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庵京
  秋の虫が鳴いているというのに、肌に絡み付く湿度が体感温度を上げている長月の夜。マンションの鍵を取出し差し込んで、違和感に目を細める。ドアノブを回し、中を見ると明かりがついていた。玄関には、自分のものではない見慣れた靴が一足。ため息をついて、庵は中へ入った。
 リビングの扉を開けると、庵には肌寒く感じるほどにクーラーが効いている。テレビはゲームの画面を映し出しているが、キャラクターは動いていない。ソファに近づくと、コントローラーを手にしたまま眠る京が見えた。
「――――フン」
 一瞥し、冷蔵庫に向かいビールを手にしてソファに座る。京が食べかけて、そのままにしているピザに手を伸ばして噛った。冷めきったそれは、お世話にも旨いとは言えない味で、それでも庵は眉一つ動かさず咀嚼してビールで流し込む。
「んっ…………」
 もぞりと京が動くのを横目で見ながら、ピザに手を伸ばす。
「あ、れ――」
 眠たそうに息を吐き出して、体を起こす京が庵の手に目を向ける。
「うまい?」
「知らん」
「食ってんのに、わかんねぇんだ」
 ぐっと伸びをして、首を回す京を視界の端に収めながらピザとビールを口に運ぶ。
「なぁ」
「何だ」
 含みのある笑みで、京が庵の手のピザに噛り付く。
「もっと旨いもん、食えよ」
 ビールを奪い、一気に飲み干す京を表情のない瞳で眺める。首をかしげて、京が唇を横に広げた。無表情のまま、庵が顔を近づける。
「んっ、ふ」
 濡れた音がして、舌が絡む。顔だけを寄せたキスは、動物同士の挨拶のようで何かを確かめているような強さにしかならない。
「ん〜」
 甘えたような声で、ニンマリと笑う京が首を伸ばす。口を開き、庵の鼻を嘗めて噛み付き肩に額を乗せた。
「ヒマつぶしに来たのにさぁ、テメェ居ねぇんだもんよ」
「知らん」
 かぷ、と庵の首を噛んで軽く吸う。顔だけで甘えてくる京の髪に、そっと顔を埋めて匂いを嗅ぐ庵。
「犬かよ」
「貴様こそ」
 笑みを含んだ声に、抑揚の無い声がこたえる。顔だけを擦り合わせ、息を絡ませる。ごつん、と京が頭突きをして不満そうな顔をした。
「ナメてんのか」
「知らん」
「そればっか」
 ため息と共に言葉を吐き出し、肩をすくめて庵から離れる京の腰を引き寄せる。
「ンだよ」
 大きく開いた庵の口が京の耳を甘噛みし、耳の中に舌を這わせる。目を細めてゾクリと背中を震わせながら、京は庵の肩に手を伸ばした。
「そういう気分じゃ、無ぇんだけど」
 いいながら、庵の頭を抱きしめる。
「貴様が、誘ったんだろう」
「誘ってねぇよ」
「じゃあ、何だ」
 庵の唇が降りて、鎖骨を吸う。上目遣いの庵を見下ろし、彼の前髪を掻き上げて額に唇を寄せる。
「こうやって、じゃれあう気分では、あるけどな」
 額に唇をつけたまま彼の味を確かめながら言う京に、目を細める。
「機嫌、損ねるなよ。俺に触れられるだけでも幸せだろう」
「ほざけ」
「ほざいとく」
 クックと喉の奥で笑いながら庵の頭を抱きしめる京が、ゆっくりとソファに体を倒す。
「たまにはいいだろ、こういうのもさ」
 不満そうに鼻を鳴らす庵に、仕方ねぇなとつぶやいて彼の髪にキスをした。
「してぇなら、その気にさせてみろよ」
 吐息交じりの声に、庵の唇が重なる。
「ん、ふぅ…………ン」
 角度を変えながら、何度も唇を重ねてうっとりとした笑みを浮かべる京に、呆れた顔で庵が言う。
「ずいぶんと、機嫌がいいようだな」
「まぁな。たまにはさ、喰らい合うんじゃなくって、こやって楽しむのもいいなと思ってさ。――――いっつもテメェに付き合ってやってんだ。今日くれぇは俺に付き合えよ」
「フン」
 同意とも拒絶とも取れる返答をしながら甘いキスをしてきた庵に、京はもっと甘いキスを返す。
「庵」
 かすかな呼び声に、首筋へのキスで返事をする。甘えた仕草で髪に触れてくる京に、触れるだけのキスを顔中に落としながら庵は瞳を蕩かせる。
 奪うよりも、ぶつけ合うよりも、ずっと弱くて強い――認識しあうだけの触れ方で、二人は世界から遠ざかった。
 ――愛じゃなくて
 ――恋じゃなくて
 ――ただそこにいる
 ――それだけで
 ――それだけが

          END
2009/09/04



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