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恋し恋しとセミが鳴く

 気が遠くなるほどの口づけを与えられて、泡になって消えてしまいそうだ。

 夜を飲み干そうとするかのように、繰り返し振る口づけに、真田幸村の唇は赤く熟れていた。
「は、ぁ」
 こぼれる呼気さえも漏らすまいと、唇が寄せられる。
「ぅ、ふ」
「幸村」
「ぁ」
「幸村」
「は、ぁう、んっ、政宗殿」
 節くれだった、繊細な指先が頬を撫でる。まっすぐに、射抜くように見つめてくる瞳の奥に、言い知れぬ孤独を見つけて、幸村は微笑んだ。
「政宗殿」
「幸村」
 名を呼べば、切なげに熱っぽく、呼び返される。鼓膜をくすぐるその音が心地よく、自分を示す記号が特別である心地がして、幸村はもう一度と促す代わりに、雄々しくもはかない男の名を呼ぶ。
「政宗殿」
 胸に、どうしようもないほどの愛おしさがあふれ出た。

 海というものを見てみたいと幸村が呟けば、それならば来ればいいと政宗に誘われた。
 海を見たことが無いわけでは無い。幸村の住まう甲斐に、海は無い。広大な湖はあるが、海は無い。だから、奥州を統べる伊達政宗は、幸村の言葉に彼が海を見たことが無いと思ったらしい。
「海を、見たことが無いわけではござらぬ」
「Ah?」
「ただ、海を味おうたことは、ござらぬ」
 出陣の合間に、海に接したことはある。けれど、それを海だと意識する余裕は無かった。だから
「海を、味おうてみとうござる」
「Oh, I get it」
 頷いた政宗は、ならばやはり奥州に来ればいいと誘った。
「ぞんぶんに、海を味わわせてやるぜ」
 そうして幸村は奥州を、政宗の誘いのままに訪れた。
 打ち寄せる波音に耳を傾け、見事な松の根に腰を下ろして眺める海は荘厳で、ひどく心が落ち着いた。
「どうだ」
 横に座る政宗の問いに、幸村はまず、吐息を返事の先駆けとした。
「匂いも、気配も、何もかもが違いまする」
「何と、比べてんだ」
「甲斐には、湖がありまする」
 冬から春に変わる時期に、神が渡る湖がある。察した政宗が頷き、陽光をちりばめ輝く海面に目を細めた。
「湖は、日ノ本の内側にある。だがな、海は、日ノ本の外にある。違う国に、繋がっている」
 今度は、幸村が頷いた。
「某は、視野が狭うござる」
「Ah?」
「湖に目を向けても、海に目を向けることを、考えたことも無かった」
 敬愛する武田信玄の背中ばかりを見続け、その道の先に意識を向けたことなど無かった。
「政宗殿は、大海を見続けておられたというのに」
 人の上に立ち、導き、安寧を願って進んでいたその背は、どれほどのものを背負っているのか。
「某の未熟さに、ほとほと愛想が尽きもうした」
 けれど今は、それで良かったのだと思う。徳川家康が天下を掌握し、これから少しずつ、形は違えど誰もが望んだ「統一した日ノ本」を作り上げる。その手伝いを、担う。
「某のような目も必要と、徳川殿は申された」
 夜を広く見据える目だけではなく、森の中の木々を見る目も必要なのだと。それは、きっと奥州という森を広く見渡していた政宗とは、違う視点を持っているのだ。広い森を支点として木を見る政宗と、木を支点として森を見る自分。
「某は、某の成せることを、全力でいたしとうござる」
「そんなことを、わざわざ確認するために来たのかよ」
 政宗の言葉に、幸村はゆっくりと顔を向けた。
「そんなことを、確認させていただきとうござる」
 潮騒に負けぬように、セミが声を上げている。大気を揺るがすほどに大きく叫ぶセミは、恋しい人を呼んでいるのだと、誰かが言っていたことを思い出す。
 恋しい、恋しい。
 幸村の胸が、セミに負けぬほどに叫んでいる。
 恋しい、恋しい。
「某は、お館様と共に、これからも徳川殿の統一された日ノ本の中で、成すべきことをいたす所存。なれど、政宗殿」
 続く言葉が、甘く痛んだ胸に阻まれた。
「I know damn well what you think of me」
 切なくゆがんだ幸村の瞳に、政宗の唇が触れた。
 嗚呼――。
 幸村の心が、甘く震える。
 嗚呼――。
 恋しい、恋しいと鳴くセミは、政宗の胸の裡にもあるのだと、柔らかく薄い唇が、幸村の瞼に伝えた。
「政宗殿」
 皮肉な笑みを浮かべる彼の、心中深くに埋められた寂しさのようなものを、幸村は知っている。それを抱きしめ温めたいと、さらけ出してほしいと、身の裡が裂けてしまいそうなほどに望んでいることを、どうすれば伝えられるのだろう。
「政宗殿」
 繰り返す呼び声に
「幸村」
 低く流れる政宗の声が、重なった。

