月明かりの中、ふらりと夜道を歩いている。深海では黒に見えるという赤は、月光に照らされて沈むことなく浮かんでいた。 白い肌が、冴え冴えと輝いている。 歩いていなければ、蝋人形のように見えたかもしれない。 赤い髪。白い肌。みっしりとした胸筋を覆うシャツはボタンが閉じられないのか、みぞおちのあたりまで開かれていた。「お、八神」 声をかけられ、大型の肉食獣のような緩慢さで立ち止まり、顔を向けた。 街灯の下に、漆黒の髪に健康そうな肌をした男が人好きのする笑みを浮かべて現れる。 八神庵の眉間に、しわが寄った。「京」「すげぇ顔」 ふふ、と口の端だけで笑い、草薙京が彼に近づく。「こんなとこで、出くわすとは思わなかったぜ」 ふわり、と良い香りが――食欲をそそる匂いが近づいて、京の手元にチェーンのフライドチキン店の袋があるのに気づいた。「ま、おまえの家の近くだから、うろついていてもおかしく無ぇか」 京がフライドチキン店の袋と、反対側の手に提げていた缶ビールの入った袋を持ち上げて「花見、しようぜ花見」 庵を誘った。 少し歩いた先にある公園のベンチで、体躯の良い男が二人、並んで座り缶ビールを飲んでいる。 ベンチの斜め後ろには大きな桜の木が並び、ベンチの上を覆うように枝が伸びていた。 桜の間から、月の姿が見える。「きれいだなぁ――詩でも、詠みたくなるぜ」 チラ、と横目で上機嫌な男の横顔を見、フライドチキンにかじりつく。冷めかけたそれを咀嚼し、ビールで喉に流し込んだ。「せっかく買ってきたのに、もっと旨そうに食えよな」「貴様の希望など、知らん」「かわいく無ぇの」 唇をとがらせて、すぐにそれをほころばせ、京もチキンにかじりついた。 さわ、と風が桜を鳴らし、ひらりと舞わせて庵の髪へ降りた。「お」 にやり、と京が「風情があんな」 つぶやいて、缶ビールを乾杯するように持ち上げた。「八神はさ、こういう時に曲を作ったり、すんの?」 黙殺し、月を見つめる。少し欠け始めているが、ふっくらと輝くそれは世界を藍色のヴェールで柔らかく包んでいた。「いい、月だな――ウサギもしっかり見える」 もちつきをしているウサギの姿は「別の国じゃ、カニに見えたりとか、したな」 それは、いつ、誰と対戦をしたときの光景なのだろうか。「懐かしいな」 しみじみとつぶやき、新しい缶ビールのプルトップを開けて口をつける京を、見た。「ん?」「いや――」「変な奴」「貴様に言われる筋合いはない」 はは、と声を立てて笑う京から、桜の合間に見える月へと目を動かす。耳を打つのは、時折風が枝を鳴らす音ばかりで――。「なぁ、八神」「なんだ」「ちょっとだけ、仕合おうぜ」 立ち上がり、公園の中央へ京が歩き出す。周りに人気は無い。「少しだけ、だと? 甘いことを――」 のそり、と庵も立ち上がった。 ゆっくりと足を開き、腰を落とす。身の裡に大気を集めるように、熱を湧き上がらせて肌に押し込めた。 二人の間の空気が、陽炎のように揺らめく。「おぉおおおおっ」 先に走ったのは、庵だった。上体を低くして、這うように京に迫る。「おっと」 くるりと右足を軸に身をかわし、目の前に来た庵の肩めがけて「はっ」 肘を打ち下ろした。「――っ」ぐるん、と上体をねじる庵の肩を肘が掠める。それを掴み、そのまま地面に落ちるように力を籠め「くっ」 バランスを崩した京へ、膝を入れた。「ガッ――の、ぉ」 密着した状態から、体のひねりで拳に力を乗せ「ぐっ――ぅ」 庵のみぞおちへ、京のこぶしがめりこむ。「っとぉ」 下段から引き裂くように伸びた庵の爪を交わし、距離を取り「くらいぃいいやがれぇええええっ」 右のこぶしに揺らめく焔を纏わせて、繰り出した。「グッ」 両手を交差し、受け止める。 交差した瞬間きらりと目に浮かんだ光に、二人同時に気を緩めた。「っは――ったく」 肩に手を置き首を回し、ベンチに戻る京の背中を少し眺めてから、後に続く。「すっかり冷めちまったな」 フライドチキンの箱を持ち上げ「な、おまえん家――行ってもいいだろう? 温めなおしてさ、食おうぜ。こんだけじゃ足りねぇし、コンビニ寄ってからさ」「好きにしろ」 さっさと背を向けて歩き出す庵に「あ、おい――」 大股で近寄る京の姿を、月明かりに照らされながら、桜が静かに見送った。 2012/04/16