを認識した。
(何ゆえ――)
「ふ、んぁ、は……まふぁ――っんう」
名を呼ぼうと口を開けば、政宗の舌は幸村の口腔を深く貪り始めた。舌を絡め取られ、吸われ、ずくんと幸村の腰が疼く。
(まずい――)
このままでは、情欲の印を示してしまう。そう思っても、政宗の体はしっかりと壁に幸村を抜射止め、逃れられぬように足の間に太ももを割りいれられている。
「んふっ、んぅうっ、うっ……」
呼気すらもむさぼられ、息苦しさに幸村の目に涙がにじんだ。濡れて揺れた視界に映る政宗の瞳は、いつしか柔らかくなっていた。
(政宗殿――)
幸村の胸が、その瞳の甘さに切なく痛んだ。
「ぷはっ、は、はぁ……はっ」
やっとのことで外された唇で、胸を喘がせ空気を求める。激しく胸を上下させる幸村の体に、ぴったりと政宗の身が寄り添った。
「真田、幸村」
「――っ!」
耳の中に舌を差しこまれながら、かすれた声で名を呼ばれ、息をのむ。政宗の太ももが、幸村の下肢のふくらみを押した。
「ぅ……っふ」
「Kissだけで、こんなに膨らませたのか」
カッと顔が赤くなった。
「は、放してくだされ! 何ゆえ、このようなことを」
「決まってんだろ。アンタに、惚れてるからだ」
耳朶に甘える政宗の唇を感じながら、幸村は零れるほどに目を見開いた。
「いま……なんと――――」
「アンタに惚れてるっつったんだ。Until you are addicted to my love, I love you.……You See?」
人を食ったような笑みを浮かべる政宗は、けれど本気を滲ませている。伊達や酔狂では無いことは、長年好敵手として互いをさらけ出し見つめていた幸村には――英語の部分は何を言っているのか判然とはしなかったが――苦しいほどに伝わった。
「っ、あ、何」
びくんと幸村の腰が跳ねる。ファスナーをおろした政宗が、下着の中に指を入れて反応し始めた幸村を取り出したからだ。
「俺とのKissで、こんなにしちまったんだな」
「政宗殿、何を――っう」
膝を着いた政宗が、何のためらいも無く幸村の牡を舌に乗せて口内に引き入れる。
「んっ、ふ……ま、さむね、どのっ、ぁ」
「んっ、ふ……いい声だ――もっと、聞かせろよ」
「そんっ、ぁ、んううっ、く」
手首を噛み、もう片方の手で政宗の髪を探る。押しのけようと力を込める幸村の動きを見計らったかのように、政宗は口淫に緩急をつけた。
「ふっ、んっ、んんっ、ん……んっ、ふ、んぅうっ」
舌で、上あごで情欲を昇らされる。逃れる術を持たぬ幸村は
「ぁはっ、あ、あああぁあ」
政宗のするがままに、彼の口内で果てた。
「はぁ……はぁ――は、はぁ、あ、ぅ……も、申し訳ござらぬぅ」
射精後の余韻に浸る強さがあらばこそ。幸村はすぐに政宗の口内に己の欲を放ってしまったことに、羞恥と懺悔を浮かべ、両腕で顔を隠して壁にずるずると背を滑らせ、座り込んだ。
「ううっ」
なんということだ、と自分の情けなさに打ちのめされる幸村の腕を、政宗がこじ開ける。鼻先を近づけられ、眉間にしわを寄せ眉を下げた幸村は得意げな政宗の笑みを見た。
「ぁ――」
政宗が口を開き、そこに自分の欲が乗っているのを目にする。ぞわりと背中に甘い痺れが走ったのを感じた瞬間、政宗はそれを幸村に見せつけるように、飲み下した。
「あ、ぁあ……な、なんということを」
唇を舐めた政宗は
「これが、アンタの味か」
満足そうにつぶやいた。
「何を、考えておられるのか」
「アンタと、みだらな行為をする事を考えてんだよ」
しゃあしゃあと言ってのけた政宗に、幸村の満面がゆでた蛸のようになる。
「アンタの惚れている相手は、俺だろう」
声を笑みに震わせる政宗の言葉が、幸村の心臓を握りしめた。
「違うとは、言わせねぇぜ」
「政宗殿――」
「けどまあ、一応の返答の余地は残しておいてやる」
幸村の胸ポケットから、彼のスマホを――どんなことになるかしれないからと、過保護な幼馴染はなぜか子ども用のスマホを幸村に持たせていた――取り出し、素早く何かを打ちこんだ。
「さっき、俺が言った言葉の意味を、アンタはわかっちゃいねぇんだろう? その意味を理解して、なおかつ了承するってぇんなら、帰りに俺の家に寄れ。万に一つも無ぇだろうが、了承できねぇってんなら自分の家に帰れ」
スマホを幸村の手に握らせて
「幸村――」
情をたっぷりと滲ませた息を、政宗が幸村の唇に吹きかける。
「某は……」
「素直に、言ってくれりゃあいい。そうすりゃあ――」
そこで、唇が重ねられた。知らず幸村は瞼をおろし、甘やかすようなやわらかな口づけを受け止める。
それが離れた時に、体を離す政宗を見た時に、幸村の胸は冷たいつむじ風を感じた。
「じゃあな」
素直に言えば、そうすれば、どうなるのか。
その先を言わないまま、女生徒の恰好をした政宗は女らしさのかけらも無い、身震いするほどの男ぶりを身にまとって去って行く。
それを見送ってから、幸村はぼんやりと空を見上げ、茜に変わりゆくさまを眺めていた。
左手に持たされたスマホを持ち上げ、そこに表示されている文字に目を通す。
Until you are addicted to my love, I love you.
対訳:俺の愛に溺れるまで、愛してやる。
「政宗殿」
つぶやき、幸村はのろのろと立ち上がった。
心は、決まっている。
「某は……」
(素直に、言ってくれりゃあいい。そうすりゃあ――)
そうすれば、どうなってしまうのか。
「某は…………」
政宗の、艶やかで剣呑な光を思い出す。唇を押しつぶしたやわらかさとは別の、鋭く心の奥を貫いた眼差しに、幸村の心が奮えた。
心は、決まっている。ならば――
「行動するのみ」
ぐっと唇を引き結び、眉をキリリとそびやかした幸村は拳を握りしめて叫んだ。
「簡単には、溺れませぬっ!」
政宗が期待する答えの斜め上を覚悟した幸村は、鞄を取りに教室まで全力で疾駆した。
「さぁあすけぇええっ! 俺は、これより政宗殿の挑戦を受けてまいる! ゆえに、先に帰ってくれ!!」
「ええっ。もう、あんまり遅くならないでよ?」
「うむっ!」
けれどその約束は、かなえられることは無かった。