「は、ぁあっ、んぅ、ぁ、政宗殿」
「ふっ、く、幸村」
 頭の先まで貫かれたような圧迫感に、幸村は顎を反らせて声を上げた。体中のどこもかしこも、全てが政宗に埋め尽くされている。
「んはっ、ぁ、あはぁううっ」
 揺さぶられるたびに、ぴったりと爪の先まで政宗が支配していることを認識させられ、息苦しさにあえぐ幸村は
「は、幸村」
 熱っぽく、苦しげな政宗の声が耳に触れるたび、彼を抱きしめているのだと感じた。
「ま、さむね、どのっ、ぁ、もっと、は、あぁ」
 もっと、心中をさらけ出しぶつけてほしい。何もかもを、この身に。
 そう望めば、政宗は一層激しく幸村を揺さぶり、責めたてた。
「ぃひぁあっ、はくっ、はぁううっ」
 体中がドロドロに溶けて、形を失う。抱きしめてくる政宗の腕も、穿たれる熱もすべて余すことのないように、溶けた自分が添っている。
「ぁはううっ、政宗殿っ、は、はぁあう、政宗殿ぉ」
 声を震わせ、誰にも聞かせたことのない甘い悲鳴を上げて腕を伸ばし、泡となって消えゆく自分の頼りなさを、政宗にしがみつくことで堪えた。
「ふっ、そんな、しがみつくんじゃねぇよ」
 艶めいた声に、胸が震える。
「ぁはっ、ま、さむっ、んぁあっ」
 胸の尖りをひねりあげられ、きゅうんと絞まった内壁が、まざまざと政宗の熱の形を意識に知らしめた。
 たくましい、男の徴。自分を欲する政宗の熱を、体内に抱きしめている。
「っ、はぁあぁあああああ!」
 認識した瞬間、たまらず幸村は絶頂を迎え
「くっ、ぅ」
 促されるまま、幸村が望むままに、政宗も思いの丈を彼に注いだ。
「っ、は、ぁあ、政宗殿ぉ」
 快楽の余韻に声を震わせ腕を伸ばせば
「ああ、幸村」
 恍惚とした切ない響きが、返される。
 呆れるほどに繰り返された口づけが、ふたたび幸村に与えられる。
 寄せては返す波のように、途切れることなく続く口づけの合間に、ゆっくりと弛緩していく幸村の意識が、昼間の光景を思い浮かべた。
 穏やかに繰り返される波音と、耳に響くセミの声。
 恋しい、恋しいと体中から叫ぶそれは、まるで自分の声のようで、蕩ける瞳に映る政宗の叫びのようで。
「政宗殿」
「幸村」
 とろりとした濃厚な夜気のように、笑んだ幸村の唇がやわらかく押しつぶされる。

 恋しい、恋しいとセミが鳴く。
恋しい、恋しいと叫ぶそれは、まるで――。

2013/08/16



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