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庵京6
シャワーをとめると、インターフォンの音が聞こえた。脱衣場に出ると、音が大きくなる。誰かが自分に用があるらしい。時計を見ると、午後九時半を回ったところで、宅配便ではないだろうと無視をする。
インターフォンは途切れることなく鳴り続け、耳にしながらコーヒーサイフォンのアルコールランプに火を入れた。
ガンッ――――
インターフォンの代わりに、ドアが叩くか蹴るかをされたらしい。
「いるんだろ、庵! 居留守使ってんじゃねぇよ」
ガンッ――――
もう一度、ドアが悲鳴を上げる。細くため息を吐いて、庵はドアを開けた。もう一度、ドアを殴ろうと拳を握る京が目を丸くする。
「何の用だ」
忌々しげに言ってやると、ニヤリとして京は手に提げたビニール袋を見せてきた。
「花見、行くぜ」
ビニール袋からは、つまみとビールが透けて見える。
「下らん」
「いいから、来いよ」
閉めようとしたドアに足を挟み、京が目を細めてささやいた。
「行こうぜ、庵――――」
つくづく、自分は馬鹿だと思う。あっさりとドアから手を放した自分に呆れて背を向けた。背後で、京が入ってくる気配を感じながらリビングに向かう。
「あ、俺も飲む」
何も聞いていないのに、サイフォンを見た京が当然のように言う。庵はサイフォンのアルコールランプの火を切って、ソファーに座った男に言った。
「花見をしに行くんだろう」
適当なものを羽織り、先に玄関に立つ。ひょいと片眉を器用に上げた京が、視界の端に映った。
「んじゃ、夜桜と洒落込もうぜ」
鼻歌を歌いかねない機嫌のよさで、京は靴を履いて出る。鍵をかけて見上げた空に、膨らみはじめた月が見えた。
「赤い鼻緒がァ〜プツリと切れた〜」
鼻歌どころか、しっかりと声に出して唸りながら歩く京の背中を見る。いつも突然現れては、当然のように付き合えと言ってくる。追い掛ければ躱すくせに。
「いい月夜だなぁ」
話しかけているのか、独り言なのか――――返事をしない庵に気分を害することもなく、京は歩き続ける。何処に行くのかなど、聞く気は無い。何処に行ったとしても、庵にとっては変わりがない。京が、そこに居れば――――。
「おー、綺麗」
ひょいと角を曲がったところで京が満足そうに言う。目の前には、小さな公園に不釣り合いなほど見事な、桜があった。
「さ、呑もうぜ」
缶ビールを一本寄越してくる。受け取ると、ブランコの周りに巡らされている柵に腰掛けた京が桜に向かって乾杯のしぐさをした。庵は立ったままプルタブを開けて口をつける。
「つまみ、食うだろう」
言いながら、コンビニの唐揚げを取り出して受け取れと差し出される。手にすると、満足そうな顔をしてから自分は薫製卵を取り出して食べた。
無言で食し、呑む。互いに目を合わせることをせず、ただ共に在る。ひんやりとした空気に、体が冷えてくる。春とはいえ、日没後の気温はまだ低かった。しかし、それが心地好い。
ふいに、京が動いた。悪戯を思いついたような顔で庵を見る。庵を見たまま桜に近寄り、寄り添う。薄い笑みを浮かべる唇が、音を出さずに呟いた。
――――いおり。
メキッ。
庵の手の中で缶がつぶれる。京が楽しそうに目を細める。ゆっくりと近づいて、探るような、呆れたような顔をしてみせた。
「貴様、何を考えている」
「別に、何も――――?」
クスクスと、実際には発していない笑い声が庵にまとわりつく。
――――触れたいんだろう?
月明かりに濡れた京から、そんな言葉が聞こえる。
――――好きに、すればいい。
これは、自分の願望が聞かせた言葉なのだろうか。
「いおり」
ほとんどが吐息の声で呼ばれ、庵は夜の太陽に口付けた。何度もついばみ、唇の色が深くなる。
「部屋、戻ろうぜ」
京が当然のように言って、庵は離れる。
「花見を、しに来たんだろう」
ほんのわずかな抵抗。京の誘いに抗うことなど出来るはずもないのに。
京は熟れた唇で薄く笑い、庵の首に腕を回して口付ける。それに応える庵の手をいざない、誰も邪魔をすることの出来ない場所に行く。
月光すらも忍び込めない場所で、二人の肌に桜が舞った。
2010/04/07
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