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庵京7
 眠るともなしにベッドに転がっていると、インターフォンが鳴った。余韻が消える前に次々と鳴らされるインターフォンに、八神庵はゆっくりとまぶたを持ち上げる。こんな鳴らし方をする人物は、一人しか思い至らない。
 眠りに落ちる寸前の状態でとどまっていた体は、泥にまみれたように重い。それを無理やり引き剥がすこともせず、身に纏ったままベッドを降りて玄関に向かう。
 インターフォンは鳴り続けている。
 わずかな戸惑いを指に乗せ、玄関を開けると咎めるような笑顔が見えた。
「さっさと開けろよな」
 当然のように室内へ踏み込んでくる頭を眺める。
「あ、そうだコレ」
 靴を脱ぎざま渡されたものは、どこからかのダイレクトメールだった。
「居ないとは、思わんのか」
「さっき郵便局員とすれ違ってよ、郵便受けに入ってたのが、それ一通だけだったから居るんじゃねぇかと思ってさ――――やっぱクーラー利かしてんなぁ。涼しい――――あ、冷蔵庫開けるぞ」
「勝手にしろ」
 短く吐き棄てると、目じりと口元をわずかにゆがめた京が背を向ける。その顔――優越感に浸っているような、物言いたげな薄い笑みが、庵に苛立ちを与えた。ふいと顔を背けると、背中に笑っている気配と冷蔵庫を開ける音が届いた。
 今からまたベッドに寝転がる気も起きない。かといって、何かしようと思うことも無い。京に渡されたダイレクトメールをゴミ箱に入れ、ソファに座った。
 窓の向こうに見える空は厚みのある青色で、真夏であることを告げてくる。
――――太陽が、近づく季節。
 ぷしっとプルタブを開けた音がして、目の前に開いていない缶ビールが置かれた。ソファに座る自分の足元に座った京は、缶ビールに口をつけている。手持ち無沙汰なので、目の前に置かれたそれを手に取り、プルタブを開けた。
「っはぁ、生き返るぅ」
 親父くさいことを言いながら缶ビールを置き、ソファに上半身をうつぶせに預けた京は、顔をソファにつけたまま話しかけてきた。
「ユキと待ち合わせしてんだけどよぉ、家にいるのも暇だしさ、紅丸も大門も暇してねぇからさぁ」
 缶ビールに口をつけようした庵の動きが、止まる。
「どっかで時間つぶししようかと思って来たら、待ち合わせ場所がおまえん家の近くだったからさ、寄ってみたんだよな」
 此処に至る経緯を語る京は、顔を上げない。庵がどんな顔をしているのか、見ようともしない。
「悪ぃけど、時間までくつろがせてくれよ」
 すでにくつろいでいる状態で口にされた言葉に、庵は鼻で息を吐き、缶ビールを喉に流し込む。苦味のある爽快が、体にまとわりついている泥のような気だるさを落としていく。
「あー」
 伸びをした京が体を起こし、缶ビールを飲む。きょろきょろと辺りを見回し、テレビのリモコンを見つけ、這いながら移動しテレビをつけた。その場で座り込み、缶ビールを飲みながらチャンネルを変えていく後姿は、庵の存在があることを知っていながらも気にしていない。
「今なら、油断している俺に簡単に拳を入れられるかもな」
 テレビを見ながら投げてきた言葉に、眉根を寄せる。
「下らん」
「――――ほんと、おまえって」
 肩を震わせながらの京の言葉は途中で途切れる。その先を促すことも気にすることもせず、忌々しそうな顔を背中に向けた。
 チャンネルが定まる。白いユニフォームを土で汚した少年の姿がクローズアップされていた。歓声が流れてくる。痛いくらいの日差しに、マウンドの少年が目を細めてわずかに首を振った。少し間を置いてから、今度は首を縦に振り、ゆっくりと振りかぶって投げた。
 カメラのアングルが瞬時にかわり、バッターボックスの少年が思い切りスイングをする。白球は、キャッチャーミットに吸い込まれた。
「あーあ」
 京が呟く。実況が興奮した声と冷静な声を織り交ぜて解説も行っている。庵にとっては全くもってどうでもいい情報ばかりで、それにいちいち反応をしている京だけを眺めていた。
 CMに変わると、子どものような顔をして振り向いた京が、話しかけてくる。片方の出場校は地元らしい。――――夏の甲子園。庵には、関係の無いことだった。
 試合の中継が再開する。京がテレビに顔を向ける。後頭部に、庵は視線を投げる。ピッチャーが投げる。バッターが見送る。球がピッチャーに返る。配球の確認。ピッチャーが振りかぶる。バッターの足が大きく開く。小気味のよい音を立てて白球が飛んでいくのを、キャッチャーが立ち上がり、ピッチャーが振り向いて見送る。左中間がどうのと実況が入る画面は、空を見上げながら必死に走った少年が、壁にぶつかる姿を映した。
 ボールは、フェンスを越えた。
「よっしゃ」
 京が小さくガッツポーズをとり、缶ビールを飲み干す。立ち上がり、冷蔵庫に向かって二本目を取り出した。――――ここの缶ビールは、京が補充している。勝手に飲んでもいいぜという言葉と共に大量に持ち込んでは、時折ふらりと飲みにくる。それを拒む理由もタイミングも見当たらず、好きにさせていた。
「なあ、庵」
 冷蔵庫を閉めながら、声をかけてくる。
「おまえさ、俺に触れたく無いか」
 ソファの横でしゃがみ、見上げてくる。
「今――――触れたくないか」
 何の表情も見せないままの瞳に、怪訝な顔の庵が映る。テレビは試合の流れが変わったことを伝えてきた。室内の空気が、京の言葉で変化したことを感じる。ひやりと熱い何かが、庵を包んだ。
 しばらく見詰め合うと、京は立ち上がり缶ビールを一気に飲み干す。
「んじゃ、俺そろそろ行くわ」
 テーブルにそれを置き、庵の襟首をつかんだ。顔を近づけ、唇をぶつける。絡む視線は、挑むような色をしていた。庵も京の襟首をつかみ、唇に噛み付く。
 互いに薄い笑みを唇に浮かべ、獲物を狙う瞳のまま体を離した。
 京が部屋を去る。ドアが閉まり、完全に京の気配が室内から消えた。テーブルの上とテレビ、庵の肌に名残を残して。
 飲みかけの缶ビールをテーブルに置き、テレビのリモコンを手にする。祈るような格好の女生徒を画面から消して、ベッドの上に戻った。
 ゆっくりとまぶたを下ろし、寝入る寸前でたゆたう。
 肌を焦がす灼熱の太陽は、まだ――――――


2010/08/05



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